5-1 誰も死んでないから一花ちゃんも安心だよね?

 音無七緒が死んだ学校裏の教会での出来事のあと――。

 無力感と絶望に包まれて錯乱した私がそのあとどうしたのかは全く覚えていなかった。

 ふと気付けば私は自分のベッドの上にいて、パジャマを着て横たわっていた。

「いま何時だろう……。んっ、頭がズキズキする……」

 ――と、ふと下から人の気配がする。

 トコトコという足音や、ジュージューという何かを調理する音。

 最近久しく聞いていなかった、人間らしい家庭的な生活音だ。

 それで気付く。

「お母さん、お母さんが帰ってきたんだ!」

 パッと気持ちが明るくなり、私はパジャマ姿のままリビングに向かう。

「お母さん――」

「あ、一花ちゃん、おはよう♪」

「――――っ!」

 仁美はキッチンで料理をしながら私ににこやかに挨拶してきた。

 ザーッと血の気が引くのを感じた。

 そんな私をみて仁美はきょとんとする。

「どうしたの?」

「どうしたのって、それはこっちのセリフでしょ! 仁美、いったいなにをしてるの?」

「え? だって一花ちゃんが言ったんだよ? "一人は寂しい"って♪」

 そういえば昨日、そんな話をした気もするけど。

「しばらく一花ちゃんのパパもままも帰ってこないんだよね? だから私が一花ちゃんのママになって、一花ちゃんのためにご飯作るの♪ ほら、しばらくお父さんもお母さんもいないんでしょ? だから一花ちゃんのために、私がしばらく一花ちゃんのママになってあげる♪」

「………………………………」

 昨日の記憶がイヤでも蘇ってきて、私の背筋に霜柱のような強烈な冷たい恐怖がせりあがってくる。

 私は、仁美の願いをかなえてあげるための覚悟をしたはずだった。

 なによりそれが私にとっての、わずかながらの罪滅ぼしになるとも。

 だが、今私が感じているこの感覚はいったい何なのだろうか?

 命を失った彼女たちの姿が脳裏によみがえる。

 いま私の目の前にいる仁美はもう私が知っている仁美じゃない。

 平気で人の命を奪う、妖魔だ。

 私が恐怖と焦燥の入り混じった眼差しで仁美を見ていると、仁美はクスクスと笑いだした。

「そろそろ支度が終わるから、ちょっと待っててね。朝ご飯はね、パンと、スクランブルエッグと、ウィンナーだよ♪」

 にこやかにそういう仁美に――、

「いらない」

「え、なにが?」

「だから、ご飯、いらない」

「……………………」

 私は拒絶を口にしてしまった。

 私は言い訳をする。

「その、食欲がないの。だから」

「一花ちゃん」

 仁美のねっとりとした眼差しで私を見る。

「食べるでしょ?」

「…………うぅ」

 冷たい手で心臓をなでられるような、そんな恐怖が私を襲った。

 今の仁美に逆らえば、私も殺されるかもしれない。

 あの三人のように、惨たらしい殺され方をしてしまうかもしれない。

 そんな暴力的な恐怖に心を支配された私は、仁美におとなしく従うしかなかった。

「一花ちゃん、あーんして♪」

 私の横に座った仁美は、ケチャップのついたスクランブルエッグをスプーンで差し出してきた。

「ちょ、ちょっと、それやめてよ」

「何が?」

「だから、その、小さい子供にするようなこと」

「一花ちゃん」

 仁美がまたじーっと私を見つめてくる。

「あーんでちゅよぉー♪」

「……………………」

 逆らえない。

 私はおとなしくそれを口に運ぶ。

「ウフフ♪ はい、よくできましたー♪」


 そして通学路。私と仁美は二人で並んで歩いている。

「ねぇ、一花ちゃん。私、手をつなぎたいな」

「え?」

「ダメ?」

「……………………」

 私は要求されるままに手をつなぐ。

「えへへ、一花ちゃんの手、柔らかいなぁ」

「そ、そう」

 通学中にふと気づく。

 そういえば昨日、学校裏の教会が火災で燃やされてしまったが、あのあと結局どうなってしまったのだろうか?

