6 勘違い

 そして日常は続いたが、ウィーク・デーにディーに遭うことはない。

 最初も、二度目も、ぼくがディーに発見された形だったから、今度は絶対こっちから発見してやろうと強く念じるように思っていたら、ちょっと厭な形でそれが実現してしまう。 ……って、まぁ、それはぼくの勘違いではあったのだけれど。

 土曜日と日曜日は人で混雑するので、ぼくは滅多なことでは井の頭恩賜公園には遊びに行かない。その代わり……といってはなんだが、そこから北東の方角に位置する、吉祥寺駅から歩いて二十分くらいの、善福寺川公園には良く遊びに行く。遊びといっても、そこから善福寺川沿いに下流に向かってウォーキングか、軽いランニングをするだけなのだけれど――逆に下流から上流に向かう場合もある――中野区の中野富士見町付近で神田川と合流する全路を歩&走破すると約十三キロあって、けっこう良い運動になる。もちろんジョギングしている人もいるし、もっと速く走っている人たちもいる……と思えば、犬の散歩組もいるし、自転車組もいるし、恋人たちも、親子連れもいる。また川の側道近傍には数ヶ所のネコ場があって、この世のものとは思えない巨大なネコたちが(ウソ!)、 のっしのっしと闊歩していたり、でれーっとベンチや芝生の上で寝そべっていたりする。いつも見られるわけではなく時間限定なので、その時間帯に出遭えればラッキー……っていう感じだ。まれに酒飲み同士の喧嘩に出遭うこともあるが、押し並べて平和な山の手の光景が区画区域ごとに展開されている、そんな感じの善福寺川近傍の情景だ。

 ディーの後姿を見かけたのは、町名でいうと上萩辺りだったと思う。その後ろ姿は間違いなくディーのものだったけれど、その横にもう一人別な人間がいる。おそらくは中年の男性が……。

「うわっ、いやなものを見てしまった!」

 その場でぼくが瞬時感じたの想いが、そんな言葉となって口を突く。

(えーっ、エンコウ? 恋人? あんなオヤジが? ???)

 頭の中を『クエッションマーク』だらけにしながら、わずかに近づいて観察してみると、しばらくしてから、中年男が財布からお金……というか、札束を引き抜いてディーに渡している光景が目撃される。びっくり……っていうか、ちょっとショックだ! それで、そのとき不意にぼくは先週の月曜日の市川初枝の気持ちを自分自身が感じていることに気がついてしまう。あのときは良くわからなかったのだけれど……。だからそのとき彼女に対するちょっとした親密感が、ぼくの中に生まれる。まっ、今の事態とは直接関係ないんだけどね……。

 ディーとその中年男性の間には濃密な雰囲気が漂っている。ぼくには入り込めないような壁のようなものが確かに形作られている。

 それから十数分歩いた後、親しげに会話を交わしていたディーと中年男性――でもスタイルは良い――は、しかしぼくの予想に反して荻窪駅で二手に別れる。なんだか拍子抜けしてしまう。

 すると――

「あ、やっぱり、キミだったか!」

 改札口からルミネ前に戻ってきたディーがベンチに腰掛けていたぼくに向かって言う。

「うすうす気づいてるんじゃないかなとは思ってたけど……」

「背中に視線がバチバチしてましたよ」

「で、率直に伺いますが、さっきの人は?」

「あははー、焼ける?」

「真面目に訊いてんのに……」

「それは申しわけない」

「で、お金、もらってたじゃない。札束。目撃してしまいましたよ。……後ろ暗くない?」

「なーる、そういう勘違いか!」

 言ってディーは、ぼくの右隣りに腰掛ける。

「あれは、パパパ」

「……?」

「普通の言葉に訳すと、パパ、ダディー、お父さん、父親」

「へっ!」

「つまらない誤解しないでよ! 『死体』は自ら身体を売ったりしないわ」

「悪かった。ゴメン! ……でも、キミに遇って、ぼく、頭、おかしくなったみたいだ。マズイ!」

「それって? 告白?」

「学校や環境のせいもあるけど、選択肢がまったく見えなくなってた」

「そんなに落ち込まなくてもいいのに……。 それにパパパは家族じゃないし……」

「ひょ?」

「両親が離婚したのって、もうずっと前のことでね。幼稚園のときだった。大人の事情は知らないけどさぁ。で、最近、仕事の関係でこっちに戻って来て、そして思い出したら逢いたくなったんだってさ、わたしに……」

「ディーに?」

「さぁ、ディーかどうかは、わからないわ。だって、わたしが死体だってこと、あの人、きっと知らないもの」

「複雑だ!」

「でも、ついに三回目になっちゃったわね」

「そうだね」

「四度目の逢瀬は恋になります。死なねばなりません」

「ぼくたちのは逢瀬なのかな?」

「さぁ。……でも、だったら?」

「次に出逢ったときに死ぬ自信があるかどうか、わからないよ」

「死なないわよ」

「なぜ?」

「だって、あれは『付け文』だもの。心中を仄めかした。わたしは、そんな文は出さないから……」

 暫しの間。

「だから、次に逢うときも、きっと偶然! ……でさぁ、後ろ姿とはいえパパパに遇ったんだからマママの顔も見に来ない?」

「それって?」

「そう、ウチ来ないか、って誘ってるのよ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る