7 訪問

 ディーの自宅は同一区画内に同じタイプのこじんまりした三階建ての家が三軒 軒(のき)を並べた中の、いちばん手前の家だ。荻窪駅からは近くはないが、遠くもない、ぼくにとっては、はじめて歩く街並みの中にある。

「ただいま!」

 鍵を開けて入り口のドアを開くと、ディーが家の中に向かって叫ぶ。ついで、

「おじゃまします」

 女の子のウチに入ったことがなかったわけではないけれど、どこか気後れして、小声でぼくが挨拶する。とりあえず、家の中から誰かが出てくる気配はない。

 ちなみに家に入る前にチラッと見た表札には『乙卯』との表示。

 やられた! まったく、読めない! ディーの勝ちだ! 

「いないのかな? まぁ、上がってよ」

 首を捻りながらそう呟くと、ディーは狭い階段を、もちろん慣れているんだろうが、すすすっと上へ昇る。

 案内された二階奥のディーの部屋は、机とクローゼットもしくはドレッサーと本棚とベッドで、ほぼ満杯状態だ。本棚の上には、けっこう時代がついたように思えるミッフィー――絵本名・うさこちゃん、本名はナインチェ(Nijntje)――のぬいぐるみが置かれている。

「扉は少し開けとけ、っていうよね?」

「まぁ、紳士ですこと。座ったら……っていっても、場所ないわよね。わたし、こっちに移るから……」

 といって、ディーが勉強机に付属する椅子に腰掛ける。それで、ぼくは床に座る。

 しばらくしてから、

「ねぇ、彼女、大丈夫だった?」

「え?」

「前に会った、キミと一緒にいた人? 市原さん?」

「市川さん。……って、どうして?」

「泣いたんじゃないかと思ってさぁ。でもまあ、傍にキミがいたならいいのか?」

「わかるの?」

「あのね、『付け文』はこう続くんです。最初からいうとね、『金沢夕月楼にてお待ち致します。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません。それでもお会いしたいと思うのです』」

 そのとき、何やらパタパタした音が聞こえてきて、しばらくすると、いきなり扉からきれいな顔がひょっこりと覗く。

「あら、可愛いらしいお友だちですこと!」

「お邪魔してます」

「あれが、マママ!」

「うわぁ、キミにそっくりだ。それに若いし……」

「ありがとう」

「五十近いわよ!」

「余計なことは、いわなくていいのよ。……で、死体止めたの?」

「いや、まだ死体」

「あら、そう」

「別に、いいでしょ」

「すぐに何か持ってきますから、ちょっと待っててね」

 間。

「騒がしいでしょ?」

「でも本当に似てる」

「キミんとこは似てないの?」

「半々かな。目許が母親で口許が父親だって、いつか叔母さんがいってたけど、自分じゃね……」

「そのうち見に行こうっと」

「いいけど、母さんに玩具(おもちゃ)にされるかもね。『女の子が欲しかった、女の子が欲しかった』って、その昔しょっちゅう、言ってたらしいから……。ま、現時点では諦めたみたいだけどさ。子供の頃は着せ替え人形をさせられてたよ。女の子の……」

「うわっ、見たかった」

 ……って、そこに喰いつくか?

「その写真、ある?」

「ほとんど回収して、ぼくが鍵かけて持ってるよ」

「見たいなぁ」

「うん、あたしも見たい!」

「わっ、びっくりした!」

「何よ、びっくりするじゃない!」

「はい、お茶とお菓子ね。……果物の方が良かったかしら?」

「いぃえ、おかまいなく」

「礼儀正しいのね。感心&感心」

「ありがとうございます」

「それに可愛いし、この子、正解じゃない? ねっ!」

「普通、本人の目の前で、いうか!」

「では、ごゆっくり」

 そしてディーの母親が再度パタパタと立ち去る。

「上がって来たとき、足音しなかったよね?」

「前世が忍者だったのよ」

「きみも将来、ああなるのかな……」

「ゲッ! ……でも、マママのお墨付きもらっちゃたわよ。どうすんの?」

「どうすんのって?」

「そうよねぁ、まず大学よね。って、それより前に高校卒業か?」

「……?」

「じゃ、マママの顔も見たことだし、お菓子、片づけたら、出かける?」

 部屋の柱に掛かっていた丸くて薄い時計を見ると時刻は三時半を少し過ぎたくらいだ。

「それはいいけど、どっか行くの?」

「ううん、ただのお散歩」

「じゃ、帰りに買い物してきてくれる。出かけるときメモ渡すから……」

「だから、覗くなって!」

「親として子供のこと心配してるんだもん」

「やっぱ、忍者だ!」

「さっきと言ってること矛盾してない? ……まぁ、部屋が隣なんだけどね」

「頭、痛くなってきたよ!」

 そして、出掛けに、

「うわさには聞いたことあったけど、本当にいるのね!」

 触ってくる気はないようだったが、ディーの母親がぼくの背中をまじまじと見つめながらそう呟き、ぼくを驚かせる。

「はい。じゃ、これメモ」

「かしこまりました」

 しばらく無言。

 ディーの家を出て数十歩、歩(ある)いてから、

「キミたちは親子だ!」

 感慨を込めて、ぼくはそう指摘する。

「それはそうだと思いますけど、何か?」

「いや、何かっていう問題じゃないんだけどね」

 ついで、ディーは耳をつつく仕種を見せながら、

「(今日は)ないの?」

 と訊く。

 それでメモリプレーヤーをポケットから取り出す。

「曲は?」

 電源を入れ、確認する。

「今かかってるのは、ぼくが生まれる前に放映してた犯罪もののカルト・ドラマのサウンドトラック。初めて科学捜査研究所を舞台にしたといわれているモノ。水曜日夜九時枠のドラマだったかな? 本放送から十五年以上経ってDVD化されたらしい。で、その作曲者は現時点で法律バラエティー番組のアシスタントのアナウンサーの旦那さんで、その司会者によると顔が大きいらしい」

「いろいろとマニアなのね」

「父さんの趣味なんだ。……何か見つけるたびにツボに嵌って困るよ」

「なるほど、それで『いまさら違うといわれても』発言に繋がるわけだ」

「そ!」

 それから、つらつらとディーの暮らす住宅街界隈を散策する。

 広さはともかく公園がけっこう沢山あり、神社と寺もあって日陰が嬉しい。

「ところでさ」

 と、夕暮れが迫ってきて、そろそろそれぞれの家に帰ろうか、といった頃合にディーが口を開く。

「わたしに逢うのが目的で、この近辺に来ないこと!」

「単に来て、偶然に遭うのは、いいわけ?」

「微妙だけど、わたしのことが頭の中になければ良しとしましょう」

「たぶん、もう奇跡は起こらないよ!」

「そうかな?」

「これまで三回起こったのだって、普通なら、ありえない話でしょ。東京の山の手は広いんだよ」

「でもね、行動パタンがあると思うんだな」

「パタン?」

「わたしたち、きっと、似てるのよ」

 そしてその日は、そこで別れる。その前に、

「買い物に付き合おうか?」

 と、ディーに訊いてみたのだけれど、

「いいの。これはわたしの日常だから……」

 と断言し、

「じゃぁーねー!」

 と手を振り、街の人ごみの中に紛れて消える。

 ぼくは隣駅まで歩いてから電車に乗って家に帰る。

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