ダンジョン貴族令嬢の異世界新生活

@tea_kaijyu

おかしな新生活

なんてこった。新生活スタートだったはずなのに。


木製の戸がついた窓から差し込んでくる日の光だけが照らす、やや薄暗い部屋の中、土を塗り固めたみたいな床の上に転がった芋を眺めながら

私は呆然と立ち尽くしていた。


私は、シャーロット。シャーロット・マイヨール・ミソロル。

‥‥違う。私の名前は六華だ。苗字は‥‥。あれ?なんだったっけ。


なんだか頭がぼーっとしているし、痛い。痛いのはさっき棚から落ちてきた芋が頭を直撃したからだ。

そう、確か、引越しして転職して記念すべき初出勤の朝、バタバタと慌てていて何かを棚から取り出そうとした時に芋が落ちてきたんだった。

何を取り出そうとしたんだったけ。お弁当用のタッパーかな。

とにかく、芋が落ちてきて頭にぶつかった。その時、バランスを崩してすっ転んだ気がする。

それから‥‥。それっきりか‥‥。


‥‥多分だけど、転んだ時に打ちどころが悪かったのだと思う。きっとそれっきりになってしまって、そして生まれ変わったらしい。


シャーロット・マイヨール・ミソロル。10歳。

手を見てみると、小さい。やっぱり、今は「六華」ではなくて、「シャーロット」なのだ。

シャーロットとしての記憶もちゃんとある。六華の記憶もあって、何だか夢を見ているみたいだけど。


六華は棚から落ちてきた芋が頭にぶつかったことが原因で死亡して、先程、シャーロットである今の私の頭にも芋が直撃して、それで前世の事を思い出したようだ。


思い出すきっかけが芋って‥‥。もっと格好良いきっかけにはならなかったのか。まあ、格好良くても仕方ないけれど。


それより、今の状況をなんとかしないといけないんだよね。


気がついたらですね。屋敷に誰も居なくなってしまってたのですよ。


私の父親は、ジョルジオ・マイヨール伯爵。ダンジョン伯だ。ダンジョンですよ。ダンジョン。異世界決定だね!

この国にはダンジョンがあり、領地内にダンジョンを保有して管理している貴族をダンジョン貴族という。保有しているダンジョンの規模により、爵位が決まるそうだ。

マイヨール伯爵領には中規模と小規模の三つのダンジョンが存在していた。

私が生まれた日に、そのダンジョンの内の一つが消滅したそうだ。

突然、ダンジョン内を探索していた冒険者達や、一部のダンジョン内の物をダンジョンの外に排出して、ダンジョンの入り口が忽然と消えてしまったのだそうだ。

当時は大変な騒ぎだったそうだ。それはそうだよね。

幸い、マイヨール伯爵領には、まだ他にもダンジョンがあったので、ギリギリで爵位は下がらなかったそうだけれど、ダンジョン伯爵家としては体裁的にも経済的にも非常にダメージを受けてしまった。

そして、矛先は、ダンジョンが消失した日に生まれた私に向けられたそうだ。


ダンジョンの女神に愛されない子が生まれたから、ダンジョンが消失したのだと言い出す人が出たそうだ。

その事が原因で、父と母は離縁して、母は実家であるミソロル伯爵家に戻った。そして私と母は、ミソロル伯爵の領地の隅の方にある山の中の屋敷でひっそりと暮らしていた。

屋敷の中には、人数は多くないけれど使用人も居て、派手ではないけれど貴族令嬢としての生活を送っていたと思う。

先日、母が亡くなった。馬車の事故だった。

葬儀は母の実家の方で行われて、私もしばらくは母の実家に滞在していたのだけれど、今後どうするかというところが決まっていなかった。

ミソロル伯爵家の現当主である伯父の屋敷に世話になるか、山の中の屋敷で暮らすか。それとも、父方に引き取られるか。


父と母の離縁の原因は私なので、父方に引き取られることはないとは思うけど‥‥。

本当は、伯父の家にお世話になるのが一番良いのだろうけれど、母との思い出が詰まった山の中の屋敷を出る決意が出来ず、結論が出ないまま一旦、山の中の屋敷に戻ってきたのだ。


そうして、母と暮らしていた屋敷にもどってきて、三日程した時に屋敷が野盗に襲撃された。


執事のライルに逃げるように促されて、ライルと一緒に奥の階段を駆け降りた。

階下に降り立ったところで、どこからか入り込んでいたらしい野盗の一味と遭遇して、ライルが短剣を構えて野盗と対峙した。そして私に、奥の倉庫部屋から外に続く扉を経由して

裏の森に逃げろと言った。

私は、ライルの事も心配だったけれど、言われるがままに倉庫部屋に駆け込んだ。そして外に続く扉を開けようとしたら、外から野盗が扉をこじ開けようとしていた。


私は悲鳴をあげたような気がするけれど、そこから記憶が曖昧だ。

気がついたら、倉庫部屋の床で寝ていた。倒れてたのか?

