3-2 私が自殺したことなんて忘れてよ。

 今年の四月、高校三年生が始まったとき、仁美が声優としてプロデビューしたことは学校で評判になった。

 クラスはその話題で持ちきりになり、仁美はちょっとした人気者になっていた。

 だけど、昨日仁美が学校にいた間、京子も含めて誰も仁美の声優デビューついて口にする人はいなかった。

 みくりによれば、昨日の朝を境に「仁美が声優デビューした」という情報が綺麗さっぱり消えていたのだという。

 だが、それによってみくりは異変を察知。

 嫌な予感がして学校を監視していたところ、死んだはずの仁美が普通に学校生活を送り、そして私と一緒に仲良く下校し、私のお家で遊んでいるのを目の当たりにした。

「ぶっちゃけ、ただ妖魔になったというだけでならこんなこと起きないわ。おそらく仁美にはもともと非常に高い魔力が備わってて、妖魔になったことで解放されたのでしょうね。ここまでくると、妖魔というよりはある種の魔女に近いかも……」

「は、はあ……」

 仁美が自殺して怨霊として蘇ったまではともかくとして、妖魔だの怪異だの魔女だのと言われると正直オカルトすぎて混乱する。

 しかもそこに来て「仁美が声優デビューした事実が消滅した」というのは、いったい何の意味があるんだろうか?

「でも、この均衡も長くはもたないと思うわ」

 再びみくりが真剣なまなざしになる。

「今話した通り、妖魔は強烈な負の想念の塊。そう遠くないうちに妖魔になった仁美は暴走を始めるわ。遠くないうちに、周囲に災厄を振りまき、多くの人たちの命を奪う怪物になる。仁美がもともと持っている魔の力の強さを考えると、そうね、最終的にはこの町に住む人間たち全員を祟って、全ての命を奪い去ってしまってもおかしくない」

 突然とんでもない話をされて、私は驚く。

「そっ、それってつまり、私のクラスメイトとか、お父さんやお母さんも!?」

 みくりは首を縦に振って肯定した。

「ええ、仁美と何かしら縁がある人たちから死んでいくでしょうね。当然、その中には私も含まれてくる。まぁ順番的に言ったら、最初はとにかく恨みの対象になる相手から、徐々に関係が希薄な人たちが巻き添えになって――」

「だ、だめ、そんなの絶対にダメ!」

 人が死ぬ。その話に私は気が動転しかけたが、そんな私をみくりはなだめる。

「落ち着いて、今すぐどうこうって話じゃないだろうから。仁美を観察する限り、理由はよく分からないけど、一花といることで安定しているように見えるし。とにかくまずは私の方で調べてみるから」

「調べるって、何を調べるんですか?」

「さしあたり心当たりのあること全部、総当たりしていくつもりだけど――」

 みくりはコツコツと音をたてながら歩き回り、考えを整理するように歩きながらしゃべり続ける。

「そうね、とりあえず仁美も弟もどっちも自らの意志で命を絶ってるの、本当にただの偶然の一致なのかが気になるし……そこから調べようかしらね」

 みくりの声はほとんど独り言のような言い方だったが、私はきょとんとした。

「え? 弟?」

「だから仁美のパパのことよ。私は仁美の叔母だって言ったでしょ」

「あ、そういうことですか……」

 なるほど、みくりは仁美のお父さん側の肉親なのか。

 そういえば写真で見た仁美の父親の髪の毛も、仁美と同じ色。

 みくりの髪の毛の色もそっくりだから、もしかして遺伝だろうか?

 それはともかく、仁美の父も自殺だったというのは初耳だ。

「でも、仁美のお父さんが亡くなったのってもうだいぶ昔ですよね?」

「ええ、確か10年くらい前かしら」

「そんな昔の事が関係あるんですか? 仁美もお父さんの事はよく覚えてないって言ってたし」

「一花、肉親を失った遺恨はね、年月が経ったなんて理由で消え去る話じゃないの。ましてや経験則から言って、人間が悪霊になるほどの強い恨みの背景には、なにかしらの形で親族が関わってるなんてことも多いからね。知ってる? 世の凶悪事件はね、被害者と加害者の面識率や親族率がかなり高いのよ? 仁美は自分で自分をあやめた。自分の父親と同じように。この一致、本当にまったくの無関係と思えるかしら?」

