第6話

『はは、ははっは、は、はっ……』



 奇妙な音が聞こえた。車の音ではなく人間が発する生気のない声だった。

 その声は、男のようにも女ようににも子供にも老人のようにも聞こえ、「は」と表記したもののその表記が正確なのかさえも判らない。

 まるで音声ファイルが壊れた動画を見ているようだ。



「あなた……」


「ああ、怨霊だ」


「おんりょうー」


「やりたいことをやり残して死んだり、強い霊力がある人間が恨んだりするとなる存在だ。早く浄化して輪廻の輪に帰してやらねば……」



『怨霊』とは、死霊や生霊の内でも怨念が強く人に害を与えるもののことをいう。人や土地、建物や物品など物質的なものに執着し、近づくものにたいして無差別に害を成す残留思念のようなものだ。



「かえさないとどうなるの?」


「人間は魂の状態で現世に留まると、約四百年で自我を保てず消滅し、二度と蘇ることが出来なくなる」


「……」


「明りに群がる蛾のように高い霊力に引き寄せられたのだろう」



 父は一枚の御札をポケットから取り出した。



「ぼくにやらせて!」


呪符じゅふは危険なものだ。子供の遊び道具ではない」


「でも……」


「でももだってもあるか、呪符じゅふは神仏への信仰心を印したもの、神仏への想いがなければ十分な効力を発動しない」



「……」



 そう言われると出来る気はしない。

 だけどここで引き下がる訳にはいかない。

 破滅の運命を回避するためには、一つでも多くの経験を積みたい。



「ぼくがやる。ぼくによってきてるから……いいよね?」


「……仕方ない。吉田勇樹よしだゆうきの初戦だ気張れよ?」


「うん」


「はぁ……まず初めに霊的エネルギーはヘソで作るとされている」


「おへそ?」


「ヘソで作ったエネルギーを頭で命令し胸で燃やし発動させる……この一連の動きを補助してくれるのが呪符じゅふだ」


「すごい!」


「だから霊力や呪力、魔力と呼ばれる霊的エネルギーさえ作ればあとはこの除霊符じょれいふが発動させてくれる。腹に意識を向けろ!」



 腹に意識を向ける。

 腹で熱い何かが蠢くのを感じる。



「腹に熱いナニカを感じたらそれを心臓に動かせ」



 言われた通りに腹の中で動かす。



「拍動する心臓に呪力を送って燃やすイメージだ」



 燃やす。


 燃やす。


 腹で変換したエネルギーを炉心である心臓へ移し、吼え猛る炎のように圧縮し爆発させ燃やす。


 ボウっと音を立てて燃え盛る炎のようなモノが心臓で揺らめくのを感じる。

 


「出来たようだな……次に祝詞のりとや真言を唱える。今回は、『祓詞はらえのことば』と呼ばれる基本的な祝詞のりとを唱える……続けていいなさい」


「わかった」


「「けまくもかしこ伊邪那岐いざなぎ大神おおかみ筑紫つくし日向ひむかたの橘の小門おど阿波岐原あはぎはらみそたまはらひし時に生りせる祓戸はらえどの大神たち諸諸もろもろ禍事まがつごと罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へともうす事を聞こしせとかしこかしこみももうす」」



 呪符じゅふ……除霊符じょれいふは開けた窓から飛び立つと、風の抵抗など物理法則から外れた挙動で飛翔し怨霊に張り付くと、淡い光を放つとまるでブラックホールに吸い込まれるように消滅する。



「よくやった流石は俺の息子だ」


「でもよわかったんでしょ?」


「……六級下位と言ったところだな。だが三歳で祓ったのは立派なことだ」


「えへへへへ」


「だが妖魔はもっと強い。神ならぬただ人の怨念などタカが知れている今日の成功を糧に修行に励むように」


「はーい」



 まるで勉強をしろ! と言われているようで反射的に嫌な気分になる。



「いまののりとってなに?」


「『祓詞はらえのことば』と言って、祓戸大神ハラエドノオオカミと呼ばれる。四柱の神の権能・能力……力をお借りして妖魔や怨霊を祓う祝詞のりとだ」


「スーパーせんたいやアイドルみたい。チームやユニットがかみさまにもあるんだ」


「ふふふそういうことね」



と母が合いの手を入れる。

どうやら俺の例えがツボに入ったらしい。



「式を打って置いた方が良さそうだな」


「そうですね。急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう



 母が呪文を唱えた瞬間、呪符じゅふがカラスに変化し窓から飛び立つ。



「カラスだ!」


「今のは式神と言って私達術者なら皆使える術なのよ」


「ぼくも使いたい!」


勇樹ユウキにはまだ難しいわよ」


「ぜったいやるもん!」



 こんな陰陽師らしい術を学ばない訳にはいかないだろ。



「じゃあ練習しましょうか……」



 他愛ない話をしながら車は走り高速道路に乗る。

 低級怨霊の襲撃があったにせよ俺達一家は無事、お台場にあるホテルに到向け車を走らせるのでった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 父直樹ナオキは息子の才能に嫉妬を覚えた。

 真言や祝詞は神仏への想いで効果が変わるとされている。

 しかし、呪符と併用することで術の難易度が変わるとは言え、初めてで『祓詞はらえのことば』を成功させるのはまさに偉業と言える。



――――神童、天才、麒麟児。



 唐突にそんな言葉が直樹ナオキ脳裏を過った。


筆舌に尽くし難い才覚は十年? いや数百、もしかしたら千年単位に一人の歴史を作る天才と言えるかもしれない。


 思わずゴクリと喉が鳴る。


現在降魔師こうましと呼ばれる異能者は、稀に世紀の天才が産まれると、普段語られることの無い裏の歴史が示している。


例えば千年前の陰陽師である安倍晴明あべのせいめい蘆屋道満あしやどうまんだ。


 降魔師こうましは殉職率が高く、お世辞にも安全な仕事とは言えない。

 オマケに血統によって霊力や呪力と呼ばれる力が遺伝するため、お役目から逃れることも難しい。

 降魔師協会こうましきょうかいと呼ばれる機関が妖魔や怨霊を評価し、依頼として仕事を割り振っているため、ここ百年ほど殉職率は下降しているが……不慮の事故は起こる。

 事実、オレ自身何度か等級違いの妖魔と戦闘し、何十人もの仲間を見送って来た。


天上に住まう神仏によるまじない……即ち天呪てんじゅを授かれば僥倖とは言えるだが、それは高望みと言うモノだろう。


恵まれた才能を持った我が子にみすみす死んでほしくないと言うのは当然の親心だ。


帰ったら確りと修行を付けてやらねば……直樹ナオキは強い決意をし車の中で式神術を教えるのだった。



 

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