人魚姫異聞 ~ 『それから』の始まりの物語 ~

浬由有 杳

第1話

「これは一体どういうことなのかしら、フォグラーダ神官長?」


 背後から問いかける声は、この場にそぐわないほど落ち着き払っていた。


「まさか、あなたがこのような下劣なやからとつるんでいるとは、意外ですわ」


 私は驚きのあまり呆然と目の前の老人を見つめていた。


 腰のあたりで結わえられた色あせたベージュの髪。老いを感じさせない英知を宿した水色の瞳。髪と同色の豊かな髭から覗く優しげな口元。白い法衣の上で煌めくのは高位神官を示す大きな青サンゴの記章。


 残念ながら、見間違いなんかじゃない。


 見知らぬ男たちに拉致された私たちを待っていたのは、昨夜の宿を借りた神殿で私たちを暖かくもてなし、旅の安全を願って祝福を与えてくれた神官長その人だった。


*  *  *  *  *


 馬車からの景色を楽しんでいるうちに、急激な眠気に襲われて眠り込んでしまったのはなんとなく覚えている。


 気が付くと、すっかり暗くなっていて、白い頭巾を被った白衣の男に押さえつけられていた。同席している侍女や女性騎士は完全に意識を失っているようで、このあるまじき狼藉にもピクリともしなかった。


 馬車が停まっていたのは、人っ子一人いない荒れ果てた小さな岬。

引き連れてきた護衛たちも、随行していた使用人用の馬車も、どこにも見当たらない。

 辺りに漂うのは懐かしい潮の香。砕け散る波の音がはるか下から聞こえてくる。


「私とて心苦しく思っておるのですよ、皇太子妃殿下。国を救うためとはいえ、できることなら、御身をいたずらに苦しめたくはないのです」


「ならば、すぐにこの茶番を止めさせなさい。国王を補佐すべき神官長あなたが狂人たちのたわ言に耳を傾けてはなりません」


 吹きすさぶ潮風に負けじと響く凛とした声。凍てつく風になぶられるままに乱れた銀糸の髪。怯えではなく怒気を宿した琥珀の瞳。


 両腕を後ろ手に戒められ、喉元に刃を突き付けられながらも、毅然とした態度を崩さない若き皇太子妃。

 沈みつつある太陽に照らされたその姿は、私の目から見ても神々しく見えた。


 その気迫に圧倒されたのか。


 腹部に回された賊の腕が微かに緩んだ。その機を逃さず、抱き上げられたまま、深くお辞儀するように上半身を前に倒す。三歳児の身体は筋力には欠けるが柔軟性には富む。額を脚にくっつけるほど身体を曲げることもできる。だらんと両手を伸ばして身体を弛緩させ、全体重を男の腕に乗せてやる。


 急に脱力した私を失神したのだと思ったのだろう。腕がもぞもぞと動き、男が慌てて私を覗き込もうとする気配がした。


 今だ。

 勢いをつけて全身で仰け反り、私は背後の男に思いっきり頭突きをくらわした。


「ぐぅ!」


 せいいっぱいの一撃は男の喉仏あたりにクリティカルヒット。

 堪らずに咳き込んだ男が私から手を離した。が、誘拐犯の手から抜け出せたと思ったのも、つかの間・・・。


「このガキ!」


 怒り狂った男に蹴り飛ばされ、地べたに無様に転がってしまう。衝撃に息が詰まった。打ち付けた背中が、擦りむいた手足が痛む。


「ペアーレ!この、ゲス、汚い手を離しなさい!」


「動くな!おとなしくしろっ!この、災いの魔女め・・・」


 なんとか顔を上げれば、スルブルーナが、母上が、男に背後から羽交い絞めにされていた。刃が当たったのか、その白い首筋に赤く血が滲んでいる。


「やめなさい。子供に手荒な真似はいけませんよ」


 神官長が私の身体を抱き起した。真っ白なハンカチを取り出すと、汚れた頬を拭い、身体に付いた土誇りを払ってくれる。


 骨は折れていないようですね、と呟きながら、治癒魔法を唱える。暖かな感覚が身体に広がり、じんじんとした痛みがウソのように消え失せた。


「大丈夫。もう痛くはないでしょう?」


 反射的に沸き上がった感謝の気持ちを飲み込んで、私はその老いてなお端正な顔を睨みつけた。


 何が大丈夫なのよ!すべてお前たちのせいじゃないの!この偽善者の無礼者!