「は、はあ……」

 頭の回転が速いタイプなのかもしれないが、ほとんど一方的にまくしたてるみくりに、私は置き去りにされている気分だった。

 しかし私が置いてけぼりにされていることに気付いたのか、みくりは話題を巻き戻した。

「ま、弟が命を落としても大して気にしてあげなかった私が、こんなことを言う資格もないんだけどね」

「仁美のお父さんは何で自殺を?」

「私もよく知らないわ、私のお母さん……あ、仁美のおばあちゃんね。あの人も口が堅くて私には何も教えてくれなかった。だからこそ、言えない何かがあるんだと私は思う。私は昔から自由奔放に生きてきたから家族とも疎遠で信用無かったのよ」

 そこからはもう完全に余談だったが、私にとって仁美の知らない一面を知る話が始まった。

 みくりと仁美が初めて出会ったのは、なんと仁美が6歳になった頃だったという。

 それまでみくりは自分の弟が結婚していたことも、姪が生まれていたことも知らなかったのだ。

「でもね、仁美とはウマがあったのよ。感性が似ているというか。私が開く舞台演劇を見に来てくれたり、遊園地や水族館に遊びに行ったりね――。まぁ仁美が高校に入った後は、私も何かと忙しくて、あんまりかまってあげられてなかったけど」

 みくりは頭に手を当てて、突然苛立ったかのように大きなため息をついた。

「はぁ。仁美もバカだけど、娘を置き去りにして自ら命を絶つなんて、ホントにバカな弟……。人の命を助ける仕事を選んでおきながら、自分の命は粗末にするなんて……娘をほっぽり出して」

「えっ?」

 私はその話に目を見開いた。

「? なによ?」

「あ、あの、仁美のお父さんって何のお仕事をしてたんですか?」

「医者だったらしいわよ。詳しく知らないけど」

「そうなんですか?」

 私は目を見開いた。

 仁美の父親も医者? 私のお父さんと同じように?

 ただの偶然と言えばそれまでだが、私の父親との奇妙な重なりに、私は違和感を覚えた。

 そこで一度話が終わり、みくりは改めて仁美のことに話を戻した。

「生前の仁美は、ずっと不幸のどん底にいた。パパもママもいなくなって。唯一の希望だった将来の夢も、自殺というかたちで自ら断ち切って――」

「……………………」

 罪悪感を刺激されて胸が痛んだ。

 彼女が目指していた将来の夢。

 それを踏みにじったのは、まちがいなく私だ。

「いまさら取り返しがつかないけど、それでも私は今からでもできることをしたい。だから一花、あなたも協力して」

「きょ、協力って……、いったいなにをどうすれば?」

「別に難しい事は頼まないわ、お願いは2つ。一つは、仁美とこのまま一緒にいて、可能な限りあの子の精神を人間らしい状態に保っていてほしいの。理由はよく分からないけど、仁美は一花と一緒にいることで、心の均衡を保っているように見えるから」

「は、はい。それはもちろん構いませんけど……」

 そんなことで仁美の助けになるならむしろ大歓迎だった。

「ありがと。もう一つが"情報"よ」

「情報、ですか?」

「そう。妖魔になる以上、強烈な恨みを持つに至った出来事があるのよ。仁美の場合は、どうして自ら命を絶つことを選んだのか、それを知る必要がある。今話した通りで、仁美に関しては昔から不幸な境遇で、なにがどう関係しているかまだ分からないのよ。仁美が自殺した『本当の理由』を探り当てて、魂を救済し永眠させる。そのために必要なのは、彼女の無念がどこにあるのかを知ること。仁美の負の想念の出どころがどこなのか、それを正確に理解できないと、彼女の魂を救ってあげることはできないわ。だからこそ、仁美に関する情報がもっと欲しいの。今は情報が全然不足してるから、疑問のピースがバラバラの状態なのよねぇ」