怪我はなかった。でも、屋敷の中に誰もいなくなっていたのだ。


最初は、野盗の襲撃自体が夢だったのではないかと思ったけれど、屋敷のあちこちに襲撃の痕跡が残っていた。

だけど、使用人も誰もいないのだ。

まさか、みんな野盗に殺されてしまったのだろうか、とも思ったけれど、違うんじゃないかと思えてきた。


さっきまでは、泣きながら屋敷中を走り回って、誰かいないかを探していた。

誰か生き残っていて!と祈りながら、屋敷中見て回っていた。その時はまだ「六華」の記憶も蘇っていなくて、もう絶望的な気持ちだった。

野盗の襲撃にあって、私一人が生き残ってしまったと思った。


そうして、絶望した気持ちのまま、最初に目を覚ました倉庫部屋に戻ってきた。どこを探しても誰も見つからなくて、悲しくて泣いた。

どの位泣いていたのか分からないのだけど、泣いていたせいか喉がカラカラに乾いてしまっていた。

水瓶はあったのだけど、柄杓がなくて探した。今考えれば、手で水を掬って飲んだって良かったのだろうけど、一応「お嬢様」だったからね。

どこかで柄杓で水を掬って水差しに移す光景を見たことがあったので、まずは柄杓を探そうとしたんだよね。


そうしたら、倉庫部屋の棚の上段に置いてあった木箱から柄杓の柄みたいなものが突き出ているのを見つけた。それで、背伸びして棚の上に手を伸ばして取ろうとしたのだけど、

何か間違って、芋が落ちてきたのだ。そして頭に芋が直撃して、前世のことを思い出したようだ。


「六華」の記憶が蘇って、パニクっていた思考が冷静になった。いや、前世の記憶が蘇って十分パニックだったけど。


それでも、シャーロットとしての現在の状況を、先程よりは冷静に見ることができた。


まず、屋敷の中は、結構片付いている。扉とか壁とか割れていたりするけど破片とか落ちていない。もちろん、誰の死体も転がっていない。

床が血みどろという事もない。

玄関ホールまで行ってみたら、扉は施錠されていた。

つまり、野盗に襲撃されて使用人が皆殺しになった現場というより、皆片付けて出ていってしまったみたいな状況なのだ。


「‥‥私を置いて?」


使用人達は、私を置いて逃げてしまったのだろうか。どうしよう。そう考えると、泣きそう。

いや、片付けて、戸締りしているるんだよね。なんだかおかしい。


私が倉庫部屋にいたのに気が付かなかった?