 差し出された手を思いっきり払いのける。


「なかなかお転婆な方のようだ。が、しゃべれないと言うのは、やはり事実のようですね。念のため、姫君も両手を拘束させてもらいましょうか。なに、長い間ではありません。儀式はできる限り簡素化しますから・・・バローズ、くれぐれも姫君に傷はつけないように」


 私が頭突きをくらわしてやった男はバローズというらしい。

 神官長に恭しく一礼すると、男は指示に従った。背中に回された手首に縄が食い込む。幼気いたいけな子どもがやったことを根に持つとは。器の小さい男だ。


「よく似た母娘ですね。とても王族とは思えませんな。下賤な血が混じっているせいでしょうか」


 神官長はため息を吐いた。


「皇太子妃殿下、姫君が大事なら大人しくなさることです。ペアーレ様、貴方も無駄な抵抗はおやめなさい。さすれば、命までは取らぬと誓いましょう。いくら呪われた子といえども、我が尊き王家の血筋であることは間違いないのですから」


「すぐに私たちを解放なさい。今ならば、まだ間に合います」


「間に合う?何に間に合うというのです?あの『海から来た娘』が消えて以来、我が国は海の恵みを失ってしまった。すべて貴方と皇太子のせいです。あの娘は、まこと、皇子に恋するあまり人の世に降り立った神の娘、『人魚』の化身だったのです。なのに、スルブリーナ様、貴方は海の祝福を受けた花嫁を押しのけて皇太子の妃におさまった。大国の王女という立場をかさに着て。貴方方が受け入れるべき恩恵を拒絶し、『人魚』の恨みをかったせいで、我らは海神の加護を失った。神に仕える者として、私には間違いを正す義務がある」


「バカげたことを。あの娘は一途で健気な、優しい娘でした。たとえちまたの噂通りに『人魚』の化身だったとしても、決して人を呪うような邪悪な存在ではありません。あのの、わが友の、アルフォンソ殿下への愛は、何よりも尊く純粋なもの。わが友の想いを汚す発言は許しません」


 母上は今でも友と呼んでくれる。海辺で拾われた、口のきけない、素性も知れぬ少女、たった半年足らず共に過ごしただけの恋敵を。


 いや、恋敵と言うのは正しくない。彼女の恋はどんなに激しくても、想い人に相手にされない片思いにすぎなかったのだから。


 優しかったのは、母上、あなたの方だ。声を失って気持ちを伝える術がない彼女に文字を教え、鈍感すぎるその想い人アルフォンソにその想いを告げる手伝いまでしてくれた。


 結局、彼女の恋は叶わなかった。想い人おうじの心はすでに海辺で出会った王女あなたにあったから。あなたは政略結婚の相手に過ぎないと最後まで言い張ったけど。


 『人魚姫』は決してあなたを恨んではいなかった。愛する皇子を呪いはしなかった。

 たとえ、その身が泡と化し、消え失せても。


 かつて皇子が口にしたように、『人の想い』とは、当人すらどうにもできないもの。恋が常に報われるとは限らない。

 

 恋する喜びと苦しみを知った『人魚姫』。彼女は人の心の不思議と暖かさに触れ、自分なりに満足して『恋した人』と『素直でない友』の幸せを祈って消えた。


 私は彼女の真実を知っている。

 私こそがかつて『人魚姫』当人だったのだから。


*  *  *  *  *


 母譲りの見事な銀髪。若くして亡くなった母の実母にそっくりの瞳は深海の蒼。どちらかと言えば父に似た愛くるしい顔立ち。生まれ落ちてから3年、ただ一声も発したことのない子ども。呪われた王女。


 それが今の私、ハウラン王国の第一王女、真珠姫ペアーレ


 父なる『海の神』以外の神についてはよく知らない。

 どうして、泡と化したはずの身が、想い人の娘としての生を始めることになったのか?地上の神が憐れんで、もう一度チャンスを与えてくれたのだろうか?