「……………………」

 みくりは、それらの疑問を「ピースがバラバラ」と言っているが、

 私の中では、もうほとんどすべてが繋がっていた。

 みくりには申し訳ないが、みくりの見立ては間違っている。

 仁美の父親が何があったかは知らないけど、きっとこの件とはなんの関係もない。

 だって、全ては私のせいだから……。

 私は、その答えを持っている。

 それを今、私はみくりさんに言うべきだ。


『一花の嘘つき』

『自分の醜いところを打ち明ける勇気なんかないくせに』

『自分の弱さをさらけ出す勇気なんかないくせに』

『そうやって一花が優等生のいい子ちゃんを演じてたせいで……』

『仁美は自殺したんでしょ?』

『愚かな私は余計なこと考えないで、仁美の望むままに"親友"をやってればいいんだよ』


 私の耳元でもう一人の私がそうささやく。

 そうよ。みくりさんが言ってることは、もっともらしく聞こえるけど、実際にはなんの証拠もない。

 百歩譲って、自殺した仁美が蘇って、それによって不思議な力を獲得したのは本当かもしれない。

 でもあの仁美が、人の命を奪う怨霊で妖魔だなんて、そんなのは受け入れられるはずなかった。

 私はごまかすようにそう思い直した。

 思いつめる私の顔は、みくりの目にはどう映っていたのだろうか?

 それは分からなかったが、みくりは特に私の事を問いただすようなことは言ってこなかった。

「私もツテを使って調べるけど、もしそっちで分かったことがあれば、はい、ここにお願い」

 そう言うと、みくりはカバンから名刺を取り出し、こちらに手渡してきた。

 その名刺にはプロダクションの名前と連絡先が記載されている。

「劇団マーガレット代表取締役社長 枢木みくり?」

「そうよ。私が運営してる舞台演劇がメインのプロダクション。そもそも、半年そこそこしかレッスンしてないあの子がいきなり新人デビューできたのも、私の魔法で叶えて上げたようなものだもんね」

「そ、そうだったんですか!?」

 私は目を見開いた。

 魔法はさすがに冗談だろうが、そんな話は初耳だった。

 当時は仁美が突如声優になったことが衝撃的過ぎて、どこの事務所に所属したかとか、そんなことまで考えが及んでいなかった。

「去年の10月、仁美がいきなり"声優になりたい"とか言い出して驚いたわ。未熟だったけど彼女はすごく熱心でね、とても真剣だった。彼女はずっと不幸のどん底。お父さんもお母さんも幼い頃に失ってしまって、なに一つ良い事なんかなかった。"みく姉ぇ"としては、夢を叶えて幸せになってほしいと思うのは当然でしょ? だからこそ、どうしてその夢まで消し去っているのか、それがとにかく気になるのよね」

 また一人でまくしたてるみくり。

「ま、ともかくあの子は私のプロダクションに入ったことも含めて抹消している。だからむしろこのプロダクションが、仁美にとっては盲点になってるはずよ。これ以上アンタと直接接触して仁美を刺激したりしたら不味いからね。もしなにか分かったことがあれば、ここに書類なり手紙なりを郵送するかたちで情報を送ってくれると助かるわ。もしほかに用があったら、プロダクションに電話して伝言を伝えてね」

 情報が不足しているとか言いながら、即席でこんな結界を用意するなど、この枢木みくりがこの手の問題に手慣れているように感じる。

 ようやくひとしきり話し終えたみくりに対して、

「あの、私からも質問していいですか?」

「なに?」

「どうして私とあなただけは、仁美が亡くなったことを覚えてるんでしょうか?」

 それが正直ずっと疑問だった。

 他のクラスメイトも全然覚えてないし、それに仁美が命を落とした事実そのものが無かったことになっている。

 なのになんで、私とあなただけは覚えているのだろうか?

 みくりは一瞬だけ考え込んで、すぐに返事をしてきた。

「あくまで憶測だけど、理由は二つね。一つは、私とアンタは仁美とかかわりが深かったから、記憶の書き換えが進んでない。もう一つは、私とあなたがそこそこの抵抗力を持っているということ。私は妖魔の問題に立ち会う仕事……あー……退魔師? みたいなこともしてるのよ。アンタも、仁美の侵食に抵抗する程度には魔の力を持ってるんじゃないかしら?」

「は、はあ……」

 魔の力なんて言われてもまったくピンとこない。

「でも、多分そう遠くないうちに私たちの記憶からも、仁美が命を落とした事実は消え去ると思う。一花も、怪奇現象とかに見舞われなかったら、あの子が亡くなっただなんてただの妄想だったって、そう思ったでしょ?」

「は、はい……」

 それについてはその通りだった。

 実際、仁美が姿を現したその日から、私はもう仁美が自殺しただなんて何かの間違いだと思った。

 あの光景は、私が何かタチの悪い病気にでもかかって見た悪夢だったのだと、そう自分を納得させたはずだ。

 だがやはり、仁美はもう生きてはいないのだ。

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