第3話 魂の戦い

 そこの床には畳が敷かれていた。そして、部屋を仕切るように、襖が立ちはだかっている。周囲にある、古めかしい、洋服ダンスやテレビのデザインは、時代の移り変わりを感じた。


 その部屋の色彩は一切が失われており、白と灰色のみで表現されていた。それは、色を何者かに奪われてしまったように思えてくる。


 そんな部屋の中で、湊は立ち尽くしていた。以前と同じく、気がつけば彼はこの部屋に運ばれてきていたのだ。案内も何もない状態で、彼は次の行動を定められずに、茫然自失になっていた。


 湊は自分が置かれている状況を把握するために不思議な部屋を歩き回ることにする。


 間取りとしては、2LDKの古い部屋に思える。台所、風呂、トイレを見てきたが、それらは、歴史を感じさせる物だった。まるで、時間が止まっているような部屋だったのだ。


 全ての部屋を見終え、湊はあることに気付く。部屋の構成、家具の配置、この部屋は彼が子供時代を過ごした実家に酷似しているのだ。


 確信を得るために、湊は部屋の出入口の玄関に向かうことを考えたが、目的地の玄関の扉が小さな音を鳴らしながら開き出す。


 玄関の入り口から姿を現したのは、黒いローブをまとった男であった。そのローブの下からは黒のズボンの姿が伺え、全身が黒で染まっていた。そして、以前の希望の従者と同様に、彼もフードを深く被っており、口元だけが姿を現している。そして、その口からは煙が立ち上がっていた。


「よう」


 その者は機械のような抑揚のない声で挨拶しながら、湊の前まで歩み寄ってくる。煙草の煙が彼の顔を覆うと、ヤニの匂いが鼻腔を刺激する。初対面の湊に対しての挨拶も含めて、以前の希望の従者よりも行儀が悪く感じた。


「《金の世界》の湊だな?」

「金の世界?」

「お前の世界の呼び名だよ」


 どうやら、湊たちの世界は金の世界と呼ばれているようだ。それは、貨幣から来ているのかもしれない。事実、湊もオリビアもそれに翻弄され、彼の世界の多くの人間も金に囚われている気がした。


「それより、ここは、どこなんだ?」

「大体、分かってんじゃねえの? ここは谷地下台のお前の実家だ」


 神の従者は想像通りの返答をしてきた。「千葉県」にある「谷地下台市」。そこは、湊の実家が存在する場所である。


 しかし、なぜ、こんなに真っ白な空間なのだろうか。しばらく、湊は実家に帰省していないが、谷地下台はこのような姿に変わり果ててしまったのだろうか。


「心配すんなよ。ここは、別の世界だ。お前の世界とは無関係さ」


 湊の表情から何かを感じ取ったのか、神の従者が即座に答えを用意してくる。谷地下台が白くなっている世界も存在するということだろうか。そこで、湊は自らの世界の桜が色褪せてしまっていることを思い出す。


「世界はどうなってんだ。俺の世界でも桜が色褪せてしまっているし」


 湊の言葉を聞くと、破壊の従者が口に咥えていた煙草を手に持ち、彼の顔に観察するような視線を向けてくる。


「へぇ。お前って導きが弱まってんのか?」

「導き?」


 湊が不思議そうな表情をすると、神の従者の口角が上がる。


「神のお導きってやつだ。かっかっか、あんまり気にすんな。まあ、これだけ真っ白なら、戦いに集中できるだろ? 戦いを楽しめよ」


 神の従者は湊の肩を数度叩いてくる。どうにも馴れ馴れしい神の従者で、彼は好感が持てなかった。しかし、この男は、以前の神の従者とは性質が違うように感じた。様相や言葉遣いから、悪魔の使いに思えてくる。


「あんた、神の従者なのか?」

「俺は《破壊の従者》だ。かっけえだろ? まあ、それよりも表に出ろよ」


 破壊の従者は湊に背を向けたかと思うと、玄関の扉のから外に出て行ってしまう。怪しい男であったが、今の時点での道標は彼しか存在しない。湊はそれに追従して行くことにする。


 湊が扉の外に出ると、そこには部屋の中と変わらない、真っ白な空間が広がっていた。


 湊が天を見上げると、いつも見ていた空は美しい色彩を失い、雲や太陽が僅かに判別できる程に白く染まってしまっていた。物音も全くなく、湊と破壊の従者しか存在しないと思わせる空間であった。それは、この世界の時は止まっていると錯覚する程であった。