 前世の記憶を持ったまま生まれた私。生まれ変わってなお、戻らぬ私の『声』。

 正直なところ、たとえ『声』が戻らなくても、そのせいで密かにそしられようとも構わなかった。人魚には戻れなくても、私はこの国の王女であり、素敵な両親に大切にされている。


 でも、今は・・・

 無力な我が身が恨めしかった。


 人間の足と引き換えに海の魔女に譲った『声』。その取引自体を悔いはしない。     けれど、今この場で、『話す』ことができれば、かつての友を、愛する母を助けることができるのに。


*  *  *  *  *


 農業と漁業を主産業とする平和な小国『ハウラン王国』。その皇太子一行が、周辺諸国で最大最強の国『グランタリア帝国』の統治者ブレンバルド三世の還暦の祝祭の宴に出席するため、王宮を馬車で出発したのは、ほんの2日前のこと。


 母上は今年も行きたくないと言い張ったのだが、嫁いで以降一度も母国に戻らないのは、さすがにまずいだろうと、今回は父上が説得したらしい。


 すでに3歳になる外孫まごに会ってみたいというあちらの強い意向もあったとか。


 母上は自分の父『ブレンバルド三世』が好きではない。憎んでいると言っていい。

 父王こそが実母を死に追いやった元凶だと信じているので。


 赤ん坊の頃、侍女頭メリアと母上がしゃべっているのをたまたま耳にしたことがある。二人とも私が理解しているとは思ってもみなかっただろうが。


 母上いわく、王は「見初めて寵愛したあげく子まで成した島の領主の娘を、じきに飽きて放置した人非人。訪れぬ人に恋焦がれ、絶望して海に身を投げた娘の『忘れ形見』を、政略結婚の駒として有効利用した暴君」。


 実父に忘れられ、実母に置いて逝かれて、修道院で育てられた悲惨な少女時代。

 たぶん、そんな境遇が、母上が父上の純愛を信じられない理由。いや、認めることがどうしてもできない理由なのだと思う。


 最初は不本意な政略結婚だったのだろう。母上にとっては。

 でも、今は誰の目から見ても、二人は相思相愛なのに。

 

 父上が誕生日の度に贈りつける、自分の瞳の色をしたエメラルドの装飾具。母上がそのどれかを、いつだって身に着けているのを侍女たちは皆、知っている。


 本当に二人は仲がいい。

 時には、前世の想いを思い出して胸がチクチクするくらいに。


 今回の旅だって、父上にしたら、母上と王との関係を少しでも改善する意図があったのかもしれないし。


 昨夜の急ぎの伝令で父上が王都に引き返さずに済めば、家族3人での、もちろん警護や侍女は一緒だけど、初めての長旅になるはずだったのに。


 ここ数年の不漁のことは知っていた。だけど、それを『人魚』の祟りだ、『海の神』の怒りだと考える人間がいるなんて思わなかった。


 すべてを母上や父上のせいにするなんて。

 まさか、神官長がそんな『たわ言』を信じるなんて。


 多少なりとも責められるべきは、彼らではなく、この私。勝手に恋して、勝手に人になり、恋破れて消えた『人魚姫』だ。


 末の娘を失った『海の神』の慟哭に海が呼応し、結果として不漁を招いたと考えれば。


 決して『海の神』が怒って自ら神罰を下しているわけじゃない。『海の神』の悲しみが和らぐにつれて、海の恵みは徐々に戻るだろう。


 人身御供を捧げることで海神を宥められるなんて、どこの馬鹿が思いついたのだろう?


