隣のダンジョン

海沼偲

第1話 ダンジョンという異物

 人が生まれた頃からか、それとも文明を築いた頃からか、いつからなのかはわからないが、間違いなく今この時代にダンジョンなんて代物が確かに存在している。

 世界はそれに当たり前に適応しているのだが、俺だけはまだ少し受け入れきれていないところがあった。

 俺は、中学生までの記憶が二つ存在している。殆ど似たような記憶ではあるが、間違いなく違うのがダンジョンの存在。今俺が生きている世界はダンジョンがあり、中学2年生の秋までしか存在しない記憶にはダンジョンが存在しない。

 生まれ変わって、その記憶を引き継いでいるのか、妄想なのか、毒電波でも浴びたか。どれかにせよ、周りの人間よりは年齢以上の経験があった。まあ、中学生までしかない人生の経験がもう一つあったとしても、たいして変わらないが。周りの男子より大人っぽいと思われるくらいしかなかった。

 そういうわけもあってか、俺はダンジョンの存在を変わったものがあるという認識で見ることも出来ていたのである。周りの子供達の夢や希望のこもった熱狂に冷めた視線を僅かにでも向けられたということであった。


「なあなあ、春輝ももう十六になっただろ? どうするんだよ。ダンジョンに入るのか?」


 と、俺に話しかけてきたのは、小学生の頃からの友人というか、腐れ縁である、松浦健人。彼は入学してすぐに十六歳になり、ダンジョンに入れる年齢になったが、一人で入るのは危険だと思う思慮深さはあったので、こうして俺が誕生日を迎えるまで待っていたというわけだった。

 だが、ダンジョンで亡くなる人なんて毎年のように何人もいる。当然同年代だろうがお構いなしだ。昨日も一人、同い年がダンジョンで遺体となって発見されたそうだ。今は四月なのだから、ダンジョンに入れるようになってすぐの出来事なのだと考えられる。つまりは、初めてのダンジョン探索でも死ぬかもしれないと、不安になってしまうのも無理はないし、それを深く考えないこの友人を、変なものとして見てしまうのも仕方がないだろう。

 だが、世界では俺のようにこんなにもダンジョンに警戒をしている方が異端で異質なのだ。

 ダンジョンでの死はあまりにも当たり前となっているからか、ニュースでは報道しない。ダンジョン協会のホームページに記載されるだけだ。それぐらいありふれたこととして受け入れている。おそらく、クラスメイトがダンジョンで死んだとしても、誰もダンジョンに対しての恐怖を特別に抱いたりはしないのだろう。

 どうして、こんなにも危険極まりないダンジョンに向かう人が絶えず、それに鈍感になってしまっているのかというと、どんな人間でも成功者へと成り上がれるチャンスがあるからなのだろう。

 ダンジョンに入れば、命の危険があろうとも、運が良ければ一攫千金のチャンスがあるわけだ。宝箱から万を飛び越えて億にすら到達するような価値のあるものが出て来たという話は噂として流れてくる。それに、優秀な探索者は雑誌の特集を組まれることもあるわけで、一部の上位者は、テレビタレント、芸能人以上の名声を持っている。アイドルや俳優と付き合いたいから、ダンジョンに潜っているなんて邪な人間もそれなりにいることだろう。

 だけれども、俺はあまりそういうのには乗り気ではなかった。大抵の高校生が、一度はダンジョンに入って、適性があるかを確認しに行くそうだが、それでも死の危険を乗り越える価値があるのかと、疑問でしかなかったのである。

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