第23話 それぞれの想い
大通りを一台の車が走り抜ける。両側には木々が並び、その木々がまるで車を迎えるように道を緑取っていた。時折、コンビニエンスストアが現れるものの、他には商業施設の姿はほとんど見受けられず、真っ白な住宅が点在しているだけだった。
周囲が白で統一されている中、唯一、年季の入った黒い車だけは色彩鮮やかに輝いていた。それは、真っ白なキャンバスにペンで点が描かれているように道を走り続けていた。
この年季の入った車は草薙が所有していたものであり、湊が記憶の中から創造したものだ。そのためか、その車は元来の物に比べ、やや色褪せているように思えた。
湊、リアム、草薙の三人は、この車を駆って谷地下台に向かっていた。そこで待ち構えているであろう、神に関わる者たちと向き合うために。
運転席は草薙が、助手席はリアムが座っていた。時折、二人は雑談を交わしていたが、湊はそんな気分になれなかった。慈愛の従者の存在、オリビアの変化、希望の従者の提案、それらが、彼の心を騒がせていた。
「しかし、俺の車だと運転しやすいが、どうせなら、高級車かなんかにしてくれよ」
草薙の言葉に、湊は心の中で同感する。創造するのであれば、もっと乗り心地の良い車を選べばよかったと後悔していた。
しばらく車が走ると、湊の視界に信号が飛び込んでくる。しかし、それは色合いが乏しく、信号の順番だけで進行可能なのかを判断するしかない。信号の灰色箇所が右側に移動すると、草薙は車を停めた。もっとも、周りには他の車は存在しないことから停車する必要はないかもしれないが、予期せぬ車が飛び出してくる可能性も否定ができない。
この辺りは、湊の世界の都内よりも酷い状況かもしれない。物質が白いだけではなく、全く人の気配を感じないのだ。それは、この地に近づかないように導きがあったのかもしれない。
しかし、湊はこの状況を根本から変える選択肢を持っている。この世界の神を倒せば、断片のように散らばった世界は再び一つに統合され、全てが元の状態に戻るだろう。だが、その選択が本当に正しいのか、湊自身には確信が持てなかった。世界が一つに統一されれば、時間が止まったこの世界も消え去り、湊を見つめてくれるあの子も失われるだろう。
湊の目の前の信号の灰色が左に移動すると、草薙は再び車を発進させる。すると、車道の中央に人影が飛び込んでくる。草薙は驚愕し、右にハンドルを切りながらブレーキを踏んだ。車は回転を避けつつも、対向車線の歩道上で停車した。
通常の世界ならば、それは大事故に繋がったかもしれない。湊の額には大粒の汗が伝っていた。
三人は速やかに車を降り、元の走行していた車道に視線を向けると、そこには破壊の従者が立っていた。
「よう」
破壊の従者は煙草を咥え、フードの下から不敵な笑みを浮かべていた。その姿を見た湊は警戒し、腰をわずかに落とした。すると、破壊の従者は、ゆっくりと手を天に向けた。
しばらくすると、破壊の従者の手に黄色に光る槍が現れた。その槍は全ての闇を振り払うように眩い光を放っており、湊はそれに神秘的な美しさを感じる。しかし、その美しさとは裏腹に、鋭く尖った先端は人の命を奪う道具だと感じさせた。
湊たちは警戒の姿勢を強めるが、破壊の従者はそれを無視し、腕を大きく振りかぶって槍を彼らに向けて放つ。すると、放たれた光の槍は、光の線のように湊たちの元へ飛んできた。
そして、それは草薙の胸を終着点にして止まる。草薙は驚愕の表情で、自らの胸に突き刺さった槍を見下ろしたかと思うと、そのまま、崩れ落ちるように前屈みに崩れ落ちていく。倒れゆく草薙の身体は透明に染まっていた。
「あ、後は任せたぜ・・・。ダチたちを頼むわ」
その言葉を放つ草薙の視線は破壊の従者に向けられていた。草薙の姿は次第に透明に染まっていき、やがて完全に消えて行く。
