第13話 生き方そのものを変える
僕がサラリーマンを辞めたのは、単に嫌な人間関係とか待遇面といったことが理由ではない。
それらが理由だったら以下の2つの選択肢でサラリーマンを辞めることなく(当面は)解決するからだ。
① 我慢する
② 転職する
僕が辞めたのはそういった外側の条件ではない。
つまるところ「人生観の問題」なのだ。
僕はサラリーマンとして多くの挫折経験をした。
成功体験がもっと多かったら考え方も違ったかもしれない。
一方で、それらの挫折体験は僕に「自分が望む生き方とは何か?」を気づかせてくれた。
僕はサラリーマンという生き方からドロップアウトしたのだ。
僕はサラリーマンという生き方には向いていなかった。
向いていないのに頑張ったから苦しくなった。
頑張ればいつか道は開けると信じて心身を疲弊した。
自分には合っていない世界で走り続けたから燃え尽きた。
サラリーマンでいると自分にはどうすることも出来ないことが多すぎる。
結局、兵隊であり、羊であり、家畜であり、奴隷と変わらない。
ただの使い捨ての労働力。
それがサラリーマンの世界だ。
そんなのは当たり前だと言われればそのとおり。
だけど、サラリーマンがただの使い捨ての労働力にすぎないことを自覚して働いている人などいるのだろうか?おそらくハッキリとは自覚できていない人が多いと思う。
一番多いのは僕と同じように「頑張っていればいつか花開く」と信じている人達ではないだろうか?
でもそれは感覚が麻痺しているだけ。
これは自分の内側を掘り下げていくワークをしてみて分かったこと。
可能なかぎり冷静に自分の気持ちを見つめて想いをノートに書き出してみた。
以下のような具合だ。
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Q:なぜ自分は会社を辞めたのか?
A:嫌になったから。
Q:何が?
A:会社そのものが。くだらない組織が。仕事に束縛されることが。自分の思う通りにならないことが。
Q:自分の思う通りにならないとは?
A:人事評価。人間関係。会社の方向性。お金。時間。
Q:なぜ自分の思う通りにならないのか?
A:会社は自分のものではないから。自分は雇われている社員にすぎない。イエスマン達が暗躍し勢力争いをするのは人間の性(さが)だから。
Q:もう少し具体的に掘り下げてみて。
A:以下のような感じかな。
[人事評価]
結局、他人が決めること。
自分がどんなに努力したとしても評価するのは他人でしかない。
そしてその評価は正当かつ公平とは限らない。
[人間関係]
上司を選ぶことはできない。
他人を変えることはできない。
では自分は我慢すれば良いのか?転職すれば解決する問題なのか?
[会社の方向性]
決めるのは社長や役員。
さらにその上には親会社が存在する。
会社の方向性に納得できなくても自分にはどうすることもできない。
[お金]
給与水準は悪くはなかったが、いずれは定年退職になる。
コスト削減策の一環として、賞与の評価基準が変更になった。
平たく言うと「頑張っても平均評価」。
これでは誰もが頑張る意欲を失くすだけだった。
[時間]
自分の時間などない。休日でさえも仕事のことが頭から離れない。
忙しくなる一方。
人員は減らされる、業務量は増える、締め切りは早まる。
辞める直前は昼食の時間すらなかった。
Q:上表のように掘り下げてみて何が分かった?
A:サラリーマンのままでは「自分にはどうすることも出来ないことばかり」ということに気づいた。
そして、最終的に次の3つの選択肢が残った。
選択肢 その意味
① 我慢する = 状況が良くなるまでじっと耐え忍ぶこと
② 転職する = 会社を変えれば問題が解決すると期待すること
③ サラリーマンを辞める = 生き方そのものを変えること
前述のとおり①と②は「サラリーマンを継続する」ことが前提となっている選択肢だ。
③は違う。
③は「サラリーマンでいたいか否か?」という人生観の問題。
さて、上記①、②、③のうち自分はどれを選ぶのか?
僕は③を選んだ。
人生観の問題だから。
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もう一つ、見落としやすい点がある。
それは「仕事のやりがい」のことだ。
僕はかつて自分の仕事にやりがいを感じていた。
自分は「この仕事に向いている」と思っていたし「他人のお役に立てるもの」だと思っていた。
だけど、あることに気づいた。
定年退職後もそれを続けていきたいのだろうか?と。
答えがYesだったら悩むことはなかった。
好きなことと得意なことが一致しているからだ。
でも、僕の心の中の答えはNoだった。
僕がそれまで「向いている」と思っていた仕事は、定年退職したらやりたいことではなかった。
リタイヤした後はどうでもいいと思えることだった。
つまりサラリーマンの仕事としてやりがいだと感じてきたことは、サラリーマンじゃなかったらやりたいことではなかったのだ。単に「業務として自分が上手くこなせた」ものでしかないのだ。
これは多くの人にとっても意外に落とし穴なのではないかと思う。
つまり「得意だけど好きではない」のが仕事になっているということ。
一例を挙げよう。
僕が現役サラリーマン時代、隣の部署は取引データをシステムに入力するオペレーション部門だった。
素朴な疑問として、彼らはデータ入力が好きなのだろうか?
データ入力をやりたくてその業務に従事しているのだろうか?
その業務に就いたのには色々な事情や背景があるだろうが、
データ入力が好きでその仕事をやっているわけではないだろう。
ましてや定年退職後にもデータ入力がしたくてたまらないなどという人はいないだろう。
でも、日々その業務をやっていくうちに慣れてくるし、上手に対応できるようにもなってくる。
そして「業務としての役割」に応える仕事ぶりに対して「よくやっている」という評価が与えられるから、本人もその業務が得意なのだと自覚し、ひいては向いていると思うようになる。
でも、本当はデータ入力が大好きでやっている人はいないはずなのだ。
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僕自身の例も挙げてみよう。
今さらながら自分自身のレジュメ(職務経歴書)を見ると興味深い点に気づく。
様々な知識や技能を持っていることが文章のあちこちに散りばめられている。
経験も豊富であることが読み取れる。
手前味噌だがなかなか立派なキャリアだ。
でも、これらは「サラリーマンとしての僕の特技」でしかない。
言い換えると「兵隊(=家畜)としてのスキル」だ。
「雇ってもらうための技能と実務経験」を表現しているにすぎない。
これまでのキャリアの中でそれが高く評価されたことが何度かあったから「やりがい」だと感じたのだ。そしてそれが得意分野になり、自分でも向いていると思い込むようになっただけだ。
必ずしも僕の好きなことではない。
なぜなら「リタイヤした後もやりたいことか?」という問いに対する自分の答えが「No」だから。
それが証拠だ。
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