 しかし、この場所は間違いなく、湊が幼き頃に過ごした「谷地下台団地」だ。何故なら、辺りを見回すと、彼が子供時代に過ごしていた時に見ていた、建造物が何個も存在したのだ。


 一棟、一棟が、高さは無いが、横に広い建物で、その前には狭い一本道が存在していた。その一本道はバスの停留所に向かう広めの道に繋がっている。


 広めの道をバスの停留所の方に歩みを進めていけば、湊にとっての《想い出の公園》がある。そこで、幼い頃に、彼はオリビアと一緒に遊んでいたものであった。既に、その時の想い出は希薄になってしまっていたが、湊の心に宝物のように眠っていた。


 湊はこの場所で、貧乏な子供時代を過ごしたが、その頃の方が金銭的に豊かな今よりも幸せだった気がした。しかし、時間を戻せないことも彼は理解していた。彼の目の前にある「今」だけが全てであることを。


 そんな幼馴染のオリビアを魂の戦いに巻き込みたくはなかった。もし、この不可思議な世界に彼女達が訪れないのであれば、その方が望ましいだろう。湊が一人で戦えば良いのだ。彼は、建物の目の前の狭い道に立っている破壊の従者に視線を向ける。


「俺の仲間はいないみたいだな。連れてくるのに失敗したか?」

「希望の従者が肉体から魂を抜いて、俺がこの周辺に移動させたんだ。そんなことはねえよ。そろそろ、来ると思うぜ」


 破壊の従者の言葉に対し、湊は鼻で笑う。神の従者だろうが失敗は付き物だ。そして、目の前の男は態度や言葉遣いからも無能そうな男である。


 しかし、その破壊の従者の言葉を裏付けるように、湊がよく知る二つの顔が、バスの停留所から広い道をこちらに向かい歩いていた。


 オリビアと悠太は広い道を右に曲がると、湊と破壊の従者が立っている、狭い一本道に入ってくる。彼らは何かを話しているようで、時折、笑顔を見せていた。深刻な心持ちをしている湊に反して呑気なものである。


 湊と二人との距離が縮まってくると、オリビアもこちらに気付いたようで手を振ってくる。


「あっ、湊。やっぱり、実家にいたのね」


 オリビアと悠太が笑顔を見せながら、湊に駆け寄ってくる。


「それにしても、ここは本当に谷地下台団地なのかしら? 人がいないし、全てが白いわ。まさか、本当に、こんな世界に来るなんてね。でも、貴方のことだから、お金になる話よね? 只働きはごめんだわ」


 湊はオリビアのこういった発言が好きになれなかったが、それは、彼女の育った環境が起因しているのかもしれない。


 オリビアの両親の夫婦仲は良くなかった。主な原因は金銭面であった。彼女の家では、金銭に関する口論が絶えず繰り返されていた。そして、オリビアの母親は家族を捨て、別の男と共に姿を消してしまった。そのため、彼女は金の大切さを知っている。その感覚は、湊も共感できるところがあった。もう、彼らは子供ではないため、生きる上で経済的な安定は重要になる。しかし、オリビアがその考えを持つことには、湊は心の奥で不快感を持っていた。


「金なんかより、もっと、大切な物が手に入るかもしれないぜ。それよりも、説明をしないとな。相手の《惚の世界》のメンツは、小林湊、オリビア・ブラウン、《リアム・ジョンソン》だぜ。戦いの場所は谷地下台だ」


 その内容を聞いた湊の目が丸くなる。相手の世界の参加者に、彼自身が名を連ねていることもだが、オリビアの名前もあるのだ。


「相手も俺たちなのか?」

「ああ、他の世界も条件は同じだよ。その世界の湊が仲間を集めているってこった」


 湊は自分自身と戦うことになるとは想定していなかった。しかし、反面で相手も彼自身であれば戦略は練りやすいかもしれない。


 こちらにの参加者には存在しないリアムが不確定要素だが、湊はその名前に聞き覚えがあった。«惚の世界»でも彼自身が人を集めていることから、湊とリアムの間に何らかの接点があるのかもしれない。


「ああ、それと伝えねえとな。ノートには書いていなかったと思うが、この戦いの参加者は途中で抜けることは許さねえよ。要するに今のメンバーは固定だ。誰かの魂が壊されるまではな」


