浮き島ルルイエ

ゆずれもん

スタート

 島国である日本は北極海の海氷消滅によって島の数が減りつつあるが、最先端のテクノロジーをもって人工的な「浮き島」が建造されている。幅二㎞の反重力スラスターで島全体を浮遊させている。現時点で居住可能な浮き島の数は二百ほどある。各島にはそれぞれの名前がついている。たとえば、私が今住んでいる浮き島は「ルルイエ」という。

 中上層階級の人々にのみ居住の特権を与えられ、下層階級の人々が文字通り「下界」と呼ばれるところに住んでいる。私はもちろんそこに行ったことがない。ちなみに、他の島へ移動できるが、けっこうコストがかかる。


 私はリビングで何気なく半透明テレビで世界ニュースを見ていると、ヒューマノイド型清掃ロボットがうるさい靴音を立てて目の前にやってきた。

「ゴミを回収します。ご協力お願いします」

 ロボットにしては上手く人の声を真似できる。とはいえ、こいつだけはシステムに不具合があるようで、口が微動だにしない。不気味すぎて顔を見ないようにしている。

 その視線は私の右手が握っているソーダ缶に向いている。肉を欲しがる犬のように見つめている。

「なあ。ちょっとどいてくれないか? テレビが見えねえんだ」

「ゴミを回収します。ご協力お願いします」

 どうやらソーダ缶をゴミ箱に入れないとそこから動いてくれないみたいだ。自分で拾えと言おうとしたが、ロボットが反抗して人間を襲った事件について報告するレポーターを耳にし、少し怯んで口にできなかった。

 缶をぽいと投げると小さな弧を描いてカシャッと音がした。

「ありがとーございます」

「……」

 ポンコツ清掃員がその場からようやく立ち去り、私はため息をついた。隅っこにある何も入っていないダンボールをゴミ箱だと勘違いしたのか、ポンコツがそれを拾って中身を確認したが、結局元の位置に戻して部屋をささっと出ていった。邪魔なだけだから誰かあのロボットをクビにしてやってくれないか。

 冷蔵庫からもう一本のソーダ缶を取り出し、あのポンコツが二度と現れないように願っておきながら、一気に飲み干した。今度こそちゃんとゴミ箱に捨てるからさ。

 あれ。ゴミ箱が見当たらないぞ。くそ、あいつが持っていきやがったか。

 少しだけうたた寝しようと思いソファに倒れ込んだその瞬間、ソファから大きな振動が身体中に伝わったような気がした。いや、確実にそう感じた。今も感じている。突然の出来事で思わず身体を起こしてしまい、床が小刻みに揺れているのを感じて、しばらくしたらもう止まっている。

 丸いテーブルにある携帯端末が緊急警報を鳴らしたのは私の周りが落ち着いて数秒後だった。そして警報音とは別の音が聞こえた。画面を確認し、友人からの電話だとわかった。振動が止まった今も身体が未だに震えているから、端末を拾うのに精一杯だ。電話に出ると、

「早くそっちから逃げろ‼」

 端末を耳に当てる暇も与えずに、あいつの叫び声が電話越しに聞こえた。今の状況を把握できていない私は当然の疑問を投げかける。

「は? どうなってんだよ」

「とにかく最東端まで全力で走れ、そこで打ち合おう」

 そう言うやいなや、電話が切れた。あいつがそわそわしてじっとしていられない様子が伝わってくる。

 わけのわからないハプニングが短時間で発生して、身体がもう冷や汗でびしょびしょだ。

 私は言われたとおりに逃げようと、まず部屋の出口に向かった。ドア付近からも大勢の人が廊下を駆けるような足音が聞こえる。扉を開くと人波に押し寄せられて少し腹が立ったが、今の状況を考えるとそうする余裕もないし気がつけばもう走っている。

 アパートの入口をくぐり抜け、一日ぶりに外の空気に触れた。幾何学的模様のドームが島全体を囲んでいるのが見える。周りの様子は予想と違って、崩れている建物や舗装のヒビ割れがどこにも見つからない。

 今まで一緒にダッシュしていた人の多くが違う方向に進んで行った。同じスピードで走っている人が数十人もいる。黒い制服を着た警官がたまたま隣を走っている。思わず、彼に声をかけてしまった。

「あっ、あのっ、いったい何が起きてるんですか?」

「スラスターが爆発したんだ。あと数時間でこの島は墜落する」

 スラスターが壊れたらどれほどヤバいか身をもって知るようになったのはたった数分前。この状況でいちばん大事なのはここから脱出すること。

「急げ、もう時間はないぞ。東端に向かうんだ」

 返事をせずに一目散に走ることにした。目的地まで徒歩であと二十分といったところだ。さすがに二十分止まらずに走れるほどの体力がないため、途中で疲労回復と水分補給で休憩を取らねばならなかった。

「警告。『ルルイエ』は、十分後に自己破壊します。繰り返します。『ルルイエ』は、十分後に自己破壊します」

「っ!」

 スピーカーが搭載されているドローンから女性アナウンサーの機械的なボイスが聞こえた。突然の警告でびびってしまった。空中を飛んでいるドローンの数は数え切れないほどあるので、音量が高い上によくエコーする。

 最東端につくまであと百メートル、つまり全力で走って五分。友人がそこにいるかもわからない。

 ドームの模様がはっきりと見えてきた。とはいえ、とても安心できない。むしろ不安でならない。

 誰もいない。ここが出口なんじゃないのか? みんな、どこにいるんだ? 友人はおそらく、先に行ってしまったのだろう。この状況で友達を待っていられるか。さっき会った警官の姿もない。

 何もない。ただ、あるのはルルイエの出入口と、黄色の服を販売している自動販売機。出入口に近づくと、金属の自動ドアが開く。奥にはガラス製のドアがある。固く閉ざされていて、力を入れないと開けられないようだ。

 テレビのドキュメンタリーで見る、自由自在に滑空する人も、ここを出入りする人も大体その黄色い服を着ているので、あれは他の島に行くために必要不可欠な物なのかもしれない。自動販売機に残っているのはたった一着、しかも運が味方してくれた証拠に、取り出し口にあった。どういう仕組みかわからないが、さっそく装着して、早くここから脱出しよう。

「警告。『ルルイエ』は一分後に自己破壊します」

 と二回言って、死神が徐々に近づいてきているような気配を感じ始めた。

 しかし、問題はこのガラスの扉がなかなか開かないことだ。何か重い物を持ってきても小さなひびすら入らない。逆の方向に開けてみるとあっさりと開いた。

 外の世界は強い雨が降っている。滝のような豪雨が吹きつけている。強風と大きな雨粒はやがて私の身体を包み込んだ。

「警告。十、九、……」

 やばい。カウントダウンが始まった。死神があと何歩で歩いたら私の肌に触れられるか数えている。

 下界を見下ろしても点滅する鈍色の雲しか見えない。落ちたら怖いと思ったのだが、ここから脱出する方法は飛び降りることしかあるまい。

「三……」

 自分を死神に一切触れさせない。死ぬのが怖いんだ。

「二……」

 だから私は迷うことなく決断した。

「一」

 私はもう、自由の身だ。

「スタート・デストラクション」

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浮き島ルルイエ ゆずれもん @sakuhime3

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