第13話 虫螻(後編)
翌日智久は、初七日の法要を終えて実家を出た。午前中に、携帯電話の解約を済ませてゆうちょ銀行の口座の解約をする為にである。地方銀行が二つに、ゆうちょ銀行と母親の口座は全部で七つあった。地方銀行の予約は取ってあり、東京支店での解約手続きになるので残りを午前中に終わらせて鷲巣会計事務所に向かう予定だ。
蒼子とは直接話す事もなく過ごしており、何故昨日鷲巣会計事務所にいたのかも解らないままだ。只今回の会社継続の件で、鷲巣が蒼子の取る行動に影響を与えたのは間違えないであろう。昨日も、何かの相談に行っていたのであろう事は容易に想像出来るからである。それに昨日鷲巣が言ったあの言葉、
「まるで私が、お姉さんと結託して何かを企んでいる様な言い方だ。」っと。
まともに考えて、こちらからは何も言ってはいないのにあんな事言うものなのか?
それも、蒼子の目の前で言ったという事になる。そんな事をするのは、カッとなって思わず口にしたという事であろう。
語るに落ちるとは言いはしないが、何とも拍子抜けする程馬鹿々しい事を言い放つものだ。だが実際に、昨日蒼子は鷲巣の所に行っているのだから何かがあるのだろう。遺産相続と言ったところで、映画やドラマみたいに数億円が絡む資産家の相続ではない。琴美家の相続争いに関与したところで、鷲巣に大金が転がり込む事などないだろう。だとすれば、蒼子と結託して何の利益があるのか?六十代であろう鷲巣に、五十前の蒼子が魅力的に思えるとは考え難い。じゃあ、何のメリットがあるのか?
蒼子が会社を継続させたとして、不動産の維持もそうそう簡単ではないのだから。頃合いを見て、不動産を手放していく事を蒼子に出来るとも考え難い。蒼子の意思で会社継続を進めているのか、まさか鷲巣主導で進めているのか?
疑問に思う事が頭の中を駆け巡る中、智久は解約手続きをこなしていった。そして十一時半になる頃智久は所要を全て終わらせて、鷲巣の事務所に行ける体勢を整えた。少し早過ぎる為、喫茶店に入り軽く食事を摂る事にした。
アイスのカフェモカとホットサンドをオーダーして席に着いていると、智久のスマホが激しく震えた。モニターを見ると、地元の旧友からであった。
『もしもし?・・・・久しぶりだけど、どうした?』
十年以上は会っていない友人からの突然の電話に、智久は少々戸惑いながら出た。
『よぉ、わい(お前)のお袋さんが亡くなったって聞いたもんやけんさ。どがんしよるっちゃろうか(如何しているのかな)って思ってね。』
『ああ、・・・・・有り難う。先日亡くなってね、今日初七日まで無事済ませたとこなんよ。態々すまんねぇ。』
ありきたりの対応をしながら、智久は嫌な事を考えていた。と言うのも、彼は思春期を共に過ごした友人ではあるのだが少し曰く付きなのである。絹子所有の不動産に、知り合いを住まわせてくれと十年位前から入居している。だが家賃滞納を続けて、生前絹子の頭を悩ませていた人物だからである。
家賃を半年程滞納しては二・三ヶ月分払うという事の繰り返しで、当然滞納している期間は智久にも連絡など一切しない。都合の良い時だけお互い様、といった感じの現金な奴なのである。なので智久は、
「お袋が亡くなって、家賃の滞納が如何なっているのか探りを入れたいのだろう。」
と考えながら話しをていた。
『いやぁ〜前もって教えてくれてればさ、通夜にでも顔出したとにさ。』
『いやいや、しめやかにしてくれってお袋が言いよったけんでね。新聞の訃報欄にも載せんやったんよ。』
『ああ〜、そうやったんねぇ。ところでさ、ここの大家は誰になる?わい(お前)がなるとや?』
『はぁ・・・・?』
『いや色々大変やろうけどさ、ちょっと聞いておこうかなぁって思ってね。』
智久は何だか草臥れてきて、溜め息を吐きながら応えた。