 破壊の従者の言葉に、湊の頭から足の先まで電撃が走る。彼は危険であるならば、すぐに参加者を変更しようと考えていたからだ。


「何? 聞いてないぞ!」


 湊は破壊の従者に掴み掛かろうと、湊が勢い良く歩み寄っていく。


しかし、破壊の従者が、湊に手を向けてくると、何か強い力に押されてしまう。それは、湊が味わったことのない突風を受けたようであった。彼の足が地面から浮いたかと思うと、近くの建物まで勢いよく飛んでいく。


 凄まじい音と共に、湊を受け取った建物の壁は一部が傷つき、コンクリートの白い欠片が座り込んでいる彼の頭に落ちてくる。


 湊は立ち上がろうとしたが、身体に強い痛みを感じて中断する、そして、その痛みと同時に、神に関わる者に対する恐怖が彼の心に刻み込まれる。


 悠太が急ぎ足で、湊の方に歩み寄ってくる。彼は湊のそばまで来ると、すぐに膝を地につき、湊の腕を自らの肩に乗せ、彼を立ち上がらせようとしてくれる。しかし、湊の足は自らの意思とは無関係に、小刻みに震えてしまっていた。


「危うく、虐められるところだったぜ。もう、面倒だから、俺と対戦するか?」


 破壊の従者は機械の声ながらも、凄んだ口調で言う。湊が慌てて首を横に振ると、破壊の従者の口元が歪む。


「かっかっか、お前の人選に制限がかからないように、あえて伝えなかったんだよ。ありがたく思え。・・・おっと、そうだ。忘れてた」


 まだ、何かあるのだろうかと、湊は嫌気が差してくる。


 破壊の従者が手を上に向けたかと思うと、その掌の上にゆっくりと腕時計のような物が現れ始める。その現れ方は、居酒屋の時のノートと同じであった。半透明の時計が、銀の色を取り戻すと、破壊の従者はそれを湊に投げてくる。彼は痛みに堪えながらも、それを右手で受け取る。


「試合が始まると、その時計のアラームが鳴るぜ。そしたら、試合開始だ。じゃあ、これで、俺の使命は終わりだ」


 破壊の従者は湊に背を向けてくる。


「あ、あんたが審判をする訳では無いのか?」


 湊が時計を腕に付けながら問いかける。


「ルールなんかねえんだよ。アラームの音が鳴ったら、試合開始。そんだけだ」


 破壊の従者の姿が半透明になったかと思うと、徐々に色を失っていき、彼の身体は完全に消えてしまう。


 破壊の従者の姿が消えると、湊は悠太の肩から手を離し、自らの力で立つ。しかし、未だ身体の痛みは残っていた。


「おい、身体が・・・」


 悠太が言うと、湊が自らの胸部に視線を向ける。すると、その箇所が僅かに透明に染まっているように思えた。あの八重洲通りの居酒屋の店員の姿が、彼の脳裏に再生される。


 その時、オリビアが憂いを帯びた顔で湊に歩み寄ってくる。彼の顔と彼女の顔が近づくと、オリビアは湊の肩に手を当てる。


「湊、大丈夫?」


 その瞬間、オリビアの手から不思議な光が放たれ、湊の身体の痛みが次第に薄れていった。同時に、湊の身体には徐々に色が戻って来る。


「昔は、湊が転んだ時なんかに手を当ててあげたね」


 オリビアが優しい表情を浮かべていた。その、湊を見つめる美しい大きな目は宝石のように思えた。彼がオリビアの目をここまで間近で見るのは久しぶりかもしれない。二人は時間が止まっているようにお互いを見つめあっていた。


 いつの間に、湊は忘れてしまっていたのだ。汚い感情を持つことなく、オリビアと楽しく過ごしていたあの時のことを。彼は彼女が当ててくれている手を優しく握ろうとする。


 しかし、その時、湊の腕の時計から、けたたましい不快な音が鳴り響く。これが破壊の従者が言っていた戦いの開始の合図なのかもしれない。それを聞いた悠太が険しい表情を浮かべる。


