分裂した魂が戦う「マルチバースバトル」
@makoto5
序章
第1話 始まりの部屋
現実とかけ離れた、彩りを失った不思議な部屋だった。
四方は一切の染みもない白い壁と天井に囲まれ、その中心には白い机と二脚の椅子が唯一の存在となっていた。これらの椅子と机は、ぼんやりと灰色の輪郭を持ち、かろうじてその形を見分けられる程度であった。
その椅子に座っていたのは、唯一の色彩を持つ《小林湊》だった。彼は茶色で独特のクセを持つ髪と、大きく温かみのある目を有し、二十代中盤と推測される男性であった。
湊は部屋を見渡すが、机と椅子以外は何も存在しなかった。窓もなく、閉塞感だけが空間を支配していた。彼はその窮屈さから逃げるように、スマートフォンで外の世界と繋がろうとしたが、彼の黒色のズボンのポケットには助けとなるものは見当たらなかった。
湊が途方に暮れていると、突如、小さな音がしたかと思うと、壁の一部が僅かに動き始める。湊がその方向を凝視すると、ぼんやりと扉のような物が壁に形成されているように見えた。
ゆっくりと扉が開くと、一人の男が部屋へと足を踏み入れてくる。彼は純白のローブを身に纏い、その下には深い闇のような黒いズボンが覗いていた。そして、一番特徴的なのが、顔の大半を覆い隠している、白いフードだ。そのため、彼の顔口元だけが露になっており、その他の部分は謎に包まれていた。
ローブを纏った者が部屋に入るや否や、湊の向かい側にある椅子をゆっくりと引き、その上に腰を下ろす。その男のフードの下から見える口角は上がっていたが、その笑みは作り物のようで薄気味が悪かった。
「私は《希望の従者》と申します。《神の従者》の一員です。ようこそ、《魂の戦い》へ」
希望の従者と名乗る者の声は、均一で感情の薄れたものであった。まるで機械が人間の声を模倣しているかのような薄気味悪さがある。
突如、不可解な部屋に招待され、希望の従者と称する常軌を逸した男が現れる。湊はここが夢の世界であることを考え始める。その推測を証明するように、彼の頭の中には自宅の寝室で夢の中に沈んでいく自分の姿が浮かんでいた。
しかし、いくら湊が状況を分析しようが、それに対する解は得られないだろう。彼は希望の従者と名乗る不審な存在に質問を投げかけてみることにする。
「で、その希望の従者様がどう言ったご用件で?」
「この世には《並行世界》が多くあるのですが、神は世界を一つにしたいのですよ。残すべき世界を決めるために貴方が呼ばれたわけです」
宇宙が複数個存在する話は、湊も聞いたことがあった。しかし、一つにする意味合いが、彼には分かりかねた。
「なぜ一つにするんだ?」
「神が並行世界の魂をどのように《創造》されるか? 簡単に言えば、《元の世界》の魂から一部を取り出し、それを元に作られています。つまり、貴方たちの魂は元の世界の一部分に過ぎず、元の世界の魂は並行世界が増える度に失われていく。つまり、貴方の魂は、元の世界の貴方の一部分の魂で形成されているのです。そんな事情から、世界は一つだけ残し、他は消さねばなりません」
湊は希望の従者の説明に疑問を抱いた。彼の語る内容では、世界を一つにすることは解決策にはならないように思えたからだ。
「でも、それだと、並行世界と一緒に魂の一部が消えていくだけじゃないのか?」
「消えた世界の魂は、他の世界に融合されることになります」
希望の従者の説明では、破壊された世界の魂は他の世界の同一人物の魂と融合されるようなのだ。例えば、湊の魂が破壊された場合、別世界に存在する彼自身に《魂の融合》がされることになるらしい。それが事実なら、並行世界を全て消せば、元の世界の人々の魂は失った一部分を取り戻せ、元に戻るかもしれない。しかし、それは神の考えにしては、あまりにも乱暴ではないだろうか。
「それで、俺ら並行世界の住人に消え去れと。生み出しといて、大層身勝手な話だ」
「並行世界が消えるとは限りませんよ。神が《神託》で告げられたのは、全ての世界の魂が融合された一つの世界を生み出すことです。例え、元の世界が並行世界に融合されても構いません」
もし、その言葉が嘘偽りでないのであれば、湊たちは自らの住む世界が消えないための条件を明らかにする必要が出てくる。
「どう消える世界を決めるっていうんだ? じゃんけんでもするのかい?」
「そこで魂の戦いです。戦って勝ち抜いた世界を残します。では、魂の戦いの概要をご説明しましょう」
希望の従者の説明によれば、魂の戦いとは文字通りに力が勝敗を決める類のものであった。対戦する世界が二つ選ばれ、その世界が自らの存在を賭けて命懸けで戦うことになる。それは、トーナメントのように世界が最後の一つになるまで続く。各世界の魂の戦いの参加者は、最大四人まで集めることが出来、団体戦になるようであった。
「なるほど。力で判断するって訳か」
「強き者が生き残る。それは、貴方達人間が決めた事でしょう?」
希望の従者は微笑を浮かべたままであったが、その機械の声からは温度を感じなかった。湊はその言葉に背筋が冷たくなった。神もそれに関わる者も慈愛に溢れていると思っていたが、現実の世界と同様に天界も残酷なものなのかもしれない。
しかし、全てを戦いで決めるならば、なぜ一般人の湊が巻き込まれたのだろうか。この広い世界には、湊よりも遥かに戦いに長けた者たちが数知れず存在するはずだ。
