そして私は雨になる。

示紫元陽

1

 にじんだ夢を見た。

 透明なのだが、絵の具に水滴を垂らしたようなぼやけた景色。暗いけれど、眼下には星のような光の粒が広がっている。上空は重い灰色で淀んでいる。間違いない、あれは雲だ。そこで下方の光が照明だと判った。

 私は今、空にいる。否、空中を落ちている。地面めがけて、すーっと滞りなく落ちている。

 辺りには無数の雨粒がいた。いくつかは一緒になり、また他方では袂を分かって、綿みたいなくせにえらく重そうな鈍色にびいろの雲から旅立った滴が真っ逆さまに落ちていく。どうやら私もそのうちの一つらしい。今度は隣にいた滴が私と一緒になった。

 もういくら落ちたか知れない。まだ地面には着きそうもない。光は未だあんなに遠い。だが不思議と怖くはなかった。

 落ちていることは理解できるが、ただ風景がゆっくりと流れているだけに感じられるのだ。おまけに夜だからその眺めさえも定かでない。ややもすれば地上の光を星と見間違い、天が降ってきているのではないかという錯覚さえ生じた。

 向こうの山は三輪だろうか。桜で微かに白く色づいているように見える。その白を無遠慮に洗い流していくのだから、沈んだ灰色の雨は嫌われる。つまり私は今、心底嫌われる存在になっている。そう考えると滑稽だった。

 馬鹿に大きな黒い鳥居が、下を行くいくつもの滴たちの中に、蜻蛉玉のように閉じ込められて映っていた。潤いがあって、魅惑的な幻想だった。しかし全て虚像なのだから面白い。

 風で北に流されていく。しばらくして朱雀門と思しき影が遠くに見えた。闇夜の中でライトに照らされ、ひっそりと浮かび上がるそれはとても重々しい。大路などはむろん侘しい。今度は南に戻された。

 数本、そろそろと傘が動いているのが見えた。じきに地面へと辿り着きそうだ。

 どうやら駅の近くに落ちるらしい。ずいぶん流されたようだが、人のいる場所でよかった。音のない森の中などだと寂しくて、目覚めたときに心が呆けてしまっているかもしれない。やかましい駅の周囲であればそのような心配はいらない。いつだって、他人の心象が心に染みこんでくる。まるで地に雨が滲むように。

 透明な傘が間近に迫ってきた。私の終点はあそこらしい。結わえられた髪に紺色のブレザー。長くて黒い竹刀袋を背負しょっている。輪郭はぼやけて判然としない。

 あぁ、そろそろ終わる。落ちた拍子に目が覚めるだろう。夢なのにここまで冷静だと、自分でも気味が悪いというか変な気分だ。覚えているといいのだが。

 傘が揺れる。少女が不意に私の方を向いた。空を仰いだだけだろうが、瞳がしかと見えた。黒い眼が虚ろに私を見つめて、そう、あれは……。私は爆ぜた。

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