ゴールテープ病

水瀬白龍

ゴールテープ病

 僕達のかけっこは、そんじょそこらのものとは一味違う。


「いちについてー!」


 少し先にいる良太の声に、並んで立つ僕とカナタは体に力を籠める。


「よーい、ドン!」


 その声に合わせて、僕達は走り出した。公園の芝生を踏みしめてグングン走る。風にも負けず全力で走る。カナタを追い越して、カナタに抜かれて、けれど、僕は再びカナタを追い抜いて——。


「ゴール!」


 ついに、僕はゴールテープを切った。青空にヒュウッと舞い上がるゴールテープ。この爽快感が、僕はたまらなく好きだった。


「おめでとう! とっても速かったね!」


 その場に座って息を整えていると、良太の向かい側でゴールテープを握っていた春子が、僕のもとに駆けつけてきた。僕はそれにニッと笑って「当たり前だよ!」と拳を天に突き上げる。それを見ていたカナタが悔しそうに歯を食いしばって「もう一回」と低い声で言った。


「駄目だよ。次は良太と春子が走る番なんだから」


 僕が呆れたようにそう告げると、カナタは不満そうにしながらも頷く。


「いいか。次やるときは、絶対に俺が勝つ」

「望むところだよ!」


 僕はぴょんとその場に立ち上がって、芝生の上に落ちたゴールテープを拾った。

 その白い布には色とりどりのマジックペンで様々な落書きがされている。勿論、これらを書いたのは僕達四人。つまり、これは皆で一緒に作り上げた最高のゴールテープってことだ。——だから、僕達のかけっこは特別なんだ。

 小学校が終われば、僕達は毎日のようにこうして公園に集まってかけっこをする。どんな遊びよりも楽しい、僕達だけの特別なかけっこだ。

 僕は特製のゴールテープの片端をもって、もう片方の端をカナタに渡す。二人で協力し合ってピンとゴールテープを張ってから、僕は既にスタート位置についていた良太と春子に向かって叫んだ。


「いちについてー、よーいドン!」


 ——これが、僕達の大好きな日常だ。


 *


 その日も僕達は四人で集まってかけっこをしていた。今日だけで何回もゴールテープを切って競争したけれど、さすがに疲れてしまったから、今はちょっと一休み。僕が芝生の上で寝転んでいると、その横でスマホを触っていた良太が「あっ」と声を上げた。


「ニュース速報だって」

「え、速報?」


 僕はよっこいせと立ち上がって、良太のスマホを覗きみる。カナタと春子も自分のスマホを取り出し始めていた。


『ニュース速報です。つい先程、未知なる病が確認されました。その病は特徴的な原因により、ゴールテープ病と命名されました』

「ゴールテープ病? なんだそれ、聞いたことねぇなあ」


 首を傾げる良太に、僕は呆れた視線を向けてしまう。


「未知なる病なんだから、君が知っていたらおかしいでしょ」

「あっ、そりゃそっか」


 良太はちょっと抜けているんだ。ハッとしたような表情になった良太を無視して、僕はスマホの画面を眺め続ける。


『この病に罹患すると、世界中のゴールテープが切られるたびに、体内の神経が一本ずつ切れていきます。神経が切れる瞬間には激痛が走り、重要な神経が切れるたびに患者は死に近づいてゆくのです。日本政府はゴールテープの使用を控えるよう呼び掛けています』


 ニュース速報はそこで終わるが、僕達は黙ったままだった。四人で顔を見合わせる。そして、皆の視線が自然と芝生の上に放られたままのゴールテープに向けられた。それは僕達が皆で作り上げた、僕達だけの特別なゴールテープ。あれがあるからこそ、僕達はかけっこが大好きなんだ。

 ゴールテープを切るために、僕達は走り出す。それなのに、こんな病があるなんて。


「ねぇ、これって、私達のゴールテープも誰かの神経が連動してるってこと?」


 春子が問いかけると、カナタが自分のスマホをしまいながらため息をついた。


「……そういうことなんだろ」

「ちょっと待てくれ。話が難しくて良く分かんねぇよ! 結局、どういうことなんだ?」


 キョロキョロと僕達の顔を見る良太の顔は不安そうだった。けれど、僕達がここで何を話していても現実は変わらない。

 僕達のゴールテープは、見ず知らずの誰かの体内を走る神経そのものとなった。


「要するに、僕達がここでゴールテープを切るたびに、誰かが苦しんで死んでいくんだよ」


 こうして、僕達は大好きなかけっこを奪われた。


 *


 やっぱり、ゴールテープのないかけっこは面白くない。ただ走るだけじゃ意味がないんだ。

 休憩を終えた僕達はゴールテープなしでもう一度かけっこをしてみたけれど、結果は「つまらない」の一言だった。だって、ゴールテープめがけて走るっていうのに、それがないなんて話にならないじゃないか。


