婚約破棄を望んだのは私でした
笹味
プロローグ(改)
地下の冷たい牢獄。
天井から落ちた水滴が、ぴちょんと音をたてて石畳を打つ。
いくら罪人と言えども、公爵令嬢を地下牢に入れるなんてどうかしているわ。
「わたしくの、なにが悪かったというの……っ」
いいえ、悪かった。
皇太子殿が心を寄せる男爵令嬢を、事故に見せかけて殺そうとしたんだもの。
春の狩猟祭で、弓矢が偶然男爵令嬢を貫く予定だった。横やりが入って失敗に終わってしまったのに、わたしくは男爵令嬢殺害未遂として投獄されている。
「どうせ、数日で出られるでしょう」
二大公爵家の令嬢で皇太子の婚約者。たとえ殺人未遂を犯しても、将来の皇后をいつまでも投獄できるわけがない。
だからお見舞いなんていらないのに……大公殿下が面会に来るからプライドが刺激される。
「先ほど、第二皇子と出くわした」
「毎日のように会いに来てくれますの。彼は幼馴染みなので」
「ああ……そうだったな」
小さく笑んだ気がして、彼の長身を見上げる。
北方を守護する大公、アルブレヒト・ヴィンフリート。
二十四歳という若さで、大公の座にいる北部の王。
ヴィンフリート公国は帝国の従属国だけど、独立国家であるため帝国の公爵とは立場が違う。彼は一国の王だ。
だからこそ、将来の皇后としては惨めな姿を見られたくなかった。
――――なんて、空気が読めない人かしら。
よもや、婚約者よりも先に大公が訪ねてくるとは思わなかったわ。
ヴィンフリート大公は、わたくしにプロポーズをした人。もちろん断った。
『わたくしは皇太子殿下の婚約者です。今後は、このような発言は控えてください』
それきり顔を合わせなかったから、てっきり怒らせたかと思ったのに……。まだ諦めていないのね。
大公が、公爵家のもつ秘宝を欲しているというのは有名な話だ。
枯れない世界術の枝が、我が家にある。その葉を煎じて飲むことは、ソードマスターの大公にとって命を護るのに等しい。
ソードマスターは強大な力と引き換えに暴走状態になることもあるからだ。暴走を落ち着かせるためには、世界樹の葉で淹れたお茶がよく効くんですって。
だから大公は、わたくしと結婚したがるのよ。持参金代わりに、世界樹の枝を要求するつもりだったのでしょうね。
「今、あなたの減刑を求めている」
「……見返りは、なんでしょうか」
なんの見返りもなく救けてくれるとは思えない。彼は凍てつく大地を髣髴とさせる冷たい外見同様に、性格も冷徹と言われる人。見返りがあるとすれば、世界樹の葉……かしら。
「私と共に、公国へ来ないか」
「……大公殿下と結婚しろ、とおっしゃるのですね」
「あなたが拒むなら、強要はしない」
結婚を受け入れなければ、わたくしを救わないって言うこと。
「お断りします」
取り引きなんて必要ないわ。だってすぐに牢から出してもらえるんだから。
――――案外と、卑怯な人ね。
弱っているところへ結婚を持ちかけてくるなんて、いくらなんでも卑怯だわ。
「お気遣いは感謝します。ですが、余計なお世話です。わたくしは皇太子殿下の婚約者。大公殿下に気遣ってもらわずとも、皇太子殿下がすぐに出してくださいます」
大公は何か言いたげで、だけど言えないという様子で視線を伏せる。その様子が、ますますわたくしを刺激した。
「こちらへは、二度とお越しにならないで!」
ひどく惨めな気分だわ。
大公の革手袋が、小さな軋み音をあげた。
「……すまなかった」
大公はそのまま去っていき、安堵した。
でもわたくしは、ほとほと自分の甘さを思い知らされた。
投獄されてから一ヶ月後に、わたくしは処刑を言い渡された。
「将来の皇太子妃を殺害しようとしたおまえに、極刑を言い渡す!」
「なにを……言ってますの? 殿下の婚約者は、わたくしでしょう?」
夜会でも開いていたのか、煌びやかな服装で皇太子殿下と男爵令嬢が現れた。その背後には男爵令嬢の取り巻きもそろっている。皆がニヤニヤと笑っていた。
「犯罪者が、皇太子妃になれるわけがないだろう。とっくに婚約破棄されている」
「ッ……」
男爵令嬢が、ほくそ笑んだのだがわかった。
すべてに、絶望した。
そして処刑を明日に控えた夜。
わたしは何者かの手によって殺された。心臓を一突きだった。
「私は――――」
誰かが何かを語っている。けれど、もう、よく聞こえない。
ただ一言……。
「次こそ……間違えない」
涙声がわたくしのものだったのか、わたくしを刺した人のものだったのかはわからない。
――――死にたくない。
最期まで生に執着する自分を卑しく感じながら、わたくしは人生の幕を下ろした。
婚約破棄を望んだのは私でした 笹味 @maomaohoney
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