打ち出のチヅ子
@redhelmet
打ち出のチヅ子
チヅ子が仕事を終えて家に帰ると、一寸法師がやってきた。
「拙者、一寸法師と申す」
「え、嘘でしょ。なんで?」
手のひらサイズで小っちゃいが、きちんと羽織袴の正装だった。なぜか大きな信玄袋を背負っている。
どうして一寸法師がウチにやってきたの?
怪しいわねえ、新手の詐欺かしらって思ったが、彼の目が澄んでいるので、まあいいかなと、チヅ子は「おいで、こっちよ」と8畳のワンルームに案内した。
一寸法師はちょこちょこついてきた。
「今、ご飯を食べようとしていたの」
チヅ子はさつまいもをふかしたものを電子レンジから取り出した。
「あんたも食べる? お腹すいてるでしょ」
「かたじけない」
今夜の食事はサツマイモ一つ。来週になると米一合が配給されるが、それまではイモやかぼちゃで乗り切るしかない。
チヅ子は小皿に少しだけ分けてあげた。ほんの少量だが彼には山のように見えるはず。箸と茶碗を出そうとすると、
「けっこうでござる」と言って信玄袋からお椀と箸を取り出した。なるほど、これで川を下って来たってことね。
「……おわんのふーねに、はーしのかい」
とチヅ子はうろ覚えだったが鼻歌を歌った。
「もっと、食べる?」
と、いちおう聞いてみたが、量的には十分のはず。
「馳走であった」
一寸法師はきちんと正座し掌を合わせて九十度の礼をした。「こんなに腹一杯食べたのはしばらくぶりでござった。感謝である」
チヅ子は彼の食べっぷりと礼儀正しさにに感心したが、芋だけじゃなあとため息をついた。
あーあ、お腹いっぱい塩むすびが食べたいな。それだけがチヅ子の切なる願いだ。
「テレビでも、見る?」
うん、と一寸法師が頷いた。
7時のニュースをやっていた。
女性キャスターが、世界の人口は100億人を突破したと淡々と喋っている。「このままのペースではもうじき200億を超えるでしょう」
つまんないニュースばっかりねえ。独り言を言ってふと隣を見ると、一寸法師がこっくりこっくり船を漕いでいる。
8畳の部屋にはシングルのベッドと一人用の食卓テーブルがあるだけで他には何もない。チヅ子はテーブルをよけて床にバスタオルを敷いた。「枕はどうしよっかなあ」と小声で呟きながら、部屋を見回すと今日洗濯したハンカチがあったので、四つ折りに畳んでくるくるっと丸めてバスタオルの端に置いた。
チヅ子は一寸法師の目を覚まさないように気をつけながら、そっと両の掌に柔らかく包んで、ハンカチの枕の上にちっちゃな頭が載るようにタオルケットの上に寝かせた。
着替えはどうしようかなと思ったが、信玄袋の中を覗くのはやめた。このままで、まあ、いっかあ。
おやすみなさい。
こうしてチヅ子と一寸法師との同棲生活が始まった。
チヅ子は一寸法師を肩に乗せて街中を散歩するのが日課になった。
「あら、ま」
「かわいいっ」
「ひょっとして、一寸法師?」
道行く人は最初驚くが、他人のことにかまう余裕もなくそそくさと通り過ぎる。
みんな自分のことで精一杯なのだ。
でも、どうして一寸法師が家にやってきたのだろう。チヅ子は初めて会ったときの疑問にどうしても立ち戻ってしまう。吉兆なのか凶兆なのか、不条理劇のようにわけのわからぬことがこの世界に起こり、知らぬ間にその世界に入ってしまったのだろうか。
考えてもしかたない。チヅ子は最近あまり考え込まないようにしている。だって、世の中おかしなことが多すぎるんだもの。
日本の少子化対策は功を奏せず、少子高齢化が進み労働力人口が激減した。農業や漁業の担い手が足らず食料は輸入に頼らざるをえない。しかしアジアアフリカの人口爆発は続き、こちらも食料が足りない。どこの国も他国に輸出するほどの食料はなかった。
加えて、地球温暖化による異常気象の連続である。小麦や米は言うまでもなく、あらゆる作物は熱波にやられ、収穫高は激減した。
世界の街頭から食べ物が消え、食べ物をめぐる争奪戦で死者まで出る始末。ついに各国政府は食料の配給制に踏み切った。配給切符が各家庭に割り当てられ、人数分の食料しか手に入らなくなった。各家庭は自給自足、つまりさつまいもやかぼちゃを庭に植えて食べるしかなかった。
チヅ子と一寸法師はしばしば散歩をした。チヅ子の仕事が終わった後とか土日に二人して出かけた。
「ボウシさあ、どっか行きたいとこある?」
一寸法師のことをチヅ子はボウシと呼ぶようになっていた。
「チヅ子殿、拙者は海にでも行きたいのでござるが」