倉庫部屋で気絶していたことに気が付かれなくて、もう森の中かどこかに逃げたと思われたのだろうか。


よくわからないけれど、使用人達が伯父の屋敷に報告に行ったとしたら、そのうち伯父が捜索に来てくれたりしないだろうか。


「コホコホッ‥‥、水っ‥‥。」


少し咳き込んだ。喉がカラカラだったことを思い出した。水瓶を発見した厨房に行こう。

目を覚ました倉庫部屋のすぐ近く。厨房に足を踏み入れた。厨房の壁際に大きな水瓶が並んでいた。誰もいないのだし、柄杓なしで手で水を掬って飲んでしまおうと思って

早速水瓶を覗き込んだ。水面を見て、伸ばしかけた手が思わず止まった。


「うう‥‥。虫が‥‥。」


水面に小さい虫が浮いていたのだ。しかも何匹も。

この水をそのまま飲むのは抵抗がある。気持ちの問題だけじゃなくて、お腹壊すかもしれない。

そもそもこの水瓶の水は、そのまま飲んで大丈夫なのかものだったのか、わからない。


「はあ‥‥。せめて、沸騰させないとダメかな。ここでお腹壊して死ぬとかは、避けたいし‥‥。ああ‥‥あの浄水器があったらなぁ‥‥。」


ふと、「六華」だった時の事を思い出した。通販でアウトドア用の浄水器を買ったのだ。キャンプに興味があって色々買い集めていたところだった。

もっと色々揃えたらソロキャンプに行こうと思ってた。だから、まだあの浄水器は未使用だった。


「まだ使ってなかったのに‥‥!浄水器!」


未使用なまま、死んでしまったのかと悔しくなってギュッと拳を握りしめた。‥‥はずだったけど、握ったつもりの手の中に何かがあった。

紙の箱。浄水器のパッケージ。


「‥‥は?」


箱の中に何か入っているような重みを感じる。恐る恐る箱を開けてみると、小型の浄水器が入っていた。それと説明書。


「はあ!????」


パッケージと浄水器本体を何度も見た。どう見ても、前世で私が購入した浄水器だ。


「ど、どういうこと?‥‥前世の持ち物がどこからか出てきた?」


もしかして、まだ気絶していて夢を見ているのかもしれない。とりあえず喉が渇いたままだったので、浄水器を使ってみることにした。

水瓶から水を浄水器の容器に移す。水の表面に浮いていた虫は避けた。

厨房にあった鍋を持ってきて、少し水を出して鍋をちょっとだけ洗ってから、浄水した水を鍋に注いだ。


沸騰もさせたいところだけれど、川の水を浄水して飲めるような物だから一応飲んでも大丈夫なはず。

しかし、スープ皿を見つけたのでスープ皿で鍋から水を汲んで口に運んだ。


冷たい水がスーッと身体に染み渡るように感じた。


「美味しい!」


ゴクゴクとしばらく夢中になって水を飲み続けた。

喉の渇きが癒えて、落ち着いてきてから、もう一度、浄水器に目を向けた。

明らかに、この世界には異質な品物だ。


「これ、どこから出てきたんだろう‥‥。あ、誰か戻ってきた時に、こんなのがあったら目立つよね。どうしよう‥‥。どこかに隠さないと。」


どこに隠そうかと、浄水器を手に取ろうとしたらスッと目の前でそれが消えた。


「え?」


ギョッとして周囲をキョロキョロと見回した。今まで確かにあったはずの浄水器が見当たらない。

「え?消えた?何で?」


異質な存在には見えたけれど、水道もない衛生観念が違うこの世界では本当に有難い存在だった。


「ないと困るよ〜。浄水器〜‥‥。」


ポンっと目の前に浄水器が出てきた。今度は箱から出したままの状態だ。


「は?」


手を伸ばして、浄水器を手にした。先程、浄水器が消えた時のことを思い出した。

あの時、何て言ったっけ。


「えーと‥‥。『どこかに隠さないと』。」


スッと、浄水器が消えた。


「!やっぱり!‥‥浄水器〜!」


ポンっと浄水器が出てきた。


「隠す〜!」


スッと、消える。


「おお〜!」


どうやら呼んだら出てきて、隠すというとどこかに消えるらしい。面白くなって何度も出したり消したりした。だんだん調子に乗って、青いタヌキみたいな口調で言ってみたりした。


ふと、他の物は出せないのかと思いついた。

出てくるのは、私が前世で持っていたものだけだろうか。

買い集めていたキャンプ用品を思い出しながら、口にしてみた。


「ランタン〜!」


ポンと、白っぽい筒状の物体が出てきた。ホームセンターで買ったソーラーランタンだ。


「おおおお!」


テンションが上がる。ランタンを手にしてスイッチを入れた。


ぽうっと白っぽい灯りが室内を照らした。そんなに高い照度のランタンではなかったと思うけれど、この世界では十分に明るく感じる。


「異世界!さすが異世界!」


思わず、ランタンを持って、厨房の隅とかを照らして回った。


「えーと、隠す!」


ちょっと、試しにランタンを隠すように宣言してみた。思った通り、ランタンが消えた。


「ランタン〜!」


ランタンを呼び出すように言うと、消える直前の状態で灯りがついたままのランタンが出てきた。


「おおお!」


興奮したけど、同時に自分が空腹だったことも思い出した。


「そ、そうだ!カセットガスコンロ〜!」


ランタンの隣にカセットガスコンロが出てきた。どうやら、同時に二つの物も出せるようだ。ちゃんとカセットガスボンベもついた状態だった。

ちょっとドキドキしながらつまみを捻るとボッと焱が出た。


「や、ヤッタァ〜!」


先程、浄水した水を溜めた鍋をコンロの上に乗せた。これでお湯を沸かすことができる。

それならばと、沸かしたお湯があれば食べられる物を思い浮かべた。


「カップ麺〜!」


高らかに叫んでみた。


シーン。


何も出てこなかった。


「カップ麺?」


シーン。


「‥‥あ、もしかして‥‥。カップ麺、買い置きなかったっけ‥‥。」


ガクッと項垂れた。「六華」の時、普段あまりカップ麺を食べなかったのだ。それゆえ買い置きなどしていなかった。

やはり前世の世界のものが何でも出てくるわけではなく、前世で持っていたものだけが出せるということだろうか。


「えーと‥‥、それなら‥‥。素麺!」


ポンッと袋入りの素麺が出てきた。思わずバンザイをする。


「やったー!素麺でたー!」


小躍りしたい気持ちでパッケージを開けて、素麺の束を一つ取り出して、沸騰したお湯の中に入れた。茹で始めてから気がついた。茹でた後の準備をしていなかった。


「買ってたかな。麺つゆ〜。」


ポン。


「やった!それと、ザル〜!」


ポン。


「あ、菜箸〜!」


ポン。


思いついた物の名前を口にして、どんどんと品物が床の上に出てきた。嬉しかったが、途中で薄汚れた床の上に座り込んで作業をしていることに気がついた。


「テーブル〜!」


ポン。


「椅子〜。」


ポン。


水道もない、ガスもない。中世のような厨房の真ん中に、安い家具屋で買ったテーブルと椅子。素麺が茹で上がってから浄水した水は全部沸かしてしまったことを思い出して、もう一度、水瓶の水を浄水してから

