銀槌と灰色の剣 ~最強の呪刀使いは、獣に還る夢を見る~

ササキノ

第1話 遭遇

20年前、『聖戦』とよばれ、『騎士と精霊の王国』と『知恵と戒律の共義国』は各所で屍山血河を築いた。その地獄の渦中に剣神『火鼠』と呼ばれた王国の兵はいた。

 呪刀を携え、修羅さながらに多くを切ったその男は、王国と共義国の崩壊とともに森へと姿を消し、その名前は時の流れとともに「最強」という伝説へ至った。


 その男が再び目覚めるのは、ある森が帝国の管轄となって15年目のある日だった。






 その日、ガリー・オニソグランは環境調査と薬剤の原料採取のため、0層安全域とよばれる森の浅瀬を進んでいた。野営用の拠点で組合ギルドの公務員たちと離れてから、雇われの戦士職たちとの3人旅である。


 この森は、現在帝国で二番目に栄えている剣都ギルツに面しているにもかかわらず、深層でなくとも魔獣がときおり出没する。


「ですから、ふたりとも気を付けてくださいね?私だってこの槌、決して飾り物じゃないですけど。オオカミレベルが集団できたら二人までは守り切れませんから」


「はいはい。治癒職に守られたんじゃ商売あがったりだからな。やることはやるさ。この剣に誓ってな」


 黒い髪を短く切りそろえた、盾と片手剣を携えた男、ダリは答えながら疑問をいだく。


(その銀槌、胆のすわり方。本当に治療職のそれか?)

「まあいい。仕事をしよう、サルバ。後方はどうだ、さっきからやけに静かだが」


 隊の先頭にいたダリは、殿を任せていた同じく戦闘職のサルバに声をかけ、振り返る。そこには、いつものように愛用の槍を背負った黄髪のサルバが、能天気にわらって……いなかった。


「……なに?」


 女の顔。

 女の顔がサルバの首筋にかみついていた。あまりの光景に、一瞬理解が遅れる。しかし、動きが止まってしまったのは一瞬。これでも地獄の戦禍を見てきた人間。状況が、理解する時間を許す状態ではないことを理解した。

 そして、いまだ後ろを振り向いていない少女を担いで、戦友の反対方向へと、一直線に走り出した。


(女の半身に蛇の躰。蛇の魔物ラミアか?いや、蛇の魔物ラミアの顎では吸血がせいぜい。サルバの首を丸ごと頂こうってのは無理だろう。それに……)


「ダリさん、あれ、腕がろっ」

「……黙ってろっ。舌かむぞっ」


 魔力も惜しみなく使い、維持できる最高速で木々の合間を抜けていく。思い切りのいい”逃げ”はダリの得意とするところだった。負けじとガリーは、ダリの四肢と自分の舌に治癒術式をかけながら続ける。


「あれは……『王国』の負の遺産、その一つ。嵌合獣キマイラです。私は重くないけど、抱えながら逃げるなんて無理があるわ。私も戦います!」


 視界の端に靴とふくらはぎしか映っていない少女がわめく。もし、俺が1人であの国を逃げだしていなければ、今頃にはこのぐらいになった娘と話せたのだろうか。


「そこで逃げだせねぇなら、やっぱりお前は戦闘向きじゃなさそうだな!」






 逃げることしばらく。

 バキバキバキッ、といろいろへし折って蛇行する音が遠くからどんどん近づいてくる。もう結構逃げ回った気はするのだが……さすがに嫉妬がヘビに例えられるだけはある。なかなかの執着心だ。


「……ゼェ、ゼェ……ガハッ」


 赤い鮮血がにじんだ痰を吐き出す。荒くなる呼吸で喉が焼き切れそうだ。腰蓑をゆびさし、ガリーに煙幕球があと何個あるか問う。

 そう。煙幕玉はあの嵌合獣に有効だった。匂いで辿られるために振り切れはしないが、一時的に目標を失うのだろう。距離を稼いだり、ほんの少し休むことができた。


「……あと一個。あと一回ですっ。このままだったらっ、二人とも捕まっておしまいよ!もう運んでくれなくていいわ。私だって戦えるし!」

「……抜かせ」

「なんで私まで助けるの!……あなたこそ死んじゃいそうじゃないっ!」


 なにかガタガタ抜かしている小娘を黙って担ぎなおす。あと一回か。ちょうどそのぐらいで俺も限界だ。


 魔力的、身体的な能力で圧倒的にかなわない怪物から逃走するため、俺は今、麻薬のような働きの魔術を行使している。

 『王国』が崩壊まじかに流布させた、禁呪「燃身」。こいつのおかげで身体も頭も限界を超えて駆動できる。副作用は全身を焼く炎の幻覚と、燃え尽きた後の死だけ。さすがは『王国』謹製。もうしばらくは持つ。ここから先は、俺が燃え尽きるか、あのキマイラが諦めるかの競争というわけだ。


 王国から逃げた時には、あの国のものはすべてを棄てるべきかと思った。だがここにきて、正しく命を棄てるってときに役立つときた。

 情けなくしがみついていた郷愁にも意味はあったらしい。


 人生で最も誇らしい逃避のため、俺の足は力強く駆け出した。






 ダリさんに担がれてから、もうどれだけ経っただろう。

 朝、野営地を出てから、太陽はもう頂点まで昇ろうとしている。野営拠点のみんなは非難が終わっただろうか。私たちが食べられてしまえば、次はあの人たちだろう。

 ダリさんが、森の奥へ走ってくれてよかったと思う。もし、これで都市部のほうに逃げていたら対応が遅れて相当な被害になったはずだ。

 もっとも、その分私たちの帰還率は絶望的になったけど。


 少し前、最期の煙幕玉まで使い切った。ダリさんの強化と治癒で、私の魔力も尽きつつある。ちょっと普通じゃ考えられないほど、この人は動いている。運動能力的な意味でも、そこまでする動機のほうでも。


(私なんておいて、一人で逃げればよかったんだ)


 とっても歯がゆい。でも、その場合わたしが即死するのもたぶん本当だ。圧倒的理不尽にあらがう方法は、私にはない。

 できることといえば、泣きながら回復術式をダリさんにかけることだけ。それもそう長くは続かない。苦い薬草を噛みながら絞り出す魔力にも限界があるし、それより先にこの人の体が持たないはずだ。


(筋の疲労は治せるし、少し切れても治る小さい傷だ。けど腱が切れたり骨が折れるとそう何回も治せない。もう、肋骨のヒビとかまでは治せてないし……)


 このとき、ガリーは担がれていて、ダリの#体調確認__バイタルチェック__#には魔力による限定的な知覚だけを用いていた。それゆえ気が付かなかったが、男の限界はすぐそこまで近づいている。

 代謝、骨格、心肺、魔力、生命力。挙げだせばきりがないほど、男のすべては崩壊の一途を辿っていた。





MEMO


ガリー・オ二ソグラン

 治癒職の銀槌の少女。


ダリ

 戦闘職の元『王国』兵


サルバ

 戦闘職の黄髪の戦士

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