『不動産は、姉さんが相続する事になるやろう。やけん(だから)家賃滞納分の精算方法は、姉さんと話し合ってくれんかな。まあ半年分も十ヶ月分も滞納してれば、出て行ってくれって言われるかもしらんけどね。』
『いや・・・・ちょっとまってく・・・・』
『そいじゃね、今から人と会う約束のあるけんで。態々連絡有り難う。』
そう言って、智久は一方的に電話を切った。
「友情も何もあったもんじゃねぇな。」
智久は心の中でそう言い放ち、ホットサンドで軽く腹を満たして鷲巣会計事務所に向かう事にした。何となく、故郷の全てが嫌いになりそうな空気を感じながら。
智久が鷲巣会計事務所に向かっていた頃、東京ではだだっ広い新居でパソコンのモニターを睨みつけている絵里の姿があった。智久が撮った、写真の整理をしているのである。
『えぇ〜っと、これ外部ハードディスクに移しとこうかな。それと・・・・』
独り言を呟きながら、粛々と作業をしている。バックアップをとっていると、見慣れない音声データがある事に気付く。徐にクリックして、絵里はヘッドホンを掛けた。
智久の弾くギターでイントロが始まり、ミドルテンポの曲にのって智久の歌声が流れる。瞳を閉じて曲を聴き、ゆっくりとリズムを取りながら聴き入っている。
二・三度聞き直して、ヘッドホンを外しながらボヤく。
『良い曲なんだけどなぁ、世の中の人には響かないのかなぁ。それとも、私のセンスがズレてんのかなぁ。まぁ、まだ配信してないんだろうけど・・・・。』
そんな事を言いながら、未読のメールをチェックしていく。
『明日帰って来て、健康診断にも行ってもらわないと。そして・・・・』
絵里は作業をしながら、智久の作った曲をもう一度かけた。今度は、モニタースピーカーから流して。
智久が、鷲巣の事務所に着いたのは丁度十三時半であった。事務所内に入ると、百五十センチ後半の小さな男が応対した。
『初めまして、私が鷲巣です。』
智久は軽く会釈をして、周りを見回しながら返す。
『初めまして、琴美智久です。姉は、まだの様ですね。』
『もうじき来るでしょうから、こちらに掛けてお待ち下さい。』
智久は勧められるがまま、ソファーに掛けて一息吐いた。そして書棚から資料を出している鷲巣を見て、何となく抱く違和感の原因を考えていた。
初対面の筈である。だが、何か釈然としない。歳の頃は六十代後半、白髪で小柄な男である。若かりし頃に会っていたとしても、忘れる様な感じの特徴ではない。しかしどんなに記憶を辿っても、面識がある様ではないのだが何かが引っ掛かる。
そうしていると、鷲巣が智久の前に資料を置いた。軽く目を通しながら、蒼子の到着を待つ。十分が経ったが、蒼子は来ない。鷲巣も電話を掛けている様だが、頭を捻っているとこを見ると電話に出ないのだろう。智久には既に解っている、蒼子は来ないであろう事が。鷲巣が何度も電話をしているのを横目に、智久は書類を読み進めていった。(有)コトミの資産価値等の資料を見て、具体的な数字をチェックしていると鷲巣が話しかけてきた。
『お姉さんは、何か言っていませんでしたか?』
智久は、半ば呆れた顔で返す。
『姉が、何か言っていなかったかとは如何いう事ですか?昨日、ここでご一緒だったのでしょう?私よりも、貴方の方が詳しいのではないんですかね。それに、私としてはどちらから説明してもらっても構わないんです。何故、母の言っていた事と違う事をするのかを。自宅に用意された資料を、作られた鷲巣さんは詳しい事を当然御存知でしょうからね。』
『いやぁ、私は・・・・・。弟さんは、何か勘違いをなされている様だ。私は、お母さんともお話しました。』
『お母さん・・・・・?』