 神は基本的には人の世に関与しない。海神は人の営みにも陸の出来事にも興味はない。あえて『ちっぽけな人の命』など欲しがらない。


 神殿を発つときに神官長がくれたお菓子や飲み物。それに眠り薬でも仕込まれていたに違いない。あるいは、何らかの術を行使したのか。神官の中には、魔力を持っている者が少なからずいる。


 事が終わり次第、追いかけてくるはずの父上。

 父上が来てくれさえすれば。父上にこの場所を教えることが出来さえすれば。


 ああ、どんな神でもかまわない。どうか、母を助けてください。

 私は、転生して初めて、心から祈っていた。


*  *  *  *  *


 神官長は、私を憐れむように一瞥し、その場に控えている数人の男たちに準備をするように命じた。


 目の前では、急ごしらえの祭壇に母上のたおやかな四肢が容赦なく鎖で縛りつけられていく。


「これもすべて我が国のため、人々のための決断なのです。海神の怒りは、皇太子が『海神の娘』の愛を受け入れなかったせい。ならば、その元凶の貴方を供物にすることこそが、海神を鎮める最善の手立てなのです」


「御乱心されたのですか?神殿での立ち位置がどうであれ、神官に過ぎないあなたに、こんなことをする権利はない。すべての神官があなたと意見を同じくするとも思えません」


「どこまでも口の減らないお方だ。・・・まあ、あなたがおっしゃる通り、残念ながら、国を心から憂う私の高尚な考えに共感してくれる方は、確かにそう多くはなさそうです」


 神官長の口元に、らしからぬ冷たい笑みが浮かぶ。


「だからこそ、世間的には、皇太子妃殿下は事故でお亡くなりになるのです。帝国へ向かう途中、馬車が崖から落ちるという不幸な事故で。ペアーレ王女は行方不明。失意の皇太子殿下にも後を追ってもらうことになるでしょう。ああ、御心配は不要です。我が国には、まだ年若くはあられますが、立派な第二皇子がいらっしゃいますから」


