第8話 想い出の公園にて

 その場所は低い柵に囲まれており、敷地内にはブランコ、鉄棒、砂場、そして青い椅子が置かれていた。普段は子供たちの笑顔で賑わうこの公園だが、早朝の時間帯のためか、珍しく子供たちの姿は見受けられなかった。


 湊は青い椅子に腰を下ろしていた。この公園は、幼い頃に三人で遊んでいた想い出の場所だ。しかし、今では悲しい場所に変わり果ててしまっていた。


 悲しみを紛らわすように、湊は空を仰ぐ。太陽はまだ低く、その光は弱いように思えた。そんな空の彼方に、悠太は行ってしまったのだろうか。


 その時、公園の入り口に人影が現れる。それは、美しい金色の髪を春風になびかせる、オリビアの姿であった。湊が彼女に視線を向けると、彼女は弱々しい笑顔を浮かべながら、彼に向けて歩を進めて来る。


「時間通りに待ち合わせ場所に来ていたね」


 オリビアは湊の隣に座り、細身の鞄を青い椅子の上に置いた後に、彼女が湊の方に顔を向けてくる、その見慣れたはずの彼女の顔に彼は違和感を覚えた。彼女の化粧が普段より濃くなっているように思えたのだ。しかし、そんな変化を気にする時ではないだろう。最初に湊が行わなければならないのは心からの謝罪だ。


「すまない。俺があんな戦いに二人を誘ったから・・・」


 湊の言葉に、オリビアはゆっくりと首を横に振る。


「ううん。それより、この公園ではよく遊んだよね」

「ああ、よくおままごとに付き合わされた。幼稚園までかな。小学生に入ると、俺は恥ずかしくてね。確か、俺が父親役、オリビアが母親役。悠太は・・・」


 湊はそこで言葉を詰まらせる。その時、悠太はどこにいたのだろうか。おままごとの時、彼がその場にいた記憶がないのだ。


「考えてみると、悠太との幼い頃の想い出がないの・・・」


 オリビアの言葉に、湊は言葉を失う。冷静に考えてみると、何もかもが奇妙に思えた。悠太の中学や高校の思い出、現在の自宅の場所、そして、幼いころの想い出さえも、湊の記憶には存在しない。心の奥で、湊は予感していた。悠太は最近になって、突如として彼の生活に現れたのではないかと。


「ごめんね。変なことを言って。でも、やっぱり悠太は悠太。大切な人なの」


 湊も同じ気持ちを持っていた。悠太がどのような存在かを知る必要はない。彼は湊たちを守る為に命をかけてくれた、かけがえのない友人だった。それだけで十分ではないだろうか。そして、それは、今目の前にいるオリビアも同じだ。


「悠太もオリビアも一生一緒に居て欲しいんだ。悠太とは居られなくなっちゃったけど、君まで失いたくない」

「そうね。私も同じ気持ち・・・」


 二人の間に沈黙が走り、湊とオリビアはお互いの瞳を見つめ合う。この美しい瞳は、湊だけを映し出してくれているように思えてくる。このまま時が止まり、悠久の時の中で、彼女が湊だけを見つめてくれていれば、これほど、幸せなことはないだろう。


 そこまで思案し、湊はある考えに思い至る。果たして魂の戦いを勝ち抜けられるのだろうか。もし、幸運にも勝ち抜けられたとしても、途中でオリビアが悠太のように命を落としてしまうかもしれない。それは湊にとっては許されることではない。


 すると、湊の脳裏に高校時代の記憶が浮かび上がってくる。それは、不良風な格好をした草薙が真剣な顔で、同級生の女性と話している光景であった。


「草薙を誘えないかな?」

「草薙君を誘う? ・・・まさか、彼を魂の戦いに誘う気なの?」


 湊はゆっくりとうなずく。本音を言えば、彼は草薙の顔などは見たくもなかった。なぜなら、別世界の出来事であっても、草薙が悠太の命を奪ったという事実が、湊の胸に突き刺さっているからだ。しかし、それでも、草薙の持っている力は魅力に溢れている。それに、憎い彼を失っても湊が心を傷める心配もない。