「なら、何故、俺を呼んだんだ? 格闘家か何かを連れてきて話せばいいだろう。武器もありなら、軍人でも呼べばいい」
「魂での戦いなのですよ。当然、武器なんか魂には通じない。それに、魂での戦いは肉体の力が全てではありません」
希望の従者が湊の胸の近くを指差してくる。
「《魂力》。それこそが魂の強さを示すもの。貴方が選ばれたのは、それを強く持つからです」
希望の従者が語る魂力とは一体何を指すのだろうか。文字通りの意味あるならば、魂の力と解釈できるが、湊にはその使い方が分からない。
湊が思考の世界に入っていると、突如、希望の従者が立ち上がる。
「どこに行くつもりだ? もっと教えてくれても良いだろ?」
「魂の在り方で魂力の性質は変わる。先入観は与えたくないのです。簡単な概要は文面をお渡ししますよ」
希望の従者はその言葉を最後に、彼が最初に入室した扉の方へと静かに歩み始めた。そして、扉の前で足を止める。
「魂の戦いは、ちょうど一週間後になります。それまでに三人の仲間を集めておいてください」
希望の従者の言葉と共に、湊の周囲の世界が歪み始めた。驚愕した湊は慌てて立ち上がろうとしたが、身体は自らの意思に従わず、足が動かせない。その感覚は、まるで大海の渦中に引きずり込まれるかのようだった。希望の従者の姿も徐々に歪んでいき、やがて形容できないような異様なものへと変貌していく。そして、徐々に湊の視界は暗闇に包まれていく。
――湊の耳に鋭い音が届いてくる。その音に導かれるように目を開けると、視界に光が戻ってくる。彼の瞳がゆっくりと周囲を巡らせると、壁の大半を占める大型のテレビや、電気スタンド、全ての物は色彩鮮やかに輝いていた。近くの窓からは、一日の始まりを告げる柔らかい光が差し込んできていた。
そんな部屋の中心には、湊が横たわっている大きなベッドがあった。彼の身体を包み込んでいる羽毛の布団は、再び夢の世界に誘おうとしてきたが、湊はその誘惑に乗らずに、上半身をゆっくりと起こす。そして、ベッドの隣の茶色の小さなサイドテーブルの上のスマートフォンを手に取り、その不快なアラート音を止める。
湊は布団を自らの身体から引き離し、深めの茶色のフローリングに足を落とす。彼は部屋の角にある、バルコニーが見えるガラスの扉に足を進めていく。引き戸の取手に手をし、扉を滑らすように開いた瞬間、風が彼の頬を撫でる。湊は外の世界へと踏み出していく。
目の前には壮大なバルコニーが広がっており、その先には美しい青空と、都心の高層マンションやビルが立ち並んでいた。小さな風切り音がなると、春の風が彼の身体を包み込んでくる。湊は、この場所が自宅であることを再認識する。
どうやら、湊は通常の世界に戻れたようだが、彼にはその表現が正しいかは分からなかった。通常であれば、ただの夢の中からの覚醒に過ぎないだろうが、彼の胸には何かが引っかかっていた。
再び春の風が湊を包むと、彼は両腕を身体の前で交差させる。四月の朝の風は、未だ冷たい。彼はガラスの扉を通り、暖かい部屋の中に戻ることにした。
部屋に戻った瞬間、湊は部屋の中に違和感を覚える。そして、彼の目がベッドの隣にあるサイドテーブルに移っていく。そこには、彼の記憶にない大学ノートが置かれていた。
湊はサイドテーブルの元に歩み寄っていく。ノートの表紙には、機械的な筆跡で魂の戦いという文字が印字されていた。湊の心臓の鼓動が高まり、別の生物のように暴れ出す。
湊は、そのノートを手に取った。ページをめくると、その中には彼が夢の中で耳にした言葉たちが綴られていた。
湊は驚きのあまりに手から力が抜けてしまう。ノートは重力に引かれるように落ち、小さな音共に床に叩きつけられる。恐怖心が湊の背筋を冷たくするが、彼はゆっくりと膝を曲げ、再びノートを手に取る。それは災いを呼び寄せる呪われた物のように感じた。
湊がノートのページをめくり、その中の文字を追い始める。内容の大部分は夢で聞かされたものと同様であったが、それに加えて知らない情報も存在していた。その中で、湊の目を引いたものは、魂の戦いの決着方法だった。
魂の戦いに参加する者は、魂の損傷で戦闘不能状態になるか、降参の意思を示した場合に敗者となる。そして、代表である湊が敗れた場合、その世界は消滅を迎えると書かれていた。
湊が最後のページまでノートをめくると、《参加者一覧》という大きな文字が目に入った。その下には湊の名前のみが記されていた。他の参加者の名前は、ここに追記して行くのかもしれない。
湊の夢と現実の境界が霞んでくる。もし、先ほどの出来事が現実だったのであれば、この世界の命運は彼に託されることになる。しかし、湊には、世界のために己を犠牲にするような考えは微塵もなかった。彼にとっては、他人の運命など興味が薄いものであり、自らの利益に関わらない事柄に労力を使うのは愚かしいことだと思っていた。しかし、このノートの内容が事実であれば、世界の消滅は彼自身にも危害が及ぶことになる。
湊の瞳に揺るぎない決意が浮かび上がってくる。与えられた僅か一週間の猶予の中で、彼は三人の仲間を見つけ出さなければならないのだ。
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