第22話 古き神

 歴史を感じる古い建物が連なっていた。その場所は、時が止まったように、数十年前の光景を維持していた。かつてこの谷地下台団地は色彩豊かだったが、終の世界の創造の過程でその色は失われてしまった。


 団地の一室には慈愛の従者がおり、その前には神の姿があった。神は白く清楚なローブの上に赤い帯をまとっており、神秘的な様相をしていた。しかし、その神秘さを霞ませるように、その隣には派手な衣装をまとったオリビアが立っていた。


「相変わらず、古臭い部屋ね」


 オリビアは悪態をついたが、彼女の目には優しい笑みが浮かんでいた。


「あまり関心がなかったかな? 次は公園に行こう」


 神の顔には憂いが帯びていた。この噛み合わない光景に、慈愛の従者は既視感を持った。


「公園なんて退屈な場所じゃなくて、どこかオシャレな飲食店にでも行きたいわ」


 オリビアはただ大人の女性の真似をしているだけだ。彼女の態度は、まるで記憶の中の宝物から逃げているように見えた。そして、彼女が気にかける人とは、絶えずすれ違ってしまっている。


「先に神様の望む公園に行きましょう」


 慈愛の従者が提案した途端、オリビアは彼女を不機嫌そうに睨みつけてくる。しかし、すぐに諦めたのか、彼女の提案に同意する意を示した。


 三人が団地を出ると、狭い道が目の前に広がった。それをバスの停留所の方に進めば、想い出の公園にたどり着くはずだ。


 しばらく三人は道を歩いていたが、慈愛の従者は背後を歩くオリビアからの視線を肩の辺りに感じていた。


次の瞬間、オリビアが慈愛の従者に駆け寄って来ると、彼女の肩からトートバッグを奪い取る。慈愛の従者が驚いて勢いよく振り返った。


「返してなのです!」


 慈愛の従者はオリビアの腕を掴みながら切実に頼むが、オリビアは怒りの表情を浮かべながらトートバッグを地面に叩きつけようとする。しかし、いつまで経っても最悪の光景が広がることはなかった。オリビアの瞳に哀しみの色が滲み、手が震えたまま立ち尽くしていた。


 すると、神がオリビアに歩み寄り、手に持っているトートバッグを取り上げる。そして、慈愛の従者にゆっくりと向かってくる。


「これは君の物だよ」


 神は優しく微笑みながら、慈愛の従者にぬいぐるみを手渡した。


「ありがとうなのです」


 慈愛の従者は神から受け取った兎のぬいぐるみを両手で大切に抱える。


「くだらないわ。そんな物に何の価値があるって言うの? 世の中にはもっと価値がある物があるわ」

「君はまだ戻れるよ。元の世界のオリビアとも違う存在だから」


 神の言葉に、オリビアは反論しようと口を開いたが、そこから言葉は紡ぎ出されなかった。


「真っ白な空間、確かに時が止まっているかもしれない。しかし、ここには、失った何かがあるんだ。君も感じるだろ?」


 神の目には憂いが宿っているように見えた。それだけではなく、その目は迷子の子供にように大切な何かを探しているようであった。


「私たちは、魂の融合で元の世界の自分たちに近づいて来たわ。だからこそ、分かる。先に幼い頃の世界を捨てたのは貴方だわ。私はその時計の針を、さらに進めただけ」


 オリビアはそう言い放った後、慈愛の従者に視線を向けてくる。その目には先ほどのような敵意は宿っていなく、むしろ優しさが滲んでいるようであった。


「昔を想い出したわ。・・・でも、もう私はこの公園に留まってはいられない」


 オリビアは公園の出入り口の方へと歩を進めて行く。その背中からは、ある種の決意が伝わってきた。


「オリビア」


 神がオリビアの背中に手を伸ばしながら言葉を投げかけると、彼女が歩みを止める。


「会えてよかった」


 オリビアはゆっくりと振り返る。


「私も・・・」


 そして、再びオリビアは慈愛の従者達に背を向け、公園を去って行った。


 ――慈愛の従者と神は、想い出の公園のブランコに並んで座っていた。それは悠久の時間が流れているかのようでありながら、同時に一瞬の出来事のようにも感じられた。


 二人の間には会話はなかったが、幾万の言葉を交わしたようにも思えた。慈愛の従者は幸せを感じていたが、その反面で寂しさもあった。


 《終の世界》のオリビアと出会った神は何を考え、どうしたいのだろうか。その決断に迷っている様子も窺えたが、慈愛の従者には手助けすることは出来ない。彼女自身も迷子なのだ。両の手に持つ兎のぬいぐるみは何も答えてくれなかった。