麺を水で洗う。

器や箸とかも全部出してセッティング。

異世界で素麺というギャップが凄いけど、お腹が空いていたから違和感はどうでも良いので、一気に食べてしまう。

蕎麦湯ではないけど、麺つゆにあたたかい茹で汁を入れて飲むとホッと落ち着く。


お腹が満ちてきてから、余韻に浸るようにしばらくテーブルで頬杖をついてボーッとしていた。ふと、コーヒーが飲みたくなって、コーヒー器具を呼び出してみた。

キャニスターが出てきた。中にコーヒー豆が入っている。

豆ということは粉にしないといけない。


「コーヒーミル〜!‥。あ!」


コーヒーまめを挽こうとコーヒーミルを呼び出したら、見覚えがある電動式のコーヒーミルが出てきた。もちろんコードがブラリとぶら下がっている。


「で、電気ないやん〜。」


ちょっとがっくりとしながら、コーヒーミルの電源コードをブラブラと振り回した。


「豆は、何かで叩いて砕くしかないかな〜。‥‥あ!ポタ電!」


諦めかけた時、ポータブル電源を買ったのを思い出した。高かったけどネットのセール期間で思い切ってポチッとしたのだ。


ポンと目の前に、ポータブル電源が現れた。恐る恐るスイッチを入れてみたら、液晶の画面が光って、数値が表示された。

100%の文字。

バッテリーは充電済みの状態だ。


「やったー!豆挽けるよ!」


上機嫌でコーヒーミルの電源コードをポータブル電源に挿して、豆を挽いた。後から落ち着いて考えたら、キャンプ用に手動で挽くコーヒーミルも買ってきてあったことを

思い出したのだが、この世界で電化製品を使えるということがとてつもなく嬉しかった。もちろん、ソーラーパネルだってポータブル電源とセットで買ってある。


保温ポットになっているコーヒーサーバーにコーヒーを淹れる。ちょっと土の匂いがするような厨房にコーヒーの香りが満ちた。


お気に入りだったマグカップで熱々のコーヒーを啜りながら、これからのことを考える。


どうやら私は、「六華」が持っていたものは出せるし、消すこともできるようだ。どういう仕組みかはわからないけど、まあ異世界だからね。食べ物も出せたので当面は飢えることはないだろう。

どのくらい備蓄していたか、そもそも持っていた物を全部出せるのかどうかは後で確認しよう。


後は使用人が戻ってくるのを待ってみるか。

それとも、山を降りて麓の村まで行ってみる?


自由に「六華」の時のものを取り出せる現状を考えると、麓の村に行くよりは、当面はこの屋敷にいる方が良いような気がする。


人前では現代のものを取り出すのは危険だ。そもそも、10歳の女の子が一人でプラプラと出歩くのはリスクがあるのではないだろうか。


もしも、前世の記憶が蘇っただけで、物品を出すなどができるわけではなかった場合は、食べ物を求める為に村まで出るという選択肢が上位に出ていたと思うけれど。

でも、誰も屋敷に戻ってこないまま食料が尽きてしまったりしたら、麓の村まで行くことも検討しないといけない。


「‥‥それはそれで面白そうではあるけど‥‥。」


シャーロットとして生活していた時は屋敷からほとんど出たことがなく、麓の村は馬車で通過するだけで、村に降り立ったことはなかった。

この世界の、異世界の村というものの生活がどんなだか見てみたい気持ちはある。同時に、治安の悪い外国に入り込んでしまったような怖さもあるだろうと思っている。


「‥‥まあ、慌てることもないし。楽しみましょう。」


マグカップが空になったので、お変わりのコーヒーを保温サーバーから注ぐ。まだ熱々だ。


「六華」の時、ちょっとサバイバルな生活に憧れてキャンプ用品とかを買ったクセに、このサバイバルな世界で、便利なモノを堪能してしまっている。


よくわからないうちに転生をしてしまって戸惑いがないというと嘘になるけれど、なんだかワクワクしてしまっている自分に気がついた。


ダンジョンがある世界。異世界生活はこれからスタートなのだ。

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