今日は砂浜に隣同士座って海に夕日が沈むのを見ることにした。
海風が肌を優しく撫でる、潮騒が耳をここちよくくすぐる。世界は滅びるのだろうか、真っ赤に沈む夕日を見ながらチヅ子はパセティックな思いにとらわれた。
こういうとき隣にいる誰かにもたれかかり、肩をだいてほしい、チヅ子はせつにそう思った。隣をチラと見た。ちっちゃな一寸法師が正座して海の彼方を見つめていた。肩を抱いてと望むのは無理そうね。
「茫洋の海……あの海の彼方には何がござるのであろう」
あら、ボウシもちょっぴりセンチメンタルになっているのかしら。
チヅ子はため息をつき、首を振り現実的になろうとした。
お腹すいたなあ。大きな塩むすび食べたいなあ。
「ところでさあ、ボウシ。あんたのその信玄袋には何が入ってるの?」
「これでござるか?」
と一寸法師はごそごそ袋の中を探って「拙者の大事なものでござる」
「ははーん、着替えね。パンツとかシャツとか」
「ぱ、ぱんつ! そんなあからさまな言葉を使うでない」
一寸法師は顔を赤らめた。「それに、拙者はパンツなどはいておらぬわ」
「ははは、ごめんごめん。ボウシ」
チヅ子は袋を傍に寄せようとした。「じゃあ、袋の中身をちょっと見せてよ」
「だめでござるよ」
一寸法師は抵抗したが、力でかなうわけがない。
「なにが出るかなあ、なにが出るかなあ、ボウシの袋~」
チヅ子は変な節をつけながら中を探った。手に堅いものが触った。なんだろう、これ。この形状は金槌? なんでこの人が金槌をもっているの?
チヅ子はそれを袋から取り出した。
金槌ではなかった。木で作られている。
「なあに、これ」
チヅ子は首をかしげて一寸法師に聞いた。
「これは、大事なものでござる」
「だから、なによ」
「打ち出の小槌」
ああ、これが有名な打ち出の小槌かあ。これを振り回すと何か願いがかなうという魔法の小槌ね。
一寸法師はゆっくりと頷いた。
「じゃあ、振ってみてよ、ボウシ」
一寸法師は下を向いた。
「どうしたの? ボウシ。願いがかなうように、やってみればいいでしょ」
「それができれば、もうやってござるわ」
いつになく一寸法師は声を荒らげた。
「あ、ごめんね」
そうだ、彼にはこの小槌を振るほどの大きさが足りないのだ。重くて持てない。宝の持ち腐れじゃないか。
「じゃあさあ、私が振ってあげようか、代わりに?」
彼の目をまっすぐ見て言ってみた。
「ほんとで、ごわすか」
一寸法師は目を丸くして驚いた。小っちゃい目がまん丸になって、つぶらな瞳とはこのことだ。
チヅ子は小槌を手にしてみた。握ってみると掌にフィットして心地よい感触があった。試しに振ってみると余分な力を入れないで手首の返しだけで自在に動いた。お、いい感じだな。
チヅ子はパーカッショニストになったように小槌をリズムよく振った。
「チヅ子殿、そんなに振ると災いが起こる」
一寸法師は低い声で諫めた。
「そうなの? ごめんね、ボウシ。なんかこれ、持つと自然に振れちゃうのよ」
「これは昔鬼が持っていたのを、拙者が鬼をやっつけて持ってきたものでごわす」
「ふーん、鬼ねえ」
「拙者はまだ振ったことがござらぬ。むやみに振ると鬼の災いが降り注ぐかもしれぬ」
一寸法師は早口でそう言ったが、チヅ子は小鎚を手首で動かしている。
「ところで、ボウシさあ、どうしてウチにやってきたの」
何気なくチヅ子は言ってみた。
すると一寸法師は固まったように黙ってしまった。
「そうね、それは聞かないことだよね」
チヅ子は謝った。「誰にも言えないことってあるからね」
「すまぬ。チヅ子殿。申し上げられんのだ」
一寸法師は頭を下げしばらくそのままにしていた。
「いいわよー。そんなマジにならないで。私があなたの代わりに振ってみることにするわ」
「そうでござるか」
一寸法師の目が輝いた。
「願いごと、心に唱えるんだったよね」
「そうでござるが、拙者の願いと実際に振るそなたの願いが一致しないと願いは叶わないはずでごわす」
「じゃあ、私の願いはねえ……(塩むすび)」
「おー、ちょっと待った。チヅ子姐さん!」
一寸法師は身体に似合わない大きな声を出した。「だめですよー、古来から魔法の言葉を事前に教えちゃ、願いはかなわないことになってますよ」
「ああ、そうだったわね」
危ないところだった、とチヅ子は思った。
「じゃ、それぞれに心の中で唱えることにしましょうよ」
一寸法師はうんと頷いた。
「いくわよー」
千鶴子は一寸法師の目を見て小槌をゆっくり振り始めた。
