19 インターリュードⅡ(運動会)
その次の日曜日は、ぼくの中学校の運動会の日だったので、当然のように土曜日も練習に借り出される。行事やイベントは得意分野ではなかったが、クラスの空気を乱すのは気が進まないので、サボらず出かけrう。もっともクラス自体にまとまりがあるのかどうか疑問がないわけではないが……。もっとも、件(くだん)の監督が製作した中学生青春映画内で描かれたようなイジメの構図はなかったので、他の特定クラスと比較すれば、全然マシだ。
ぼくの通う区立中学校では、文化祭みたいにクラスごとに行う寸劇形式の出し物が何故か数十年来運動会昼休み明けの恒例となっていて――ちなみに文化祭の方は某国立大学の五月祭に合わせたのか毎年五月に開催されている――理由は不明だが、ぼくはヒマラヤスギの役を振られる。腕を身体の中心線に対して直角に突き延ばしたまま――角度は無理のない程度に枝っぽくしつつ――演技をするのが、ダンボール製の被り物でもあり、視界が悪いことこの上ない。他にも男子二名と女子二名がクラス大半の同意によって同じ役を仰せつかり、即席のヒマラヤスギ・ユニットが誕生する。ピアノが弾けるということで、ぼくが伴奏担当に指名される。立ったまま弾けば垂直の腕でも何とかなったし、簡単な曲ならば鍵盤をしっかり見なくてもこなせたので、とても助かる。
いったん休憩に入ってから近づいてきた市川初枝が、
「役としては合ってるんじゃないの?」
と笑いながら肩を叩く。
「背丈はいまいちだけど、ひょろ長いしね」
すると、たまたま彼女の後ろにいた――綺麗というよりは可愛くて清楚な感じの――他のクラスでも人気が高い峰村仁美(みねむら・ひとみ)が、
「あ、いえてる、いえてる!」
と身をよじって笑いはじめる。峰村仁美の爆笑して開かれた口から八重歯が覗き、ぼくはちょっと複雑な心持ちになる。
ところでさっきの指摘はともかく、市川さんの役もぼくと同じ樹だ。しかも彼女の役は『シバシマツ(暫し待つ)』というマンガでいえば『ひょうたんつぎ』とか『それからどうした』のような樹種だったので、通称・脚本家からその設定を聞かされたときは頭が痛くなってしまう。クラス随一の創作家=鈴木順一(すずき・じゅんいち)――名前は平凡――の脳内構造は計り知れない。もっとも、ぼくだって自分には見えない自縛霊を慰めてまわってしまったのだから、偏執度なら負けはしないか? やれやれ……。我がクラスには精神異常者が多過ぎる。
……といった状況だったので、その週末はディーと一緒に巡礼の旅(?)には出かけられない。ただしディーも予定があるといっていたから、ちょうど良かったのかもしれない。
翌日はきりりとした秋空が拡がり、運動会が盛況の中でユルユルと進行されていく。
騎馬戦のときに軽い打ち身をし、さらに顔と腕が小さな傷だらけになった以外、特に個人的問題は起こらない。クラス対抗のリレーではアンカーだったぼくはそれまでの一周近い遅れを取り戻し二位入賞を果たしたのだが、クラスのみんなからは、
「陸上部のくせに遅い!」
と難癖をつけられてしまう。まあ、
「よくやった」
と慰めてくれる女子も数名いたけれど……。 そういえば数年前までは『棒倒し』という競技があったらしい。さまざまなルールが運用されているようだが、ウチに帰ってから父さんに確認すると、自分が経験したのは以下のようなものだったと解説される。
「まず棒が用意される。長さは三~五メートルで、その直径は電信柱程度。それをクラス男子の棒立て係が倒れないように支える。棒のまわりには防御係が陣取る。さらにその先では攻撃係が合戦開始の合図を待つ。二クラス対抗のトーナメント方式もあるようだが、昔体験したのは全クラスによる総当り戦だ。全部で四クラスしかなかったから、それで良かったのかもしれないね。ピストルの合図とともに攻撃係がターゲットに定めたクラスの棒を狙って走り寄る。弱いと思われたクラスの棒が別のいくつものクラスの混成軍団にまず狙われる。その先は合法の喧嘩みたいなもので殴る蹴るの応酬があり、敵の防御係の身体を文字通り駆け昇って棒の先端に跳びつき、荷重をかけてそれを倒す。棒の先端が地面に着いたら負けで、それを判定係の先生がジャッジする。最終的に持ち堪えられたクラスが優勝だ。実際、結構危険な競技なので勝利クラスは全体的な高揚感と優越感に包まれたものだよ。しかしまあ、毎年軽い怪我人が出るからPTAではいつも存続が議論されていたらしい。きみの学校の場合は、実際に腕を骨折した生徒が同時に数名発生し、翌年から中止に決定されたと聞いている」
一通り説明が終わったので、
「騎馬戦の方がマシなの?」
と質問してみると、
「いまの騎馬戦は体育帽を獲った時点で負けのルールだろう。それなら、そう危なくはないからね。昔の騎馬戦は棒倒しと同じで、旗手が地面と接触したら負けのルールだ。もちろん殴る蹴るもあり……」
「乱暴だったんだね?」
「最近の子供たちが大人し過ぎるような気もするが、どうだろう? 本質的に乱暴な子供のパーセンテージは昔も今も、さほど変わらないような気がするし……。しかしまぁ、地域や地方格差もあるだろうが……」
そのときそんなふうに語った父さんは、その日のお弁当を三人分、自分で作って用意する。立派な三段のお重だ。味は良かったが、残念ながら美的センスには欠けている。
「それは、その観点が重要視される場合は気を遣うが……」
と父さんが解説。
「今回は食べ易く作る方を優先したのさ。不味くはなかっただろう?」
「うん、普通じゃなく美味しかった! どれも一口サイズだったし……」
「手間だけは掛けたからね」
それから、話題が移り、
「そういえば、きみがピアノを弾くのを久しぶりに見たよ!」
と聞かされる。
そうか、会場の体育館であの寸劇を見ていたのか! 余裕がなくて、また視界も悪くて、ぼく自身は両親に気づかなかったが……。
劇の題名は『森のささやき』という。実際には『ささやき』ではなく喧騒的な脚本だ。
「本物のピアノは久しぶりだね」
と、ぼくが答えると、
「憶えているなら連弾しようか?」
と父さんが誘う。
「サティ?」
「それしか出来ないからね」
そして二人して立ち上がると、ほとんど置物状態となっていたアップライトピアノの鍵盤蓋を開け、適当な丸椅子を探す。いろいろと間違えたり、つっかえたりするたびに譜面を確認しながらしばらく弾いていると、
「わたしもまぜて!」
と母さんが後ろから手を伸ばしてきて、いきなり六手となる。
その分休みができて弾くのが楽になったと思った瞬間――でも窮屈で狭かったけどね――
「次は面倒なのであなたに頼むわ」
とか、
「あ、次は好きな音列だから弾く!」
とか、サティのスピードじゃなかったら、目がまわりそうな展開になってしまう。
そして夜は更けてゆく。
その日の運動会の方はとりわけ深くぼくの印象には残らなかったが、運動会の夜の思い出の方は、いずれ若かりし頃の楽しかった晩の記憶として脳内の貯蔵庫にストックされることになるだろう、とそのときふと思う。ついで首を捻りつつ、そんなことを思うとは、なんて年寄りじみているんだろう、と少しだけ自分が情けなくなり、溜息をつく。
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