97 筋書きはもうない >> SPRIT MILK ②

 ──正午。



 『常世島』北西にある港に、一隻の中型船が停泊していた。


 海の青が良く映える白の船体を飛沫で輝かせたこの中型船は、ピースヘイヴンがチャーターした生徒会執行部所有の一艘である。

 そしてこの船に今まさに乗り込まんと、今回の募集に応じた生徒達が集まっていた。

 ──が、その生徒達は今、俄かに騒然としていた。


 その理由とは──



「やぁ、ようこそ来てくれた」



 彼らをこの場に呼び出した張本人、ピースヘイヴン。


 彼女は今、モニタを通した通話ではなく、本人がこの場にやってくる形で生徒達と対峙していた。


 ただし知っての通り、ピースヘイヴンは現在罪人として収監中の身である。

 本人も言っているように、彼女が釈放されるには学園存亡の危機レベルの事態が必須であり、当然今はその限りではない。


 では何故彼女がこうして港にやって来れているのかと言えば──



「生憎私は収監中の身でね。このの中からで失礼するよ」



 



 罪を償う為にも、監獄の外には出られない。

 しかし監獄の中に留まっていては目に見えている危機に対して対応できない。

 この二律背反に対応する為には『監獄を移動可能にする』というのは至極道理ではあったが──全体的にそれで本当に良いの? という実にピースヘイヴンらしい一手であった。


 伽退のこめかみが先ほどから不気味に痙攣している点については見て見ぬふりをしつつ、ピースヘイヴンは続ける。



「さて、改めての説明にはなるが、今回は生徒会執行部が主催の無人島遊覧ツアーだ。スケジュールとしては──」



 すらすらと語るピースヘイヴン。


 登場のインパクトが徐々に薄れてくる平常っぷりだったが、そうすると徐々に参加者の間にもある種の緊張感が漂って来る。


 そんな空気の中で、流知はちらりと横に視線を逸らし、それから慌てて前に戻す。

 彼女の意識の先には──誰あろう『主人公』神織悟志の一行がいた。



「(…………どうするんですの。本当にいますわよ! 『正史』の『第一巻』案件の真っ最中なのに、当事者がこっちに来てしまいましたわよ!)」


「(別にどうもこうもねェだろ。最悪こっちで『第一巻』案件が進展するだけだ。そういう意味じゃ、覚悟はしておいた方がいいかもな)」


「(全然想定してなかった方向の覚悟ですわ!?)」



 何せ、ついこの間まで『向こうは向こうで頑張るだろうから、こっちはこっちの案件を頑張ろうぜ』なんて言っていたところでこれである。

 その上直前には『正史に介入しようとする輩を攻撃する転生者』なんて連中の話まで聞かされているのだ。

 小市民である流知としては、『お前も主催の一味だろ?』とか言われて殴り掛かられないか心配すぎるところであった。


 そして、あながちその危惧は考えすぎでもない。

 その理由に、さっきから数人の視線が流知に刺さりまくっていた。

 完全にメンチを切られている事実に、流知は縮こまりそうな背中を必死に伸ばして胸を張る(お嬢様は背中を丸めてびくびくしないため)。



「(…………でも、どうして彼らが此処に合流する流れになったんでしょうね。確か、今はまだ潜伏している状況だったと思うのですけれど……)」


「(まァ、状況なんざいくらでも流動するが……)」



 『シキガミクス・レヴォリューション』における『第一巻』は、神織悟志が怪異に襲われるところから始まっていた。


 本来学園には現れないはずの『怪異』に襲われた神織があわやという局面に陥ったその時、謎の『怪異』──浄蓮に憑依される。

 力を貸す代わりに浄蓮に協力することを求められた神織は、その霊能によって事なきを得る。

 こうして浄蓮に憑依された神織だったが、この時の戦闘の痕跡をクラスメイトで治安維持部の剣菱けんびし綾乃あやのに目撃されてしまう。

 『怪異』被害の多いこの世界において、許可なき『怪異』の帯同は当然ながら重罪である。

 しかし浄蓮から治安維持部と『怪異』発生の関連性を指摘された神織は、彼女の指示に従って学園の治安維持勢力から逃げつつ、学園に安置されている対・百鬼夜行用決戦兵器『草薙剣』を手に入れ、『学園』に訪れた危機に対抗していくことを決意するのだった。



 ──これが、物語序盤の筋書きである。


 この後は剣菱と和解し、一時は『外患誘致犯』として指名手配されつつも、彼女と共に治安維持部の顧問であり事件の黒幕である波浪はろう克人かつひとに立ち向かっていくことになるのだが──