オリビアならば、草薙と何らかの繋がりを持っている可能性が高い。何故なら、彼女の知人に、草薙と関係がある者がいるからだ。その者の協力が必要だ。


「ちょっと待って。悠太が大変なことになってしまったのに・・・。草薙君を巻き込むなんて」

「このままじゃ、次の戦いに勝てないかもしれない。草薙の力が必要なんだ。それに、あいつなら、何かあっても心を痛める必要もないだろ?」


 湊の言葉に、オリビアが眉をひそめる。


「湊。貴方らしくない考えじゃない? 私たちを誘ったのも後悔していたのに・・・」


 オリビアの言葉を受けて、湊は自らの発言を恥じる。あまりにも心無い言葉を吐いてしまった。確かに、捨て石なんて考えは間違っているかもしれない。だが、悠太を失った、湊たちには草薙の力を必要としているのは事実なのだ。


「オリビアやマイケルさんが第二の悠太になるかもしれないんだ。それに俺が負ければ全ての人が犠牲になる。それは、草薙も例外じゃない。彼が乗るかは分からないが、話だけでもさせてほしい。彼が興味を持たなければ、もう誘わない」


 オリビアは湊の考えに納得がいかない表情を浮かべていた。その目は湊に無言の圧力をかけてきているようであった。しかし、視線を下に俯けたと思ったら、何度か首を縦に振る。


「分かったわ。美沙なら、草薙君に繋がるかも」


 その流れに湊は違和感を覚える。オリビアを納得させるのには、もっと骨が折れると思っていたからだ。更に彼女が普段使わない女言葉を用いたことも、彼の驚きを加速させた。


 オリビアは隣に置いていた鞄からスマートフォンを取り出し、それを操作し始める。恐らく、美沙へのメッセージを作成しているのだろう。


 緒方美沙はオリビアの友人で、高校時代に湊とも交流があった。成熟した雰囲気を持ち、オリビアとは異なる魅力を放っていた女性であった。


 しばくすると、メッセージを美沙に送信したのか、オリビアはスマートフォンを再び鞄に戻す。少しすると、オリビアが憂いを帯びた表情で、湊を見つめてくる。


「ねえ。さっき、おままごとの話が出たよね。おままごとの時、子ども役をしてくれていた子が誰だったかは覚えている?」


 突如、オリビアが突拍子のないことを口にする。当然、湊は幼き頃のことを覚えている。しかし、詳細な部分までを鮮明に覚えている訳ではなかった。


「あ、ああ。悠太じゃなかったかな?」


 湊が言うと、オリビアの表情に影が落ちる。彼の回答は不正解だったのかもしれない。もしかすると、近所の女の子だったのかもしれないが、その子の姿は彼の頭に浮かび上がってこなかった。小学校に上がる前の話なのだ。詳細部分が欠け落ちてしまっているのも仕方がないだろう。


 湊が正解を探していると、オリビアの鞄の方から音が鳴り響いてくる。彼女は湊から視線を移動させ、鞄からスマートフォンを取り出し、それを自らの顔の前に移動させる。


「草薙君は津田沼に住んでいるみたい」


 湊は「津田沼」と言う名前を聞き、すぐにその場所の映像が頭に浮かびあがる。谷地下台駅から電車を利用すれば、僅か数駅で到着できる場所だ。幸いな事に今週の水曜日は祝日であり、草薙も仕事が休みであれば、その日に会うことが可能だろう。


「出来れば、祝日である今週の水曜に彼に会いたい。その日はオリビアも空けといてくれない? マイケルさんには俺から話すから。それと、俺の連絡先を草薙に送ってもらえるかな?」

「うん。分かったわ」


 水曜日に草薙のもとへ向かう予定が固まりつつあった。

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