人生終了

くにすらのに

人生終了

 国民的、いや、世界を魅了するアイドルが現代には存在している。


 愛野星ステラ


 星と書いてステラと読ませるなかなか突飛な名前は本名だという。デビューする前は同級生の男子にイジられていたかもしれない。それが今は彼女に夢中で、同じクラスだったことを誇っているだろう。


 そんなステラを俺はずっと尾行している。ストーキングじゃない。これが仕事だ。

 アイドルのプライベートを隠し撮りして特ダネを出版社に高く売る。世間から見れば下世話な仕事だが、その特ダネに国民は一喜一憂し発狂する。


 どんなに俺達みたいな人間を批判しても、提供されたネタに食いついてしまうのが人間のさがと言うものだ。


「しかし、16歳のトップアイドルが深夜に一人で出歩くかね」


 マネージャーも同伴せずステラは激安の殿堂に入った。

 

 テレビやネットで配信で見せるキラキラと眩しい衣装とは真逆のあずき色のジャージ……なんかではなく、スリットの入ったチェック柄のスカートにニットというシンプルながらその美しい脚や胸元はしっかり強調されている。マスクをしていてもそのオーラは隠しきれていないように感じるのは、マンションからずっと追っているからだろうか。


 アイドルとして活動している時はトレードマークにもなっているポニーテールを今は下ろしているのでパッと見の印象は違うかもしれないが、ほんの数秒でも見つめれば誰しもがステラと気付きそうなのだ。


「意外とこんなもんかね」


 誰かにサインを求められたりスマホで手軽に撮影されることもなく、ステラは一人の時間を過ごしている。


どんなに光り輝くアイドルも一人の人間である以上は食事も排泄もする。だが、その人間にとって当たり前の行動もキラキラと輝いていると考えるのが普通の発想というやつだ。


 俗世とは離れて生きる手の届かない存在。ファンの母数を考えれば深夜のこの場所にだって自分を推す人間がいるに違いないのに、そのリスクを背負ってまで買い物をする理由とは何なんのか。


 仕事である以前に個人的な興味としてステラを目で追い続けていた。


「ストレス発散に万引き……じゃなさそうだ」


 あくまで一般客に扮しているので露骨に身を隠すこどはできない。自然に、自分も目当ての品の物色しているような雰囲気を出す必要がある。ステラが向かったのは健康器具のコーナーだった。


 美意識が高いと言えばそれまでだが、やはり腑に落ちない。わざわざここで買う必要はないからだ。強固なセキュリティの自宅マンションには居住者向けのパーソナルジムがテナントとして入っている。


 アイドルではないにしろ他の住民も庶民とはかけ離れた身分や金銭感覚を持つ人間だ。ステラが体型維持やパフォーマンス向上のためにトレーニングをする姿を隠し撮りすれば犯人はすぐに特定されるし、そんな下世話なことをすれば世間からのバッシングであっという間に今の地位を失ってしまう。


 俺みたいに失うものがない人間でなければステラの本性を暴くことはできない。さんざんバカにしてきたやつらを見返すにはこれしかない。


 早くボロを出せと願いながら彼女を目で追っているうちに会計を済ませてしまった。


「先回りだ」


 買い物を終えたのならあとは帰宅するのみ。マネージャーが同伴していないことを考えると誰かと落ち合う可能性は高い。


 彼氏か、それに準ずる人物との接触となれば大スクープだ。


 階段を駆け下りて一つしかない店の出入り口を張る。ここのエレベーターは一基しかなく、各階に止まるからかなり遅い。


 量産型のファッションだろうと絶対にステラを見つけられる。俺に気付いて逃げ隠れるように店をあとにするパターンも想定して、出入り口全体の状況を把握しようとしたのがいけなかった。


 ヒールを履いた彼女がエスカレーターを駆け下りるとは考えにくいし、俺は日々の取材で鍛えれた自慢の脚で階段を駆け下りた。どちらが先に一階の出入り口に到着するかは明確なのに、絶対に特ダネを逃がさないという意志が判断を誤らせた。