「湊、オリビア。二人は俺の背中に隠れていてくれよ」

「いや、俺も戦うよ」

「湊がやられたら、俺らの敗北が決まってしまうんだから、下がっていてくれ」


 悠太の言葉は論理的であったが、湊は彼のみを戦わせるつもりはなかった。自身の不注意で彼を巻き込んでしまったのだ。責任を負う義務があるだろう。


 緊張感が漂い、三人が言葉を失うと、辺りは静寂に包まれた。その静かな空間は風の音さえも引き立たせ、近くに存在する、白い木の葉を揺らせる。


 しかし、その静寂を破るように、バスの停留所に向かう大きな道から、凄まじい速さの足音が聞こえて来る。悠太はその道がある方向に身体を移動させる。


「二人とも俺の後ろに!」


 その時、バスの停留所へと続く広い道路に、長い金髪の男が疾走してきた。その速さは、まるで風そのもののようだった。


 金髪の男は湊たちを一瞥した後に、狭い一本道に侵入して来る。そして、目にも止まらない速さで、彼らの目の前に姿を現した。


 その男は美しい金の長髪をなびかせ、目鼻立ちがはっきりしている顔をしていた。そして、その目の中にある鮮やかな瞳は吸い込まれるように美しい青色をしていた。それは、男の湊が見ても見惚れてしまうものであった。


 しかし、湊がその男の身体に目を向けると、彼の身体の背後の景色が透けて見える。八重洲通りの居酒屋の店員や、先ほどの湊のように、身体が透けているのだ。


 突如、金髪の男は腕を振りかぶると、その拳を悠太の腹部に打ち込んでくる。


 悠太から呻き声が聞こえたかと思うと、彼は膝を落とし、その場にうずくまってしまう。その次の瞬間、無表情のリアムの顔が湊の視界に飛び込んでくる。再び彼の顔を見ると、既視感があった。


「ふ、二人とも逃げるんだ!」


 地面に膝を落としながらも、悠太が金髪の男の手を両手で掴む。しかし、その悠太の姿に湊は違和感を持った。どこか、彼の身体も透け始めているのだ。


 しかし、そんなのはお構いなしに、金髪の男は半透明になった悠太の顔に蹴りを入れる。それは、まるで、人ではなく、サッカーボールを蹴るかのようであった。悠太の首は異常な方向に曲がり、そのまま、糸の切れた人形のように、前のめりに倒れて行く。それを金髪の男は観察するように見ていた。湊はその光景を時間が止まったように、ただ見ていた。


 ほどなく、倒れている悠太の姿が透明に染まったかと思うと、次第に彼の姿が完全に消えてしまう。そして、その場所からは、小さな光の玉が浮き上がったかと思うと、どこかに飛び立って行った。


「悠太!」


 湊の時間が動き出すと、彼は力一杯に叫ぶが、当然、それに対する返事はなかった。


「きゃ、きゃー」


 オリビアが悲鳴をあげるも、金髪の男はそれを無視して、湊の方に歩み寄ってきた。彼の顔が湊に迫ってくるとあることに気付く。この男は高校時代の友人から紹介されたリアム・ジョンソンではないだろうか。


「き、君はジョンソン君だろ?」


 震える湊の言葉を無視し、リアムは彼の胸倉を掴む。


 湊はリアムの手を掴み、引き剥がそうとしたが、恐ろしい力がそれを許さなかった。それは、万力に掴まれているように思える程の力であった。


 近くにいたオリビアがリアムの腕を掴んで、必死に湊の解放を懇願していたが、彼はそれを無視するように視線すら彼女に向けなかった。まるで、機械のこの男に命乞いは通じないだろう。湊は言葉ではなく、力で応える必要があった。


 湊の脳裏に魂力の説明が浮かび上がってくる。自身の魂に相応しい、力を願うことで発揮することができる。そのような内容があのノートに記述されていたのだ。


「お、俺に腕力を」


 しかし、どんなに強く願っても、湊にはリアムの手を引き剥がす力が与えられることはなかった。リアムは無表情のまま、力強く湊を頭から地面に叩きつける。


 大きな音と共に、湊の中で何かが壊れたように感じた。彼の身体は指一本動くことなく、地面に横たわる。


 オリビアが涙を浮かべながら、湊に駆け寄ってくる。彼は「危ないから、逃げろ」と言葉にしようとしたが、それは声にならなかった。


 オリビアが湊に手を当てると、突如、半透明な者が彼女の隣に現れる。その姿は徐々に鮮明になっていき、破壊の従者が姿を現せる。


 そして、破壊の従者は横たわっている湊に近づいてくる。


「どうやら、試合終了みてえだな。お前らの世界はこの世から消える」


 破壊の従者の声が聞こえたかと思うと、湊の意識がどこか彼方に飛んでいく。

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