第十一章

トニーはヴォイストレーナーに習った後にブルートパーズのアルバムのレコーディングに参加した。

ヴォーカルの部分だけ録り直すという話に、トニーはリーダーのロバートに訊いた。

「録り直すってことは前のヴォーカリストがいたってことだよね?最初に貸してくれたCDで歌っていた人?」

ロバートは無言で頷いただけで、話そうとはしなかった。

メンバーの中で無口なロバートが、普段の無口以上にめちゃめちゃ話したくなさそうなのが伝わってきて、それ以上は訊けなかった。

アルバムはトニーのヴォーカルで録り直され発売も決まった。

発売するまではライヴハウスに飛び入り参加や、ステージを設置したトラックでゲリラライヴを行うことになった。

バンドのメンバーは皆、明るく気さくでトニーは打ち解け、特にキーボード担当のジェイミーと仲良くなった。

二人は同い年だった。

ジェイミーはピアニスト志望で音楽学校に通っていて、実はリーダーでベーシストのロバートは弦楽器ならば、なんでも弾ける天才だけどピアノの先生でもあり、ジェイミーはロバートにピアノを習っていたことがある為に時々ロバートを先生と呼んでしまってバンドでは、そう呼ばないように言われていると話してくれた。

「それじゃ将来はピアニストになるの?ブルートパーズは、どうするの?」

と、訊くトニーにジェイミーはニヤリと笑った。

「鋭いところ突くね」

「いや、気になるところだろフツー」

と、トニー。

「でもさ、実際、将来って、自分が希望していても、どうなるのか解らないじゃない?とりあえずは、バンドがある限りはブルートパーズのキーボード担当でいたいと思っているよ」