「(……確か、本来の流れだと神織さんも綾乃も『外患誘致犯』として指名手配された後は地下に潜っていたはずだぞ)」



 小声での作戦会議に、冷的も声を潜めて参加してくる。



 神織と剣菱が行動を共にしているということは、物語の筋書きの大前提は変わっていないのだろう。


 だが、そこに『載原』という存在しないはずの人員が混じっていたり、こうしてピースヘイヴンの催しに参加したりしている辺り、どこかしらに無視できないレベルの乖離は発生しているはずだ。



「(指名手配の情報自体はもう出て来ていますね。まだ生徒会執行部内にしか出回っていませんが)」


「(…………あれ?)



 続いて会議に参加する伽退に、流知は首を傾げて、



「(そういえば、伽退さん生徒会はもう辞められたのでは? 何でそんな耳寄り情報を?)」


「(IDはまだ生きていますので。勝手に使ってます)」


「(あのクソバカ、まんまとセキュリティホールを残してやがる……)」



 しれっと答える伽退に、薫織は小さく舌打ちをする。


 ド級のセキュリティインシデント案件ではあったが、彼女の情報共有の薄さを考えるとこれも必要な穴かもしれないのが痛し痒しであった。



「(フッ、綺麗事だけでは世界は救えないんですよ)」


「(ダークヒーローっぽく言っていますけれど、やっていることはただの不正利用ですわよ!)」



 そうこうしているうちに、ピースヘイヴンのスピーチも終わりを迎えたようだった。


 結局まるまる聞いていなかった薄情者のライ研の面々が近寄ると、ピースヘイヴンは口を尖らせながら、



「なんだ、随分内緒話に熱中していたようじゃないか。私は寂しいぞ。情報の共有が足りていないと思わないか?」


「ブーメランを投げながらでしか会話できねェのか? テメェ」



 クルーザーに乗り込んでいく生徒達を横目に見ながら、流知は底面にタイヤのついた移動檻を押して言う。



「会長、なんで神織さん達がこっちに合流してきたんだと思います?」


「ん? あぁ、それはおそらく、治安維持部隊から逃げる場所を探してきたんじゃないか?」


「……逃げる場所、ですか?」



 あっさりと答えたピースヘイヴンに、流知はさらに眉を顰めて怪訝そうな表情を浮かべる。


 逃げる場所というだけなら、『正史』では実際に地下に潜ることで敵の追跡を躱したという実績があるのだ。

 わざわざよく分からない会長のよく分からない催しに乗っかるという不確定な策を選ぶとは考えづらい。


 となると、『正史』にはいない登場人物である『載原凛音』の存在が──と流知が考えかけたところで、ピースヘイヴンはさらに続けて答える。



「その通り。『正史』と違って、この世界では私が学園の防備を魔改造しまくったからな。

 ほら、旧式の汎用シキガミクスを大量に投入しただろう。『メガセンチピード』とか『スニークウルフ』とか『ウンティルウェン』とか『ナイトバード』とか。

 お陰で『正史』よりも警備の隙がなくなって、地味にハードモードだしな!」


「何自慢げにしてんだカステメーコラ」


「いたいいたい檻の中にシキガミクスで腕突っ込まないで」



 思わず『押し売りの契約印デモンズカヴァナント』を使おうとした伽退を宥めつつ。



「いたた……。そういう訳で地下に隙がなかったから、逃げる場所を探している時に私の募集を偶然発見したとかだろう。

 お誂え向きに、船上なら指名手配の情報も伝わりづらいし、向こうからも発見されづらいしな」


「なるほど……」



 つまりまたいつものごとくピースヘイヴンの作戦が裏目に出ている訳だが、流知はそこには気付かず世の流れの奇妙な結びつきに感心するばかりであった。


 ピースヘイヴンはこれ幸いとばかりに話を逸らし、



「それよりも、だ。せっかく正史だのなんだのが関係ない場で神織達や他の転生者と交流できるチャンスなんだ。君達も早いところ船に乗り込んではどうかね? 私はほら、柚香に押してもらうし」


「いやァ……そうは言ってもな。今そっちには行かない方がいいと思うぜ。ほら」



 話を逸らそうとしたピースヘイヴンに、薫織がそう返した次の瞬間であった。



「だからァ!! なんでアンタにそんなこと決められなくちゃいけないわけ!?」


「俺が決めてる訳じゃないっつってんだろ!! 少しは周りのことも考えろ!!」



 ──先ほど生徒達が乗り込んで来たクルーザーの中から、威勢の良い怒声が轟き始めた。

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