そして、草薙の存在していた場所から、光の玉のようなものが浮かび上がり、破壊の従者の方へと飛んでいった。
「すまねえな。俺が消えようと思ってたんだけどな。どうしても、あいつを止める力が必要になったんだ」
破壊の従者が呟くが、湊はその出来事に心が硬直していた。短い期間とはいえ、草薙は彼の仲間だったのだ。その大切な存在を突如として奪われてしまった。
湊の頭の中で何かが切れ、破壊の従者への怒りが湧き上がってきた。彼は足元に力を込め、その悪魔の姿に向かって駆け出そうとするが、彼よりも早くリアムが行動に移っていた。彼の瞳は燃えるような怒りを携え、整った顔の眉間には深いしわが刻まれていた。
「破壊の従者―!」
リアムは怒りの咆哮を上げながら、破壊の従者に駆け寄って行ったが、突如として、従者が宙に舞い上がる。その光景に、湊とリアムは上空へ視線を走らせる。そこには白い太陽の輝きの隣に、破壊の従者の姿が浮かび上がっていた。
「そこで、待っていろ!」
リアムは膝を曲げ、足に力を集中させていた。
「谷地下台で待っているぜ」
その言葉を最後に、破壊の従者は次第に半透明となり、やがて姿を消してしまう。
怒りの捌け口を失ったのか、リアムは地面を強く蹴りつける。彼にしては珍しい行動であり、草薙を失った動揺を物語っているように思えた。
「慶次・・・」
リアムの声は震えており、湊も拳を強く握りしめる。彼にとっても草薙は大切な存在だった。湊の胸に熱いものが湧き上がってくる。
しかし、湊たちには悲しみに暮れている時間はない。谷地下台にいるオリビアの安否を確認するため、世界を元に戻すため、彼らは前を向かなければならないのだ。湊は目の前にいるリアムの肩に手を置く。
「リアム。先に進もう。別世界の俺を倒さないと悲劇が広がる。草薙もそれを望んでいたはずだよ」
リアムの強く握っていた拳が、ゆっくりと緩んでいった。
「そうだね。ここからは徒歩で向かおう。神の従者がどこにいるか分からないからね」
湊が首を縦に振り、周囲を見回す。すぐ近くにコンビニエンスストアがあり、その隣には狭い道が伸びていた。彼の記憶が正しければ、そこから裏路地に入れるはずである。湊がその道に指を向けると、彼らは裏路地への道に向かって行く。
この周辺は湊には馴染みの深い場所であった。学生時代には、自転車や徒歩で通った道。近くには利用していたホームセンターや、今は閉店してしまった本屋の建物が立っていた。
湊とリアムが警戒しながらも一歩ずつ歩を進めて行くと、大きく広がる建物の山が見えて来る。湊が生活する団地の姿ではあったが、この世界では彼の住んでいた場所とは異なるかもしれない。
湊たちが団地の敷地内に足を踏み入れると、多くの真っ白な建物が連なっていた。ここの九号棟が湊の自宅がある棟だ。二人は周囲を警戒しながらも、その建物に向かうために歩を進めていく。
湊の思考が自然と子供時代に流れて行った。あの頃は毎日を純粋な気持ちで過ごしていた。オリビアや家族と過ごした日々は無邪気に笑っていた幸せな時間だった。
湊の視界に九号棟という文字が書かれている建造物が飛び込んでくる。その低く広い建物の前には、複数の住居への入り口が並んでいた。本来ならば、住人たちが出入りする光景が想像されるが、今は静寂が広がっていた。神の従者たちの姿も見えなかった。
しかし、この建物の姿に触れると、湊の心は現在の危機を忘れ、遠い昔の世界に飛びだっていってしまう。あの子に会いたい。彼の心がそれを強く願う。
すると、終の世界で湊が住居としている場所の入り口から、二人の幼子が姿を現す。一人は茶色の髪の男の子、もう一人は金髪の女の子だった。女の子の両手には、兎のぬいぐるみが大事そうに抱きしめられていた。
「公園に行こうよ」
男の子が女の子の手を取り、建物の目の前にある細い道を公園に方向を目がけて走って行く。
「あれ、小さな子が・・・?」