 七緒はガソリンでもまいたのか、火の手は凄まじい勢いだった。

 学校から特に連絡などは来ていないが、さすがに火事になった上に学校の生徒が命を落としたのだから、普通に考えたら休校になると思うのだが――、

 だがそれを仁美に聞くわけにもいかない。

 どうせ無駄になるだろうが、とりあえず学校には行こう。


「嘘でしょ」

 学校はまるで何事もなかったかのように普通に開いていた。

 生徒たちも火事が起こったことなんか知らないかのように普通に登校している。

 いや、そもそも警察や消防がやってきた気配もなかった。

「どうしたの一花ちゃん?」

「だ、だって昨日は火事が――」

「火事なんてなかった」

 気付くと、教室の前に立っていた。

「おっはよー、朝から見せつけてくれるじゃん、熱いねー! ラブラブカップルめ!」

「京子……」

 呆然と私は友達の名前を口にする。

 横にはニコニコと笑っている仁美。

 手を見ると、私は一花と手をつないで教室に入っていたのだ。

「……………………」

 私はなかば呆然としつつ、ゆっくりと仁美から手を離し、自分の席に座った。

 京子はからかうような感じで私に話しかけてくる。

「朝から手をつないで登校とか、本当に二人は仲いいんだねー。私も女の子の恋人ほしいなー。そういえばどっちから告ったの?」

「京子、違うよ、別に私と仁美は付き合ってないから」

「あはは、何言ってるんだよー。みんな知ってるぞー、二人が恋人同士だって」

「違うって言ってるでしょ!」

 つい声を荒げてしまったが、京子は口をとがらせている。

「そんな恥ずかしがらなくていいのに、ねー?」

「そうよ、そんなふうにごまかされたらかえって傷付いちゃう」

 七緒が話に加わる。ごく自然と。

「だよねー。七緒っち本当は一年の時から一花が好きだったのにねー。それで仁美にやきもち妬いてたんでしょ?」

「そうよ、でももう二人が好き合ってるなら仕方ないし」

「いっそ私たちが付き合わない? なんちゃってー☆」

「あ、いいんじゃない? 七緒ちゃんと京子ちゃんお似合いだもん」

「じゃあ私はハルカちゃんとカップルになろうかなー」

 京子と七緒がじゃれあっていると、今度はハルカと睦月も話に混ざってくる。

 睦月、ハルカ、そして七緒。

 三人とも仁美に殺されたはずなのに。

 なのにごく自然に、私の目の前でわちゃわちゃと楽しそうに話している。

 私はそんな彼女たちを見て凍り付いていた。

「なんでみんな生きてるの?」

「は?」

「だって三人とも死んだじゃない! 睦月ちゃんも、ハルカちゃんも、七緒ちゃんも! みんな仁美の手にかかって――!」

「え? 一花、何言ってるの?」

「てゆーか死んだ? 私が? 仁美の手にかかって?」

「一花ってそういうジョーダンが言えるんだね、アハハ♪」

「嘘、ウソでしょ?」

「みんな生きてるよ。だから、なにも起きてなんかいないんだよ」

 それまで一切会話に参加してなかった仁美が、私の事を背後から抱きしめてくる。

「これで安心したよね? 一花ちゃん?」

 そして気付けば、みんなが私の席を囲んでいた。

 みんな私を見ている。

「うわー二人熱いねー、二人を見てるだけで火傷しそう♪」

「やめて! やめてよ! その拍手をやめて!」

「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「「「「あはははははははははははははははははははははははははははははははは♪」」」」

 私がどれだけ訴えても、みんな拍手を辞めない。

 それどころかみんな私を見てゲタゲタと笑い続けている。

 身体がガタガタと震え始める。

「う、うぅ……。あっ――」

 こみ上げてくるものが我慢できず、私は吐いた。

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