『ええ、生前貴方のお母さんに会社を残した方がメリットがある事を説明しました。これから二十年後、蒼子さんと弟さんが六十・七十になった時のことも説明したんですよ。不動産をそのまま所有するメリットを、きちんと御説明しました。』
『あのさ、勘違いしているのは貴方なんじゃないんですか?俺は貴方が、お袋に何の説明をしたのかを聞いているんじゃないんだよ。姉と貴方が、亡くなる数日前にお袋が言っていた事と違う事を勧めている事の理由を聞いているんだよ。質問の答えになっていないでしょ?それに、姉は連絡が付かないんでしょう?だったら、その説明を貴方がする必要があるんじゃないんですか?』
鷲巣は、あからさまに顔を赤らめて言った。
『大体若造のくせに、私に向かって貴方とは何事だ!口の利き方ってもんを知らないのか君は!』
『ああ、その言葉そのまま返すぞこのクソ馬鹿たれ!昨日から散々、人様の亡くなったお袋の事「お母さん」なんて呼びやがって。クライアントの故人を呼ぶときには、お父様お母様じゃろうが!優しゅうしてやいよけば調子に乗りくさりやがって、引き摺り回すぞクソ馬鹿タレが!』
噛み付きそうな勢いの智久に、鷲巣は何も言えずに黙っている。怯えているのか、我慢をしているのかは分からない。だが、智久は続けて言い放つ。
『それで?何でお袋の言う事と違う事になっていて、それをお前らが二人三脚で進めてんのかの説明をしろっつってんだよ!』
『私は蒼子さんに相続に関する依頼をされたが、貴方の事に関しては依頼を拒否する事だって出来るんだ。』
智久は、鷲巣の目を見て返す。
『誰もお前に頼んでねぇぞ!』
『ああそうですか、それでしたら貴方の依頼は受けません!拒否します!』
智久も、頭に血が昇っている。額に血管を、くっきりと浮かばせて返す。
『そんな事は如何でもいいだろうがよ!何で逃げるんだよ、説明しろよこのチンチクリン!チンマイのが調子のってっと、踏み潰すぞこんハナタレ!』
智久が鷲巣の胸ぐらを掴もうとしたその刹那、智久のスマホがけたたましく鳴って事なきを得る。電話は、絵里からであった。
『この資料は、貰っていくからな!』
そう言って智久は資料を手に取り、鷲巣の事務所を出ながら電話に出た。そして絵里と話し、何とか気持ちを入れ替えながら実家へと向かうのであった。
蒼子は自宅に居た。自室に籠って、只々ぼうっとして時間を潰していた。当然スマホの電源は切ってあるし、自宅の家電に出る気はない。若い頃から大好きな男性アイドルの曲を聴きながら、蒼子はふと壁掛け時計に目をやる。時間は十六時になるところだった。蒼子の自室は、二階の一番奥にある。そこまではっきりと聞き取れるほどの、大きな犬の泣き声が一階から聞こえてきた。
「奴が帰ってきた!」
蒼子は直感で智久が帰って来た事を感じ、それと同時に身構える様な感じで奴を待ち受けた。
「アイツは必ず、今日の約束をすっぽかした事をごちゃごちゃと言ってくる筈だ。」
絹子が使っていた鍵を使って、智久が玄関から入って来るのが分かる。蒼子は、すぐにでも駆け上がってくるであろう智久を待ち構えていた。自室のドアの施錠を確認して、音楽の再生を止める。そして息を殺す様に、智久が階段を上がってくる音を聞き分けようとした。五分・・・・十分・・・・。智久は、一向に上がって来ない。
『・・・・・?アイツらしくないな・・・・?』
そんな事を思っていた時に、家電の着信音が聞こえてきた。絹子が闘病中に二階に居てもはっきりと聞こえる様にと、最大音量にしてある為に蒼子の自室まではっきりと聞こえる。
「・・・・・・・・・・・。」
一階で智久が電話を取った様だ。すると、階段を上がって来る足音が聞こえてきた。
『何?アイツが上がって来るの?・・・・・・・!』
蒼子はパニックになりながらも、自室のドアの施錠を再確認してベットに潜った。
コンコンコン・・・・・
『◯◯生命から電話やけど・・・・・。』