「きゃっ」


 世界を魅了する甘く暖かい顔が雑踏に紛れながらも俺の耳にしっかりと届いた。


 ステラとの接触。


 顔を知られるのはマズい。俺の顔が視界に映った瞬間、例えば彼氏と会う予定をキャンセルされて絶対にスクープできなくなる。


 終わった。それが真っ先に出た感情だった。


「…………え?」


 しかし、こんな下世話な人間を神はまだ見捨てていなかった。どうやら神様もステラの醜態を知りたいらしい。


「マッサージ機……」


 本来の用途とは別の使用方法が有名なこけしみたいな形のマッサージ機が転がっていた。箱に入っているので中身は無事みたいで何よりだ。ここ一階は食品がメインで出入り口付近にはおかしが大量に置かれている。

 

 俺とステラがぶつかった拍子に陳列されている商品を散らかしてしまった結果、この電動マッサージ機が床に転がっているわけではない。彼女が持っているレジ袋からこぼれ落ちたのだ。


「彼氏いないってマジなんだ」


 アイドルが堂々と彼氏がいるなんて宣言するわけもなく、しかし噂レベルと誰々と付き合っているという話はよくあることだ。だが、ステラに関してはそれが一切ない。よほどガードが固いか、高い金を積んでもみ消しているかのどちらかだと思っていた。


 出版社に特ダネを売れなくても、事務所から多額の口止め料をもらえる。俺がステラを狙う理由の一つだ。


「……っ! あの、ちょっといいですか」


「え、おい」


 ステラが自ら俺の手を握った。しっかりとマッサージ機を回収して足早に人通りの少ない方へと向かう。

 とんでもない倍率の抽選を勝ち抜いてようやく握れるステラの手と触れ合っている。神が与えた幸運がこれなのだとしたら、この運は別のところで使いたかった。


 学生時代に付き合っていたどの恋人よりも柔らかく、冷たいのは季節柄仕方ないにしてもどこかぬくもりを感じるのは天性の才能だと思った。


 ヒールを履いているとは思えない速度でずんずんと進んでいった先は、トップアイドルが時間を過ごすには少し危険な香りがする閑静な住宅街。


 窓から光がこぼれない家も多く、街が寝静まっている。一見すると平和だが、同時に悪者が闊歩する時間帯でもある。


 もしステラに何かあったら俺も共犯者扱いされてしまいそうだ。


 そんな不安を知ってか知らずかステラは口を開いた。


「あなた、記者ですよね。さっきからずっとわたしのこと追ってた。バラすんですか? アイドルが電マ使ってるって」


「どうだろうな。むしろ彼氏がいないアピールになってファンが増えそうだ」


「増えるわけないでしょ。オナ狂いのアイドルなんて」


 聞いてもないのにペラペラとステラ本人の口からこのマッサージ機の用途が判明した。人とぶつかって、電マの衝撃にあっけに取られているうちに手を惹かれたせいでボイスレコーダーをオンにできなかったのが悔やまれる。


「……アイドルにだって性欲はあるのよ。ねえ、わたしとエッチしない? その代わり、今見たことは墓場まで持っていく。どう? 悪くない提案でしょ?」


「は?」


「処女じゃないから。そんなに重く受け止めないで。ただ性欲を発散したいだけ。彼氏になってほしいとか全然ないし」


「お、おい。なに言ってんだ。頭おかしくなったか」


「おかしくなった? そうね。ムラムラしておかしくなってるかも」


 俺を握る手が少しずつ熱を帯びていく。小声だった彼女もだんだんボルテージが上がってきて、もしかしたら誰かに聞かれているかもしれない。


「少し声のボリュームを落とせ。聞かれたらアイドル生命終わるぞ」


「わたしのアイドル生命を終わらそうとしてたのに?」


「う……」


 ぐうの音も出ない正論だった。特ダネを出せば俺は大金を手に入れられる。同時にステラの人気に影を落とすことになる。最近はアイドルの恋愛や結婚に寛容な雰囲気もあるが、それは30歳近くなった場合。ガチ恋するタイプの学生達と同年代の16歳に熱愛が発覚したら世界が震撼する。