と、ジェイミー。

ジェイミーの話によればブルートパーズは、けっこうな人気バンドだけどヴォーカリストが抜けてからは長い期間、活動できなかったとのことだった。

「前のヴォーカリストは、どうして抜けたの?ロバートに訊いたんだけど話したくなさそうだったんだ」

と、訊くトニーにジェイミーも、あまり話したくなさそうに俯いたが思いきったかのように話し始めた。

「…その、あまり素行が良くなくて…ちょくちょくメンバーやバンド活動に迷惑かけるから辞めてもらったんだ」

と、ジェイミーは話した。

それ以上は話したくなさそうだった。前任者については、あまり突っ込まない方がいいんだろうと、思ってトニーは黙った。


トニーがブルートパーズに入ってから初めてのライヴが決まった。

ライヴハウスで飛び入り参加だった。

その晩のライヴハウスは、いくつかのバンドが出演することになっていてブルートパーズは一番最後に決まっていたが、観客達は知らないでいた。

ブルートパーズの出演順が回ってきた。

薄暗い中をスタンバイするメンバー。

前列の観客は気づいてヒソヒソと話し始めた。

ライヴハウスの進行係がマイクのスイッチを入れて話し始めた。

「はい、皆さーん、いよいよ今夜のラストの出演者ですけど~このバンドのカムバックは非常に喜ばしいハズですよ~!」

進行係が言い終わると同時に照明が一気に点いた。

ブルートパーズのメンバーの姿がハッキリ見えて観客から、どよめきが起きた。

ドラムスがカウントをとり、ベース、ギターが鳴り、キーボードも鳴った。

トニーは演奏が鳴り響くステージに勢いよく走り出た。

観客達はトニーの姿を見上げて、さらに、どよめいた。

新しく入ったヴォーカリストなんだ、と。

トニーは澄んだ声で、高らかに歌い上げ、音楽に合わせてステージ上を所狭しと動き回った。

アイドル時代、歌って踊ることには体力的に慣れていたので余裕だった。

観客の中にはブルートパーズのファンも大勢いて、トニーの歌声に曲に好反応を示した。

トニーが新たに加わったブルートパーズのライヴに観客は湧いた。

黄色い歓声は殆ど聞こえなかった。何よりもトニーは初めて歌いきった!という達成感に浸ることが出来た。

翌日、トニーはスーパーに食材を買いに行く途中で、すれ違う何人もの男たちから声を掛けられ握手を求められた。

「よぉ昨日、ライヴ観たぜアンタ凄いな!」

とか、

「ライヴ良かったぜマジ!」

とか、

「ずっと待っていたんだよ~ブルートパーズの活動再開をさ。今度は、いつライヴするんだい?」

とか、

女性も数人が声を掛けてきたが、

「素敵~握手してトニー♡」

とか、

「一緒に写真撮って♡」

とかシャッターチャンスを狙ってトニーの頬にキスしたりもあったが穏やかなものだった。

スーパーの中で買い物していれば店員や買い物客からも声をかけられ称賛された。

アイドル時代は変装しないと外を歩けなかったし、変装を見破るファンもいたし、歩いてほんの数分のスーパーに買い物に行くのにファンに見つけられては後をつけられ、泣く泣くタクシーや電車やバスを乗り継ぎ買ってから帰るまで2~3時間かかるのが常だった。

嘘みたいな環境だな今は…

環境の違いに戸惑いながらも食材を買い込み、トニーはスーパーを出た。

「トニー!」

背後から声がした。

ジェイミーが声をかけてきた。

「買い物かい?うわ野菜多いなぁ、もしかして自分で作るの?」

ジェイミーが買い物袋を覗き込んで驚きの声をあげた。

「うん、俺十二歳くらいから1人暮らしだから」

「え?十二歳くらいから?」

更に驚きを見せるジェイミー。

しまった!トニーはジェイミーから一歩さがった。

バンドのメンバーにもアイドル時代なんて黒歴史は絶対に知られたくなかった。

「う、うん、まぁ色々とね」

二人は、どちらからともなく歩き始めた。

「外食とかしないの?」と、ジェイミー。

「たまになら外食するよ。でも殆ど自炊。俺、料理するの好きなんだ」

トニーは足を止めた。

「なんなら、これから俺の部屋に来て一緒に飯食う?」と、ジェイミーを誘った。

「ありがとう、でもせっかくだけど今日は、これから予定あるから。またぜひ誘ってよ。それより電話しようと思っていたんだ。ちょうど会えて良かった。急だけど、トニー明日の夜、なにか予定ある?」

ジェイミーは腕時計を見ながら時間を確認してトニーに訊いた。

「明日は、特に何もないよ」

ジェイミーは腕時計から目を離すと、笑顔を見せて話し始めた。

「じゃあ明日、一緒に夕飯食べに行かないか?僕の知り合いが予約していたレストランなんだけど急用が出来て行かれなくなったから良かったら代わりに友達と行ってくれないかって。もう全額払ってあるし突然だったしキャンセルしても、お金戻ってこないから、どうせならって」

「うーん…どんな店?」

「昔っからある老舗のレストランなんだけど…僕も行ったことあるけど、ハッキリ言って味はイマイチ」

トニーは笑った。

「イマイチなら止めておくよ」

ジェイミーは立ち去りかけるトニーを追いかけて前に塞がり歩みを止めた。

「待ってよトニー。それがね、前は、よく潰れないよなーって思うくらい閑古鳥が鳴いていた店なんだけど、最近は6ヶ月くらい先まで予約が取れないんだって!」

「美味しくなったのか?」

ジェイミーは、かぶりを振った。

「相変わらず、味はイマイチなんだって。知り合いが予約したのは、まだ、そんなことになる前のことなんだけど」

「じゃあ、なんでまた?」

ジェイミーの顔がパッと輝いた。

「凄い可愛い女の子がピアノを弾いているんだって。可愛いだけじゃなくてピアノの腕も凄いらしいんだ。ほら僕だってピアニスト志望じゃない。だから色々上手な人の演奏を聴いてみたくて」

ピアニスト…

まさか、ジェシカ?

あれっきり会えなくなってしまったけど…

ジェシカの可能性はあるだろうか。

可愛くてピアノが上手なんて珍しいことでもないだろうし…

「本当に俺が一緒でいいの?」

トニーはジェイミーに訊いた。

「一緒に行こうよ。二人分の予約していたんだって。僕は今のところ誘えるガールフレンドもいないしさ」

もし、そのピアニストがジェシカだったら?

言葉を交わせなくても元気な姿を見られるなら。イヤ、出来たら話したい。

ジェシカだと判ったワケではないけど。

せっかく誘ってくれているし。

「解った。ありがとう。明日、何時に?」

「夜7時の予約だって。明日、6時半くらいに迎えに行くよ。じゃあ僕、これから用事あるから」

ジェイミーは元気に走り去って行った。

小雨がパラつき始めたのでトニーも走って帰った。



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