第41話 僕の矜持

 やっぱり、オッサンの息が臭くないはずがない。


 思いっきり股間を蹴り飛ばしてやろうかと思っても、相手も無駄に手慣れているのか、器用に腕や足を抑えられてしまっていた。


 もしかしたら、全力で暴れたらどうにかできるのかもしれないけど。

 どうしてか、そんな気力が湧いてこない。


 なんで、シキはルビーを手放したのだろう。

 なんで、シキは自ら捕まっていったのだろう。


 シキの不条理さに苛立って、悔しくて。

 あたしの顔を、熱い雫が伝っていく。


「――シキ」


 本当に、それらはあたしのせいなのか?

 あたしじゃ、おまえを助けてやることなんてできないのか?


 そのときだった。扉がドンッと無理やり開かれた音がしたかと思えば、三ツ橋の旦那の頭が横に飛んでいく。壁に頭でもぶつけたのか、そのまま旦那は白目を向けていて。


 すぐそばで、カチャッと金属の擦れるような音が聴こえた。

 どうやらサーベルを鞘に納めたらしい。 


「紳士の風上にも置けんな」

「タイチ⁉」


 その涼しげな顔は、少し汗ばんでいて。

 それでも、彼はあたしに向かって頭をさげてくる。


「すまない。鍵の入手等に時間がかかり、来るのが遅れてしまった。大事はないか?」

「それは、ギリギリだったけど……」


 幸い、服の上から多少まさぐられた程度で、直接触れられてもいない。

 差し出された手を借りて身を起こしながら、あたしは伸びた旦那を見やる。


 ……あのオッサン、大財閥の旦那なんだよな?


「あれ、いいのか?」

「婦女暴行を未然に防ぐことも、れっきとした公務の一貫だ」

「でも、裏で色々あるんだろう?」


 しかも、警察や……それこそ、御上などとも繋がっている大旦那をぶっ飛ばすのは、何かと問題が起こってしまうのではなかろうか。


 すると、タイチがベッドに座ったままのあたしの前で、膝をついてきた。


 ポケットから取り出すのは、小さな薬瓶。「失礼する」とあたしの火傷しかけの手をとれば、そっと薬を塗ってくれる。鍵の入手等……と言っていたし、ここに来るまでの間に、仕入れてきてくれたのかな。


「……元から、僕は鶴御門シキという男が気に食わなかった」


 それは、見ていればわかる。

 だけど、そんな相槌を打つなんて野暮だろう。これでもあたしは日和見主義者なのだ。


 薬を塗るタイチの手つきが、手慣れていて、とても優しい。


「昔から、通う道場が同じだったりと、事あるごとに顔を合わせることが多くてな。僕のことを年下扱いしては、やれ無理をするなだの、俺様に任せておけだの、俺様のほうがすごいだの……いつも僕を見下した言動ばかりとる! 僕が頑張って訓練しているのに、怪我するだけだからやめろといつも薬を用意してきて……悔しいから、いつも薬を持ち歩く羽目になった! 逆に看病してやろうと用意満タンだったのに、あいつは一向に怪我をしない!」


 ……あ、もしかして、そのために練習した成果がこれですか?

 あたしは思わずクスッと笑う。


 ある程度親密な付き合いになってわかることだが……。

 それってタイチ、むちゃくちゃシキに気に入られていた恐れがないか?


 それを言うとさらに荒れそうなので、あたしはやんわりと確認する。


「……実際に、タイチのほうが年下だよな?」

「それでも! 僕はやつに劣る点があるとは一つも思えない! 今回のことも自業自得だ。色々しがらみがある家だとわかっていたにも関わらず、こんなにも可憐で清廉で心美しいユリエ殿を娶りたいだのと息巻いたからこそ、罰が当たったのだ。もっと身の程にあった女性を選べばいいものを! 改革など、長期に渡ってすべきことなのだ。一代ですべてを成そうするから、巻き込まれたユリエ殿が――」


 いや……あの……うん。相変わらず、あたしに何の夢を抱いているのか定かではありませんが……なんだろうなぁ。犬猿の仲として、タイチなりにシキのことも心配しているのかなー。


 タイチは包帯まで持ち歩いているようだ。しかも、巻き方がすごく上手。

 そんなタイチが治療を終えると「こほん」と咳払いをした。


「でも、それ以上に……僕は、ユリエ殿の前向きな瞳に惚れたんだ」

「タイチ……」

「それに、たとえ父上であろうとも……父上だからこそ、冤罪に与することを許すなど、僕の矜持に関わる。さすれば、僕の為すべきことは一つ」


 そして、タイチが納めたサーベルの柄に触れる。


「たとえ父と刺し違えても、やめさせることだ」


 ひとりで立ち上がった彼の声は、とても低い。

 だけど、あたしを見下ろす表情はどこか困ってるようだった。


「できれば、ここからは僕ひとりに任せてもらいたいのだが――」

「絶対に断る!」


 すると、タイチはどこか嬉しそうにしながら「だと思った」と苦笑して。

 あたしに、手を差し出してくる。


「それじゃあ、共に行こう!」

「おうっ!」


 あたしは、その手を掴む。

 やっぱり固い手だ。剣術を鍛える際に、何度も豆が潰れてきたのだろうか。


 そんな努力の先に見据えていた理想に、今から逆らう彼の心境を考えるだけで胸が苦しくなるけれど。


 あたしは気づかないフリをして、口角をあげることにした。

 たとえ、彼が求めている関係にはなれなくても。

 それが、友達ってものだろう?

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