「ちぇっ、もうかけっこはやめようぜ」


 良太が不満そうに声を上げると、春子が眉を下げる。


「でも、それなら何をするの?」

「俺、ゲーム機なら持ってる」


 カナタが鞄から携帯用ゲーム機を取り出すけれど、僕は首を横に振る。


「僕達は持ってきてないから一緒に遊べないよ」

「うーん、困った」


 僕達は皆でウンウン首を捻る。そんな中、カナタがポツリと「暑い」と呟いた。

 確かにカナタの言う通りだ。今は夏だし、さっきまで走っていたのだから暑くてたまらない。僕も汗をかいている。

 そこで、僕はいいことを思いついた。


「あ、駅前のショッピングセンターでも行く?」


 あそこなら涼しそうだ。




 そうしてショッピングセンターの目の前までやってきたのだけれど、そこで春子が転んだ。


「きゃっ!」

「あ、大丈夫?」


 僕が慌てて駆け寄ると、彼女は顔を上げてうんと僕に頷きかける。


「平気だよ。でも、ちょっと靴紐がほどけちゃったみたいなの。私は結びなおすのが遅いから、皆は先に行っていて」

「いや、別にそんくらい待つぜ」


 良太はそう言ってスマホを取り出す。こういうちょっとした隙間時間を潰せるスマホはすごいと思う。僕達の四人の中で僕だけがまだスマホを買ってもらえていないから、正直なところ羨ましくてしかたがない。僕は良太の背後からひょこりと画面を覗き込む。


「良太、何を見ているの?」

「テレビ」


 外出先からテレビが見られるなんてすごいな。目を輝かせている僕に、良太がチャンネルを変えてみせてくれる。すごい、本当に家にあるテレビみたいだ。


「すげぇだろ?」

「うん、すごい」


 得意そうな良太に、素直に頷く僕。こうして僕達はテレビを見ていたのだけれど、ふと、とある番組に目がいった。


『つまり、先日海外で観測されたあの巨大竜巻は、地球温暖化が原因の一つだったんですね』

『本当に稀にみる大規模な竜巻でしたねぇ。亡くなった方々も多かったとか……』

『そうです。地球温暖化による異常気象によって、世界中で多くの人々が被害にあい、命を落としています。地球温暖化を止めるために我々にできることは多くありますよ。まずは節電。冷房の設定温度を見直しましょう』


 テレビの中の人がそう言った瞬間、僕達の目の前でショッピングセンターの自動ドアがウィーンと開いた。買い物客が出てくると同時に、冷気がブワリとこちらに押し寄せる。

 僕はそれに、寒いと感じてしまった。


「なぁ、見ろよ」


 そこで、一人で立っていたカナタが口を開く。そちらを振り向くと、彼は靴紐を結び終えた春子と並んで、どこかをジッと見つめていた。その視線の先では、数人の男女が箱をもって声を張り上げている。


「募金をお願いします!」

「世界には助けを必要としている子供たちが沢山います!」

「この寄付はワクチンになり、世界の子供達に届けられます!」

「ワクチンがないために命を落としている子供が大勢います!」

「どうか募金をお願いします!」


 その横を二人の男の人が通り過ぎた。


「久々に映画でも見に行かないか?」

「いいね。帰りに飲みにでも行こうか」


 そして、寄付を訴えて必死に声を上げる人達には見向きもせずに去っていった。

 僕達はその様子を眺めて、そして顔を見合わせる。

 開閉を繰り返すたびに冷気を大量に漏らす自動ドア。募金活動の前で足を止めることなく駅前を行き交う多くの人々。大勢の人々が苦しみの中で死んでいくこの世界は平和だった。

 

 大人たちはそうやって生きている。


「そっか。これでいいんだ」


 だから、僕はそう呟いた。


 *


 僕達はまた公園に戻ってきた。皆でじゃんけんをして順番を決める。

 まずは僕と春子で走って、良太とカナタでゴールテープを持つことになった。僕は春子と一緒にスタート位置に並ぶ。


「絶対に勝つからね!」


 春子は両手を握りしめて意気込んでいた。実は、春子はクラスの中で一番足が速い。でも、僕だって負けない。


「望むところだよ」


 僕は彼女にそう言って笑いかけた。


「おい、準備できたか」


 離れたところで待機するカナタが僕達に呼びかける。その手には僕達特製のゴールテープ。皆で作った大切なもの。


 そして、それは誰かの神経でもある。


「準備できたよー!」


 僕がそう言って大きく手を振ると、今度は良太の大声が聞こえてきた。


「いちについて!」


 僕と春子はグッと体に力を籠める。もう、ゴールテープ以外は目に入らなかった。空中にピンと張られた細い布。あれを切る爽快感がたまらない。


「よーい!」


 だから、僕達はあれをめがけて走り出すのをやめられない。


 そのせいで、苦しんで死ぬ人がいるんだろうけれど、大丈夫。

 だって、みんなそうして生きているもの。


「ドン!」


 そして、僕達はスタートを切った。


(終)

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