リアムが口を半開きにしながら声を上げる。彼らがこれまでに体験した魂の戦いで、こんなに鮮明な色彩を持った第三者は見たことがなかった。それに加え、その姿は幼子である。
湊とリアムは、その幼子たちの後を追うために足を進める。
「遅くなっちゃうよ」
女の子の言葉に、湊は彼女の方へ視線を移した。彼女の服は、身体の成長に合っていないように見えた。湊は子供のころ、一緒に遊んだ女の子の服装に違和感を覚えていたのを思い出す。
「たまにはいいじゃん。ぼくはオリビアが一緒にいないと嫌なんだ!」
男の子はそう言いながら歩調を早め、狭い道の先の広い道に入っていった。湊とリアムも幼子を追うように歩を進めて行く。
すると、湊の目の前に想い出の公園が広がってくる。ここは悠太が亡くなった後、オリビアと話した場所であり、湊と彼女が幼い頃に幾度も遊びに訪れた場所だ。
幼子たちは想い出の公園に入って行った。しかし、湊の視線はすぐに彼らから外れ、ブランコの方に移っていく。なぜなら、そのブランコにはローブをまとった人物の後ろ姿があったからだ。
幼子たちもその人物に気付いたのか、ブランコに駆け寄っていき、その者のローブの裾を引っ張る。
「お姉ちゃんも遊ぼうよ」
その者は隣にいる男の子の方に顔を向けた。彼女のフードの下から見える口がしばらく開いたままとなった。しかし、次第に優しい笑みに変わっていった。
「ううん。二人で遊んでね。あなたたちの大切な時間だから」
その者が優しく返事をする。彼女の声は、湊がこれまでに耳にしてきた機械的なものではなく、いつも聞いている心地の良い声であった。
「オリビア」
湊が声をかけると、その者は彼の方向を見ることなく、静かに声だけを向けてくる。
「あなたが会わせてくれたのですね。でも、あなたには会いたくなかった」
その者の言葉に湊は驚いたが、それを無視して歩み寄っていく。
湊が近づいてきたことに気付いたのか、幼子たちはどこかに走り去って行ってしまう。彼の視線がその姿を追うと、幼子の二人は砂場で腰を下ろしていた。恐らくは、おままごとが始まるのだろう。
湊がその者、慈愛の従者の背中に近づくと、彼女はブランコにぶら下がっていた足をゆっくりと地面につける。そして、こちらに顔を向けてくる。
「・・・あなたにお願いがあるのです。神様になって、わたし達を導いてください」
その言葉を聞いた湊は、慈愛の従者の顔にゆっくりと手を伸ばす。彼女が驚愕したように身体を硬直させる。湊が慈愛の従者のフードを優しく取り除く。
そこにはオリビアの顔があった。化粧こそ施されていなかったが、それは彼の記憶にある彼女と寸分違わないものであった。
「やっと、会えた。君を探していた。ずっと、昔から・・・」
湊が微笑を浮かべると、彼女もそれに応えるように優しく微笑んだ。しかし、次第にその表情は重苦しい表情へと変化して行く。
「湊、また、わたしを導いて」
その言葉に湊が首を横に振る。
「君は俺だけを見ていてくれたね。俺が望まない部分を他の世界に奪われた、あの時のままの君だ」
「あなたは、わたしの神様なの。だから、あなたの言うことを聞いていれば」
「もう止めよう。神様ごっこは。時間は戻らないんだ。君の神にもそれを伝えて欲しい」
慈愛の従者は無言のまま俯く。
「早く大人になりたいなぁ。オリビアもそう思うでしょ?」
突如、砂場で声を上げた男の子の言葉に、女の子が憂いを帯びた表情を浮かべていた。
湊は、慈愛の従者が抱えていた兎のぬいぐるみを自らの手で掴むと、それを自分の腕に抱き締める。
「あっ・・・」
「子供の頃の思い出は宝物だけど、もう、君も前を向いて欲しい。俺も幼き頃の想い出を持ちながら前に進むことにするよ」
湊の言葉と共に、男の子と女の子の姿は薄れていく。消えゆく彼らの顔には暖かい笑みが浮かんでいるように見えた。彼らは忘れ難い大切な想い出だ。しかし、彼らを抱えながらも、湊は前に進まなければならない。
