割れて、結ばれて。

貴津

割れて、結ばれて。

 暗がりでじっと身を潜める。

 息をつめ、耳をこらし、相手の様子を探った。

 ギシッ、ギシッと床を踏む音が聞こえる。

 足音は今は遠くに聞こえるが、それが近づくのも時間の問題だろう。

(こんなことになるなら……)

 そんな思いが胸をよぎるが、後悔してももう遅い。

 事態は起こってしまった。

 自分は今、危機的状況にある。


◆◆◆


 それは些細な出来事からだった。

「あっ、しまった!」

 カチャンッと音がして、テーブルからソレが落ちた。

 慌ててしゃがむとテーブルの下には破片が飛び散っている。

「ヤベ……これはルーナの……」

 ルーナ――恋人の大切にしているものだった。

 昨夜も大切そうにソレを両手でくるんで微笑んでいる姿を見たばかりだ。

(どうしよう……)

 きっとこのことがバレたらルーナは酷く悲しむだろう。

 困り果てていると、部屋の外からドカドカと足音が聞こえてきた。

「ルス!」

 バンッと扉が開きルーナが入ってくる。

 ルスは間一髪、テーブルの下に身を隠した。

 テーブルには綺麗な赤いクロスがかかっているので、それを捲りでもしない限り、その下に人が隠れているなんてわからないだろう。

 だが、ルーナは狼の獣人だった。

「ルス?」

 ルスはテーブルの下でぎゅっと身を縮める。

 きっとルーナはルスの匂いに気がついている。

だが、ここが二人で暮らしている家のリビングであることがルスに味方した。

ルーナにはルスの新しい匂いはするが、このリビングのどこにいるかまではわからないようだ。

「ルス?」

 ルーナはテーブルの周りをゆっくりと歩く。

 目の前をルーナの足が通り過ぎた時、ルスはギョッとして目を瞠った。

(お、斧!?)

 思わず悲鳴を上げてしまう所であった。

 ルーナは重い斧をぶらぶらと手にして歩いている。

「ルス? どこだ?」

 研がれた刃が鈍く光っている。

 ルスは息をつめて、気配を殺す。

 どのくらいこうしていただろう。

 時間としてはほんのわずかだったかもしれない。

 ルーナはテーブルの周りを二回りするとルスの名を呼びながらリビングを出て行った。

(このままじゃヤバいな……)

 ルスはそっとテーブルの下から這い出すと、集めた破片を脱いだ上着にくるんで抱きしめた。

(どうする……)

 耳を澄ますと、ルーナはどうやら外に出たようだ。

 土を踏む音と、ルスの名を呼ぶ声が移動している。

 このままリビングに居ても、近いうちに庭へ回ったルーナに窓の外から見つかってしまう。

(とりあえず二階へ行くか)

 ルスは素早くリビングから飛び出すと、窓の外にいるだろうルーナに見つからないように二階への階段を駆け上がった。



 二階へ上がって自室に戻るが、ルスは生きつく間もなくルーナの気配を探る。

 どうやら庭にいるようだが、ルスの名を呼ぶ声は聞こえなくなった。

 しかし――


 カンッ!


(え?)


 カンッ!


 斧で木を切る音が響く。

「な、な、なんでっ」

 斧で壁を破壊しているのか!?

 そんなに怒らせるようなことだったろうか?

(いや……)

 この家にあるものはルーナがすべてそろえたものだ。

 家具だけでなく、調度品や食器に到るまですべて。

 それを壊されたと知ったルーナが怒るのも無理はない。

 しかも、ルスが壊したのはルーナのお気に入りだった。

(このままではヤバいな……)

 しかし、どうするべきなのだろうか?

 どこかへ逃げると言う手もあるが、それは――

(逃げることは出来ない)

 ルスは一度、ルーナを置いて逃げている。

 ルスとしては逃げたつもりはないが、置手紙ひとつで恋人を置き去りにしたのだ。

 そんなことを思い出しながら、そっと窓辺に近寄りカーテンの隙間から庭を見た。

「ひえっ!?」

 思わず声が出た。

 庭を見た瞬間、斧を振り上げたルーナと目が合った。

「ルス!」

 もう逃げられない。

 ルスは覚悟を決めて、窓を開ける。

 そして、獣化すると二階の窓から飛び降りて――ルーナの前に着地して、流れるように土下座した。



「すみませんでしたぁっ!!」

 ルスは渾身の土下座でルーナに謝罪した。

 とにかく頭を低くし、尾を足の間に丸め込み、きゅーんっと鼻まで鳴らした。獣化した狼の全力土下座だ。

 ルーナの振り上げた斧の餌食になっても仕方がない。

 ルスはそれだけのことをルーナにしてしまったのだ。

「……ルス?」

 しかし、斧の刃は一向に振り下ろされず、それどころか戸惑うような声が降ってきた。

「どうしたんだ?」

「ど、どうしたって? 俺、お前の、た、大切なものをっ!」

「はぁ?」

 ルーナはドカッと横に斧を下ろし、ルスの首に上着にくるまれて結ばれているものを受け取った。

 中には真っ二つに割れてしまったマグカップ。

「これは、俺の?」

 ルーナの気に入っていたカップだった。

 ルスと揃いで用意したもので、食後に二人でこのカップで向かい合いながらお茶を飲むのが一日の楽しみだったのだ。

「割っちゃったのか」

 ほんの少し寂しそうな声になってしまったが、ルーナにこれを責める気はなかった。

「ごめんっ! 本当にごめんっ! 俺、ルーナに斧で真っ二つにされても仕方ないことを……」

「はぁ?」

 今度はルーナの方が思わず声が出てしまった。

「俺が、お前を斧で割るって言うのか!?」

「そ、そうじゃないのかっ? だって、斧が……」

 ぶるぶる震えながら言うルスは本気で怯えているようだ。

 ルスは本気で恋人がカップを割ったくらいで斧で頭を勝ち割りに行くような男だと思っているのだろうか?

「いや、その、ルーナは優しいけど、これは俺の覚悟というか……」

 問われたルスはもにょもにょと言い訳するが、ルーナは大きなため息で返した。

「これはお前に薪割りを頼もうと思ったんだよ。俺はこれから買い物に行こうと思ってたからな。だけど、お前が見当たらないから、仕方ないから料理に使う分だけは薪を割っておこうと思ったんだ」

「薪割り……?」

「そう、薪割り」

 それを聞いて、ルスはへにょんと座り込んでしまった。

「薪なら俺がいくらでも割るよ。ルーナ。……ごめん」

 ルーナはそう言ってへたり込んでいるルスの前にしゃがみ込んで、ぎゅっと狼姿の恋人を抱きしめた。

「気にするな。カップなんかまた揃えればいい」

「……すまん」

 カップを割ってしまったこともそうだが、ルスはそのカップを用意してくれたルーナの気持ちを傷つけてしまってはいないかと不安だった。

「大丈夫だ」

 ルーナはさらにぎゅっと抱きしめたのだった。


 こうして恋人たちの誤解は解かれ、二人の思いはより強まった。

 ただ、ルスがどんどんルーナの尻に敷かれて、逆らえなくなっているのも事実ではあるのだが――。


 今は、幸せを嚙みしめる物語として終るのであった。

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割れて、結ばれて。 貴津 @skinpop

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