「第二皇子の母君は、現宰相の長女だったわね」


 大岩の上に築かれた楕円の祭壇。その上に仰向けに四肢を縛り付けられた母上は、なおも気丈に神官長を睨みつけた。


「宰相一派とあなた方は手を組んだってこと?」


「あのお方は、現国王以上に神殿の大切さを心得ておられます」


 神官長は白衣の懐から青い魔紋が散りばめられた短剣を取り出すと、その鞘を抜き放った。


「ではお別れです、皇太子妃殿下。海神よ、供物を受け取り、そのお怒りを鎮めたまえ!」


 両手で柄を握り、その刃を振りかぶったその時・・・


 風を切り飛んできた矢が神官長の肩に突き刺さった。


 苦痛と驚愕に老人の顔が歪み、その手から短剣がぽとりと落ちた。


「スー、スルブリーナ!ペアーレ!」


 待ち望んだ声とともに、突如現れた騎馬の一団。

 抜き身の剣を手に先頭を駆けるのは、ふだん穏やかな顔を鬼と化した金髪の偉丈夫。

 前世の想い人で現在の父、アルフォンソ皇太子だった。


*  *  *  *  *


 助かった。

 そう思った瞬間、背後から腕が掴まれ、ぐいっと引っ張られた。

 あっという間に、太い腕に囚われる。


「動くな。剣を引け。変な真似をすれば、王女の首をへし折る。王女の命が惜しければ、神官長様の縄を解け」


 大きな手が喉を掴む冷たい感触。


 喚きながらも、男は私をがっちり捕らえたまま、じりじりと絶壁の方へ後ずさる。


「お願い、やめて!」


 ようやく両手が自由になった母上が身を捩って悲鳴を上げた。


「おお!バローズ、よくやった。そなたに神の祝福を!」


 捕縛され、無様にへたり込んだまま、神官長が叫んだ。


「娘を離せ。すでに宰相の企みは露呈した。王都の反逆分子たちはすべて制圧された。お前たちの逃げ場はない」


 皇太子ちちうえの言葉に、男の肩がピクリとした。


「姫様から手を離せ。少しでも姫様に手を出せば、この不届き者の首を切る」


 騎士の一人が剣を抜き、神官長の頭上に翳した。とたんに、神官長の顔が青ざめた。


「バローズ、手を離すのだ」


 声を震わす神官長を男はじっと見つめた。


「神官長様、あなたはおっしゃいました。どんなことをしてでも、我らは海神を鎮めなくてならないと。それこそが我らの真の務めだと」


「言うことを聞け、バローズ。やはり、幼子を害するのは、神の意志に反しよう」


 しばしの沈黙の末、白い頭巾の中で男が笑ったのがわかった。


「神官長様、私は勤めを果たします。魔女は無理でも、その呪われた娘を海神に捧げましょう」


 つぶやくと、男は眼下に昏く沈む海に向かって、私の身体を投げ落とした。


*  *  *  *  *


 落ちる!

 頬に突き刺さる風。寄る辺のない浮遊感。


 私はぎゅっと目を瞑った。


 まだ、何もしていない。せっかく生まれ変わったのに。


「ペアーレ!」


 暖かい手が私の身体を抱きしめる。


 父上?


 大きな体が私の小さな体全体を包み込む。


「守って見せる。命に代えても」


 そう告げる優しい眼差しに、涙が滲んだ。


 私はこの人に愛されている。他の誰よりも。

 望んだ形ではなかったけれど。


『仕方ない。返してあげる』


 どこからか『声』がした。私の『声』を奪った『海の魔女』の声が。


 そう思った瞬間、冷たくマヒした私の喉が熱を帯びた。


 感じる。戻ってきたのだ。私の『声』ちからが。


「海よ!」


 私は、ペアーレは、生まれて初めて、言葉を発した。


*  *  *  *  *


 その後に起こった奇跡に関して、緘口令が敷かれたのは言うまでもない。


 波に包まれ抱き上げられて岬に無事に生還した私たちの姿は、かなり衝撃的だったようだ。


 あんぐりと口を開け、ただただ見つめる精鋭部隊の騎士たち。なすすべもなく転がされたまま、凍り付いた賊たち。白目を剥いて気絶した神官長。


 誰よりも早く衝撃から立ち直って駆け寄ってきたのは母上だった。

 柔らかな優しい腕が、ずぶぬれの父上を抱きしめ、その胸に抱かれた私を抱きしめる。


「よかった。本当によかった。もうダメかと・・・」


 涙に濡れた琥珀の瞳が瞬いた。


「すまない。怖い思いをさせて。よくわからないんだが・・・助かってよかった」


 片手で抱きしめ返しながらも、状況が理解できずに、口ごもる父上。


「何が『助かってよかった』ですか!」


 母上の平手打ちが父上の頬にさく裂した。


「遅すぎます。もう少しで死ぬところでした。あなたも、ペアーレも、失ってしまうところだった・・・」


 号泣しだした母上に、頬を赤くした父上は何か言いかけ、結局は、そっと口づけた。


*  *  *  *  *


 そもそも今回の旅には、現国王と対立する強硬派による反乱を阻止するという目的があったらしい。それを知っていたのは、ごくわずかの人々。現国王と皇太子つまり父上。それから王に忠誠を誓う貴族一派と騎士団。


