義弟に恋人らしいことを迫られました【1/13修正】

鳩藍@『誓星のデュオ』コミカライズ連載中

 


「そろそろ恋人らしいことを始めたいんですよね」


 夕食を食べていると、特に何の前触れもなく瑞樹みずきくんから恐ろしい提案が飛んできた。


「えーっと瑞樹くん。まず俺ら恋人じゃないよね」

「ええ、まだですね」

「まだと来たか……」


 亡き妻もよく作っていたきゅうり入りのツナマヨサラダを咀嚼して飲み込んでから、瑞樹くんは続ける。


「僕がたける義兄にいさんに告白してから、そろそろ半年になるじゃないですか」

「告白ってか、あれは監禁……」


「あれからこうして週一でのお泊り会をしてる訳ですけど、恋人らしい進展が少しもないじゃないですか」

「うん、だから恋人になることを了承してるわけじゃ……」


「だからそろそろ恋人らしいことを始めたいんですよね」

「無限ループ入ったかな???」


 瑞樹くんはニコニコといつもの笑みを浮かべるだけだった。


 半年前。亡くなった妻の一周忌に睡眠薬を盛って、手作りの拘束具でベッドに縛り付け事に及ぼうとした瑞樹くんだ。

 ここで俺が恋人らしいことに少しでも拒否の姿勢を示したら、今度こそ俺の貞操は間違いなくヤバい。


「んー……恋人らしいことって、具体的には?」

「キス以上のこともそろそろ始めたいですね」

「タイム」


 両手でTの字を作り、一旦会話を中断する。

 了承しようとしまいと貞操の危機とか冗談じゃない。どうにか最悪の事態を回避するために、俺は必死に頭を回す。


「別に、恋人だから必ずしなきゃいけないってことはないと思うんだよ。二人だけで共有できる思い出をたくさん増やせれば、自然と距離は縮まるんじゃないかな」


「思い出、ですか」

「そうそう。一緒に出掛けて、映画観たり、買い物したり、食事したりさ。何てことない事ばかりだけど、その積み重ねでお互いを知っていくのは、恋人かどうかに関係なく大事なことだと思うけど、どうかな」


 俺の提案に、瑞樹くんは目を瞬かせた後に、思い切り顔を顰めて苦々しげに言った。


「あの……外出って、必須ですか?」


 どういう事かと聞き返す前に、瑞樹くんは淡々と言い募る。


「別に映画はサブスクで観ればいいし、買い物も通販あるし、食事は僕が作りますし。わざわざ、外になんて出なくていいじゃないですか」

「んー……瑞樹くん、俺とお出掛けデートは嫌か?」


「…………うるさいのが、嫌いです」


 渋い顔をして言い捨てた瑞樹くんを見て、俺は腕を組んでしばし考えた。


「じゃあ、こう言うのはどうだ?」


 ◆


『それでは、続いての曲をお聴きください――……』


 カーラジオから流れるポップスをBGMに、誰も走っていない真夜中の峠道をのんびり運転していく。


「晴れてよかったですね」

「だなー。天体観測日和だ」


 うるさいのが嫌い、という瑞樹くんの要望に答えての真夜中ドライブデート。目的地は峠の途中にあるパーキングエリア。望遠鏡なんて洒落たものはないので、肉眼でのなんちゃって天体観測だ。