一回、二回、三回……。
ゆっくりゆっくり、小槌を振るう。いや小槌自体がその重みで動いている。まったく力を入れていないのに小槌は自然に上下運動を始めていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。永遠のような刹那のような時が流れ、ふと気づくとチヅ子の隣には羽織袴の目元涼しく凜々しい青年がまっすぐ前を見て正座していた。
「……ボウシなの……?」
チヅ子は隣の青年におずおずと声をかけた。
青年はゆっくりと顔をこちらに向けた。
「ああ、打ち出の小槌が威力を発揮したようだな」
言葉遣いも現代風な若者みたいに変わった。
「ボウシ! あなた大きくなったのね、打ち出の小槌が効いたのね」
「ああ、そうみたいだ」
青年は海の彼方をまっすぐ見つめていた。頬が夕日に赤く染まっている。「チヅちゃん、ちょっと砂浜を散歩しようか」
青年が立ち上がった。
「うん」
チヅ子は元気よく返事してスカートについた砂を払った。
海岸線が遙か彼方まで遠く続いている。夕日が沈み、赤と言うより紫がかった雲がたなびくなかを、いつしか二人は手をつないで歩いて行った。
その夜、チヅ子と一寸法師は結ばれた。
「ボウシ、おはよう」
「おはよう、チヅちゃん」
「よく眠れた?」
「うん、いっぱい眠ったよ。きもちいい朝だね」
朝の散歩に仲良く手をつないで出かけた。通りの角を曲がったところだった。
突然巨大な虎が現れた。
「嘘でしょ!」
とチヅ子は叫んだ。
ボウシはチヅ子の前に立ち塞がり両手を広げ、あっちに行け、しっ、しっと大きな動物を追いやった。
その動物は「ニャー」と鳴くと、塀に飛び乗り、のろのろ歩いて行った。
「え、今のなんだったの。たしかに虎だったはずよね。あんな大きな猫なんていないわよ」
ボウシは頷くだけだった。
海辺に行った。
朝の海がきらきら輝いている。
チヅ子とボウシは砂浜に座った。チヅ子はボウシの肩にもたれ、朝日に輝く海を見つめていた。
すると、目の前の海辺に巨大な鯨が現れた。
一頭ではない。群をなして泳いでいる。
「え、なんでこの海にクジラがいっぱいいるの?」
チヅ子は思わず知らず独り言のように呟いていた。「どうしてなの、ボウシ。あなたは知っているの?」
「チヅちゃん、よく見てごらん。泳いでいる魚たちを」
チヅ子は目を凝らして見つめた。
鯨ではなかった。それはどうみてもイワシやサバだった。
不条理な世界が身近に迫り、いよいよ世界は滅びるのか。
二人は散歩をやめて家に帰った。
朝7時のニュースをつけてみた。
女性キャスターが興奮気味に喋っていた。
「繰り返します……。市民のみなさま、落ち着いて下さい。街角に大きな虎が現れたり、海に鯨が回遊したりしていますが、これは猛獣や海獣ではありません。理由はわかりませんが、昨日、突然、人類は小型化しました。しかも人だけが小さくなった模様です。他の動物や植物などは元の大きさのままです。また、この現象は日本だけでなく、世界的に起こったことのようです。なぜだかわかりません。誰かが魔法の杖を振ったのかもしれません。なので、市民のみなさま、落ち着いてくだい。……繰り返します。昨夜人類は突然小型化しました。……」
チヅ子は合点した。
「ボウシ、あなたの小鎚のせいね」
「……」
「打ち出の小槌は、ふつうに振ると身長が伸びるんだけど、逆のことが起こったのね」
「そうみたいだね」
「あんたが大きくなったんじゃない。みんなが小さくなったんだ」
ボウシは笑みをたたえている。
「あたしの名前が『チヅ子』だから? 小鎚の逆。ウチにやってきたのは……」
ボウシ、ひょっとして、あんたは地球の食料危機を救うために?
ボウシはキッチンで料理を始めたらしい。
「チヅちゃんさあ、あの海辺で小鎚振ってくれたじゃない?」
「うん、振ったわよ」
「あんときさあ、君は何を願ったの」
「教えてほしい?」
「ああ、教えてほしい」
「でも、口にすると願いがかなわなくなるんじゃなかったかしら」
ボウシは、はははと笑って、
「それもそうだね。黙ったままでいようか」
ボウシは、キッチンで作った料理を大皿いっぱいに載せて持ってきた。大皿といっても今までの小皿にすぎなかったが。
「一緒に食べようよ」
ボウシは大きな塩むすびをチヅ子の目の前に差し出した。
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