 もちろん、私は全然知らなかった。


 陰で不満分子をあおっているのが誰かは、想像に難くなかった、と父上が母上に言った。


 病弱な王を補佐する名目で、まつりごとに食い込んできた王家の傍系の男。ここ数年の不漁が海神への不敬のせいだと事あるごとに表明していた現宰相だ。


 自分の娘が産んだ第二皇子を、傀儡の王に立て、ゆくゆくは自分が国を動かす。王家にはよくある親戚間での権力争い。


 現国王側は、宰相の協力者の貴族を特定し、万全の備えをしてから、あえて皇太子と騎士団が王都から離れる『好機』を作り出してやった。たぶん、皇太子妃と王女を王都からできるだけ遠くへ逃がす意味もあったのだろう。


 しかし、神官長までもが一枚噛んでいたとは。

 思いもかけぬ、手痛い誤算。


 宰相率いる反逆者たちは、王都で人知れず『国王夫妻』たちを幽閉すると同時に、皇太子夫妻を旅路の不幸な事故で抹殺するつもりだったのだろう。


 密かに帰還していた皇太子率いる騎士団は、何も知らずにのこのこ乗り込んで来た宰相一派を一網打尽にした。


 外交性に優れた穏やかな父上は、有事となれば、有能な為政者兼武人になれる人なのだ。


 ふだんは、妻の尻に敷かれた親バカにしか思えないけど。


 宰相が漏らした言葉に妻子の危機を悟るやいなや、父上は後のことは放り出して側近とともにはせ参じた、ということらしい。


「本当に、あなたったら、詰めが甘いんだから。ま、信じてはいたけど」


 散々泣いた後、母上はきまり悪そうにつぶやいていた。


「これですべて片付いたのね。二人とも大きなケガがなくてよかったわ」


 母上は気にしていないようだが、どうやって私たちが連れ出された場所がわかったかは不思議だった。で、落ち着いてから、こっそり父上に訊いてみたのだが・・・


 なんと、父上から母上への誕生日プレゼントのすべてに『位置特定魔法』がかけられているそうだ。


 そういえば、あの時、母上は父上から贈られた腕輪をしていたっけ。


 愛妻家なのは知っていたけど、ちょっと引いた。これには。もちろん、頼まれなくても、この事実を母上に告げるつもりはない。


 不思議なことに、父上も母上も、私が起こした『奇跡』については大して言及しようとはしなかった。

 もしかしたら、国王陛下にも隠し通すつもりかも。


 あの場にいた騎士たちは沈黙を貫くだろうし、咎人たちは他人に漏らす機会を与えられることはない。


 私が急に話せるようになったことは、喜んでくれたが、それだけだった。


 もしかすると、二人とも薄々気が付いていたのかもしれない。

 私があの『人魚姫』の生まれ変わりだということを。


「あなたが誰であれ、何であれ、私の娘であることに変わりはないもの」


 そう言って抱きしめてくれる母上。


「可愛い私の『真珠姫ペアーレ』。もう一度、その愛らしい声で『お父様』って呼んでくれるかい?」


 何度もしつこいほど私の声を聞きたがる父上。


 海の底にある悠久の神の国。人の世は、あの場所ほど美しくも平和でもないけれど。


 この騒がしく、移り行く世界で生きていくのも、そう悪くないかもしれない。

 先の見えないこの世界で、人として新たな生を始める。そう考えると、ワクワクする。


 そして、それから・・・

 今度こそきっと、私だけを見つめてくれる素敵な王子様をみつけるのだ。


               THE END


※某無料台本投稿サイトに載せてもらっている、隣国の姫君と人魚姫の関係を想像して描いた台本「人魚姫」の続きの話を小説として書き下ろしました。前作に当たる話を読まなくても多分わかるように描いたつもりですが。台本そのものは、数校の高校の演劇発表会、北海道の大学の演劇愛好会で上演されています。ご興味が御ありの方は、「は〇〇のトラの〇」で検索してみてくださいね。


※上記の「人魚姫」の脚本に多少見直しをして、「カクヨム」のその他カテゴリーでアップしました。脚本としては読みやすいと思います。併せて読んでいただけると幸いです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人魚姫異聞 ~ 『それから』の始まりの物語 ~ 浬由有 杳 @HarukaRiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