それだけを伝えると、智久は階段を下って行っている様だ。蒼子は自室を出て、二階の子機を取ろうとした。だが、・・・・鷲巣からの電話後無視する為に一階に置いていたのを思い出した。
『ツッ・・・・。』
蒼子は諦めて、智久が待ち受ける一階へと恐る々降りて行った。そして居間でチャロと戯れている、智久の視界から消える様に電話に出て話し出す。
『もしもし・・・・・・』
智久は、何事も無かったかの様に対応した。まあ智久にしてみれば、いざとなれば逃げ出す事は分かっていた。だが母親の死という事を眼前にして、大人になり成熟した対応をするかもしれないと僅かに期待していた。だが蓋お開けてみれば、現実はこのザマである。子供の頃と何一つ変わっていない、いや・・・・・もう直ぐ五十になると考えれば幼稚なだけである。チャロと戯れながら、智久は明日の飛行機の時間などをぼんやりと考えていた。そこに、微かに聞こえる蒼子の話し声。
別に盗み聞きするつもりはないのだが、僅かに聞こえてきた蒼子の話しに智久は愕然とした。
『ええ、・・・・・それは母が掛けていたんだと思います。・・・・はい。ですので解約を・・・・。はい、全て解約して下さい。』
「・・・・・?」
智久は、絹子が自分と蒼子の生命保険を掛けてくれているのを知っていた。毎月の賭け金が幾らかまでは知らないが、子供の為にと思って掛けてくれていた生命保険である。恐らく蒼子は、その生命保険を解約すると言っているのだ。
智久は母を亡くして、これが歳を取るって事なのかと実感した事がある。絹子は自分の生命保険から、セレモニーホールの掛け金まで自分の終活をしっかりとしていたのだ。その責任感というか自覚というか、自分の死後の事まで考えて責任ある事をしていたのである。その絹子の生き様を、智久は感嘆しながら自分もしなければいけないと思ったのだ。それが、年相応の責任なのだろうと。
だと言うのに、「今聞こえて来たのは何なんだ?」。我が耳を疑うばかりである。
正直帰京したならば、生命保険の内容まで含めてしっかりと考え直さなければと思っていた矢先に・・・・・である。蒼子の電話が聞こえてきてしまって、智久は怒りよりも情けないという感情の方が勝っていた。
そこに電話を切った蒼子が、何を言う訳でもなく智久に視線を向けていた。その視線に気付きながらも、智久は何を言う訳でもなくチャロと戯れながら荷物の整理をしていた。そこに、蒼子が話しかけてくる。
『話し合いは、・・・・・如何だったんですか?』
智久は視線を蒼子に向ける事なく、衣類をキャリーケースに入れながら返す。
『(有)コトミの資産価値とか所有不動産、その他の資料を貰ってって感じかな。鷲巣さんか、・・・・・まああの人と相談してやっていくんだとしたらよく相談してみて下さい。ん〜っと・・・それと、税理士は契約しているの?相続税の申告は如何するつもりなのか?貴方が如何したいのか。俺は明日東京に帰りますが、三十五日法要の忌明けにもう一度きます。その時までに、貴方のやりたい事などをまとめておいて下さい。お寺さんにも、忌明けの連絡とかしなくてはいけない・・・・』
そこまで言ったところで、蒼子が割って入ってきた。
『それは・・・・・それは大丈夫です。こちらで連絡します。それと、税理士は契約していません。ですので、会社の名義変更などに必要な書類を・・・・』
今度は、智久が被せる。
『いや、・・・・話し合いを持った後でしが書類は渡せません。そんで今税理士は契約していないって言ったけど、これは間違いないんやね?会社で契約している税理士は、いないって事でいいんやね?』
頷く蒼子を見ながら、智久は小さく頷いて荷造りの続きを始めた。
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