 ゆったりとした時間が流れる車内で、助手席の瑞樹くんが徐に口を開いた。


「……夏樹なつき姉さんとも、よく来たんですか?」

「まさか。夏樹、夜更かし苦手だったろ」


 カーナビで目的地までの距離を確認しつつ、俺はハンドルを傾けて緩やかなカーブを曲がる。


「元は親父の趣味だよ。人付き合いに疲れた時に、誰もいない所でぼーっと星を眺めるのが好きだって言っててさ」

「……健義兄さんも、人付き合いに疲れることが?」

「あるある。寧ろ疲れまくりだよ、警官なんてさ。人のダメな所ばっかり見ちゃうからね」


 少しの間、カーラジオのポップスだけがシャカシャカと無機質に響いた。

 そうして曲が終わると同時に、俺たちは目的地に辿り着く。


「――……わあ」


 車から降りた瑞樹くんは、空を見上げた瞬間、感嘆のため息を漏らした。


 澄み渡る夜空一面に散らばる、煌めく白銀の星々。都会では街の光に遮られる瞬きが、僅かな外灯だけが照らすパーキングエリアからは余すことなく眺められる。


 呆然と立ち尽くす瑞樹くんの後ろで、俺は後部座席からコンビニで買ったサンドイッチと、インスタントのコーンポタージュを入れたスープジャーを二つ取り出す。


「瑞樹くん、食べようぜ」

「あ、はい」


 二人で並んで車のボンネットに腰かけ、ポタージュで身体を温めながら黙々とサンドイッチを頬張る。

 サンドイッチを食べ終わってからは、お互いに何も言わず、スープジャーを時々傾けつつ、ただジッと星を眺めていた。


「……ありがとうございます、健義兄さん」

「気に入ってもらえたんなら、よかったよ」

「ええ、僕の好みに合わせてくれたのもそうですけど……」


 両手で空になったスープジャーを持った瑞樹くんが、不意に俺の目を覗き込んだ。

 必然、顔の距離が近くなる。


「――……姉さんとも見たことないものを、見せてくれたのが、嬉しいんです」


 返事をする前に、瑞樹くんの唇が俺の唇を塞いだ。

 ほんの一瞬だけ互いの熱を分け合ってから、瑞樹くんはゆっくりと俺から顔を離す。


「次のデートでは、義兄さんからしてくださいね」


 そう言って、瑞樹くんはいたずらっぽく笑った。

 普段の張り付けたような愛想笑いじゃないその笑顔に、いつになく胸がざわめいて――。


「なあ。瑞樹くん」


 気づいたら俺は、こう切り出していた。



「俺の事、義兄さんって呼ぶの止めないか?」



 その言葉に、瑞樹くんの目が驚愕に見開かれる。俺はその目を真っすぐ見据えて続けた。


「義兄さんって呼ばれると、俺、やっぱり君を家族だって思っちゃうんだ」


 恋人らしいことがしたい。瑞樹くんはそう言いながらも、俺を『義兄にいさん』と呼び続ける。


 それは多分、俺たちの関係が、死んだ夏樹でしか繋がっていない、義理の家族からで。


「君が本気で、俺と、夏樹を挟まない新しい関係を築きたいって思っているなら、義兄さん呼びを、止めにしてみないか?」


 新しい関係を始めるなら、まず、古い関係を清算するところから始めなきゃいけない。


 戸惑いを露わにした瑞樹くんは、しばらく俺を見つめた後――


「健……さん」


 唇を震わせながら、躊躇いがちに俺の名を呼んだ。


「健、さん」

「うん」

「健さん」

「うん」


 俺の名前を呼ぶたびに、ハラハラと涙が瑞樹くんの頬を伝う。


「健さん、僕、ずっとあなたをこう呼びたかった」

「うん」


「姉さんは、あなたとデートに行くと、その日のこと全部、僕に教えに来たんです」

「……うん」


「どんな映画を観たかとか、どこで買い物したとか、何を食べて来たかとか」

「うん、そっか……ごめんな」


 俺は瑞樹くんに向き合い、彼の背に両腕を回す。瑞樹くんは僕の肩に顔を埋めて、何度も何度も俺の名前を呼ぶ。


「健さん……健さん……僕、ずっとあなたをこう呼びたかった」

「うん」

「健さん、好きです、あなたが好き」

「うん」


「また、一緒に星を見てくれますか?」

「いいよ。何回でも」


 ――これからは義理の家族ではない、新しい関係で。


 瑞樹くんの頭をそっと撫でながら、俺は心の中でそう独り言ちた。


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