その湊の言葉を最後に、公園は静寂に包まれる。慈愛の従者の心に何が巡っているのか、彼は知る由もない。
しかし、静寂を打ち破るように手を叩くような音が聞こえてくる。
「逆に神の従者が説得されているとはね。やはり、貴方は神に相応しい方だ」
湊が声のする方に視線を向けると、公園の入口から手を叩きながら近づいてくる、希望の従者の姿があった。
「やはり、間違った神は消した後に、貴方は神を名乗るべきです。私と共に世界を導きましょう」
「俺は君の神になる気はないよ。この一連のことで世界中の人が苦しんでいる。俺は前に進む。君もだ。リアム」
「貴方は何を言われているのですか? 神の御自覚が目覚めきれていないようだ。僭越ながら、私がお伝えしないとならなそうだ」
希望の従者が湊に歩み寄ろうとした瞬間、リアムが彼の前に立ちはだかる。
「やはり、貴方が諸悪の権化だ」
「私が諸悪? 何を根拠に?」
「妄言を吐き散らして人を惑わしているじゃないか?」
希望の従者から笑みが消える。
「やはり、お前は邪魔だな。神の説得の前に先に片付ける必要がありそうだ」
希望の従者はリアムに向かって腕を伸ばしてきたが、彼はその手を自らの手で掴む。二人は片手で強く押し合いながら、対峙することになった。それぞれの手には、互いの意志と信念がぶつかり合っているようであった。
「初めてだよ。お前のような者が創造されたのは」
希望の従者は、リアムを片手だけで宙に浮かせる。リアムの足が空を向くと、希望の従者は彼を一気に地面へと叩きつけた。衝撃で地面が震え、白い砂埃が大量に舞い上がった。
「待っている」
希望の従者はその言葉を残し、ゆっくりと公園の入り口に向かって歩き始めた。そして、バスの停留所の方向に歩を進めて行く。
希望の従者が遠ざかる中、湊はリアムの方へ目をやった。リアムは頭を抑えつつも、徐々に立ち上がる。彼の身体の色合いが変わっていないことから、魂に損傷はなかったようだ。
湊が心配そうにリアムに近づこうとしたとき、彼は手を出して湊を制する。
「行ってくるよ」
リアムは呟くように言うと、公園の出入り口に向かかって歩み始める。湊は彼に手を伸ばす。
「待って。俺も行くよ」
「これは僕の問題だ!」
普段の温厚なリアムからは考えられないような厳しい口調に、湊は驚き言葉を失った。動きが停止している湊を尻目に、リアムは足早に公園の出口へ向かい、あっという間に姿を消してしまった。
湊とリアムの交流はそれほど長くないが、彼は湊にとって大切な友人になっていた。だからこそ、見捨てるわけにはいかない。湊は慈愛の従者の方に視線を向ける。
「やっぱり、俺も行くよ。君はここで待っていてくれ」
湊の言葉に対して、慈愛の従者が優しい微笑を浮かべる。その笑顔は、幼い湊がいつも見ていたものそのものだった。
「あなたは、リアムには近づいちゃダメなの」
「大丈夫だ。俺はあいつの言う通りになる気はないさ」
「それでも、わたしが行くの。わたしの世界のことだもん」
「いや、君は待っていろ。ここは俺が」
湊は慈愛の従者の視線を逸らし、リアムの後を追おうとしたが、足が前に進まなかった。それは、まるで魂が彼の意思を無視し、動くことを拒んでいるかのようだった。
慈愛の従者が湊の元に歩み寄り、彼の片手に包み込まれている兎のぬいぐるみの頭を優しく撫でた。
「これは大切に持っていてほしいの。今も大切にしてほしいけど、昔も・・・ね」
その言葉を残して、慈愛の従者は公園の入り口へと消えた。湊は追おうとしたが、足が一歩も動かせなかった。
「くそ!」
希望の従者のような怪物と対峙するのは極めて危険だ。湊はあの子を守らなければならないのだ。しかし、湊の足は彼の意志に応えてくれることはなかった。
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