「俺とセックスするのもマズいだろ。しかも処女じゃないって」


「こんなに可愛いんだよ? いろんな男が言い寄ってくる。ちなみに初体験は小6の時の塾の先生。先生、元気してるかな」


「…………」


 ボイスレコーダーをオンにしていなかったことを再び後悔した。本人がイキってウソをついているだけの可能性もあるから信憑性は低いが、アイドルデビュー前のステラの初体験を想像するだけで興奮を抑えきれない。


 きっと他の小学生とは違う。その時点で大人の魅力をまとい、他とは一線を画す存在だったんだろう。性的嗜好が歪んでしまう前に妄想を止めた。


「わたしとエッチして。それで、その時の様子を動画に撮るの。おじさんも撮っていいよ。出版社に売ってもいい。事務所を脅してもいい。SNSに公開してバズってもいい。大金を手に入れたり、承認欲求を満たすことができる。その代わり、ファンに殺されるかもね」


「だろうな。で、おじさん『も』ってどういうことだ? まさかステラも……」


「うん。わたしも証拠を残すよ。おじさんが公開しなくても、わたしが公開すればおじさんの人生は終了」


「はっはっは。俺、詰んでるな。一夜を共にしなければ、な」


 簡単な話だ。ステラのスクープを撮ることを諦めて身を引く。トップアイドルを抱ける機会を逃すのは痛手だが相手は16歳。普通に犯罪だ。一時の性欲を満たして残りの人生が終わるよりかは、スクープを逃がす方が長い目でみれば勝ちというものだろう。


 ステラの初体験は小6。


 俺は彼女を見るたびこの言葉を思い出す。これだけで生きていけるくらいには特別な言葉を耳にすることができた。


「え? 逃がさないよ?」


「お?」


 この細い腕のどこにこんな力があるのか不思議なくらいぎっちりと手を握られて、無理矢理引き離したら暴行罪に問われてしまいそうだ。


 ステラは自分がトップアイドルであることを最大限に利用している。自分を傷付けたり、貶めたりすれば絶対にファンが許さない。


 目の前にいるのは16歳の女の子だが、俺が戦っているのは世界と言っても過言ではない。


「こんなマッサージ機じゃなくて本物がいいの。硬いのに肉感があって、どくどくと熱く波打つ本物が!」


 声が大きい。あんまり騒がれると誰かに通報されるかもしれない。恐怖と、このまま押し切られてステラを抱く未来を想像して鼓動が速くなる。


「マネちゃんもわたしがこういうことしてるって知ってるから。ヘアメイクさんと。そうだ。専属記者になってよ。もちろんエッチのことは秘密で。でもそれ以外は本当に清純なんだよ? 彼氏はもちろんいないし。ね? 寒いところでずっとわたしを待つより、犬みたいに飼われてぬくぬくと生活する方がいいでしょ?」


 ステラに見つめられて思考がどんどん鈍くなる。とんでもない情報がいろいろ飛び出しているが、本人の口から出まかせかもしれない。もはや録音してないことに後悔はなかった。


 大事なのはこれからだ。ステラを抱いた上に、専属記者として雇ってもらえる。彼女の言う通りだ。基本は外でターゲットを待ち伏せして、ネタを出版社に売る。みんなその特ダネでお祭りのように騒ぐくせに、記者に対して匿名で汚い言葉をぶつけ続ける。


 これは千載一遇のチャンスなのでは? マネージャーも認めている関係なら事務所と揉めることもない。名誉棄損で訴えられるリスクがなくなる上に、ステラの魅力を正当な形で世に伝えれば誰もが俺という人間を認めることになる。


 ステラに飼われる。性欲処理に使われるのなら俺にとっても願ったりかなったりだ。こっちだって本当はムラムラして仕方ない。


「わんっ!」


 俺は人間としてのプライドを捨てた。今の人生を続けるより、ステラの犬として生きる方がずっと幸せだと判断したからだ。


 犬としての人生が、スターと。

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