 そんな時、静寂を破るような足音が、バスの停留所の方から聞こえてくる。慈愛の従者がそちらに視線を向けると、そこには希望の従者の姿があった。慈愛の従者は急いで兎のぬいぐるみを、肩から掛けているトートバッグにしまった。


 しばらくすると、希望の従者がゆっくりと公園の入り口から中に入ってきた。


 希望の従者が神の前まで歩み寄ると、見下ろすような態度で無言のまま、立ち止まっていた。普段は、臣下のように膝を落とすはずだが、そのような素振りは全く見せなかった。何かが違う。慈愛の従者の胸がざわついた。


「今回の《終の世界》の対戦者は、小林湊、オリビア・ブラウン、リアム・ジョンソン、草薙慶次です。場所は元の世界の谷地下台となります。今回の魂の戦いでは開始のアラームはありません」


 希望の従者の言葉は、まるで魂の戦いが始まる前の説明のようであった。その言葉に神がクスッと笑う。


「僕は神様失格ってことかな?」

「魂の戦いを行なって頂きたいだけです。貴方が神であるなら、負ける訳がないでしょう」

「ぼくは魂の戦いなんて望んでいない。並行世界を残したい。それだけだ」

「神託は魂の戦いを望んでいます。そして、並行世界は全ての世界を混乱させるだけだ。それを排除するのは当然でしょう。それが神としての責務だと思いませんか?」


 希望の従者の言葉を受けて、神がブランコからゆっくりと立ち上がった。そして、彼が希望の従者のフードに手を伸ばし、それを取り外すと、その下からは綺麗な金色の髪と端正な顔立ちが現れた。


「リアム。君はどこを見ているんだ? ぼくはここにいる」


 希望の従者が神に対し、氷のような視線を向ける。しかし、その目は神を見ているようでありながら、どこか彼方を見ているようでもあった。


「最後の忠告です。貴方はどこかに隠れられた方がいい。全ての者が敵になるかもしれないのですからね」


 その言葉を受けた、神はゆっくりと公園の入り口に歩を進めていった。その背中はなんとも言えない悲しみを帯びていた。それを見て、慈愛の従者が立ちあがろうとしたが、それを希望の従者が制する。


 神が公園から姿を消すと、慈愛の従者は希望の従者を見つめる。


「・・・なんで、あんなことを言ったの?」

「彼は神ではないからだ。新たな神託が下されたのだ。神は新しく覚醒されたと。お前にとっても朗報だ。終の世界の小林湊こそが神だったのだ」


 希望の従者の目は焦点があっていなく、口元は歪んで曲がっていた。それは、まるで何かに取り憑かれているかのようであった。


「今の神様はどうなっちゃうの・・・?」

「神様がどうなる? ・・・ああ、この世界の小林湊か。彼は消え去る」


 慈愛の従者はその言葉に顔をうつむける。それに気づいた希望の従者は、怪訝な表情を浮かべる。


「何を落ち込んでいるのだ? これで、魂の戦いは終わる。過去に縛られていた神は消えるのだからな。新たな並行世界が生まれることもなくなるだろう」


 事実、神は並行世界を創造していた。そして、魂の戦いを避けたい理由の真意に慈愛の従者は気づいていた。彼は正常な世界ではなく、魂の失われた、この世界を望んでいるのだ。


「ただ、問題がある。新しい神は神になることを拒否しているのだ。だから、お前に説得して欲しい」


 希望の従者の言葉に、慈愛の従者は首を横に振った。彼の望んでいる神になることが、終の世界の湊を幸せにするとは思えなかったからだ。


 しかし、慈愛の従者は自らの意思で決断することができないでいた。神の判断が欲しいと心の中で願っていたが、彼の姿は既にこの場所にはない。


 そんな思考を断ち切るように、希望の従者が慈愛の従者の肩に手を置く。彼の鋭い視線が彼女の瞳に突き刺さってくる。その瞳を見つめていると、彼女の心には恐れと共に、不思議と安堵の感情が湧き上がってくる。


「お前は神託に従っていれば良いのだ。神に従っていれば何も心配いらない。あの世界の小林湊を説得しろ。それが神のお言葉だ」


 神の言葉は、常に彼女に正しい道標を示してくれる。

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