はじまりなんて、こんなもの

草乃

はじまりなんて、こんなもの

その人物の事は、うわさ話として知っていた。雑誌やテレビでみる、アイドル程度には。

いや、人物像も余程のうわさ好きか追っかけやファンと呼ばれるような人間と同じくらいには知っている。

少し軟派な気質はあるけれどそんな人間性とは裏腹に、高校時代の部活では県大会の上位に食込むほど努力の人だった。まあ、そういう人だから隠れファンも多かったようだ。


だからまさか合コンなんていう場所で例え数合わせか人寄せか、人数に入ってくるとは思わなかった。悪い意味ではなく、彼女または恋人がいてもおかしくはない見目をしていたから。


あちこち薄い壁の向こうはざわついている。

ここも今のところは互いに様子をみあっているがそのうち解け合って混ざり合ってしまうに違いない。

飲み物の注文をするために幹事が声をあげている。飲み放題つき、メニューは某かのコースを頼んでいるそうで今はテーブルの上に人数分のお通しとサラダが三つ、間隔をあけて並んでいる。あとは頃合いを見計らって運んでくれるのだろう。唐揚げがあればいいけれど。


サラダの取り分け女子が出てくる前に自分の分だけ確保しよう、とふと顔をあげる。既に取り分けが始まっている所もある。顔ぶれにちらり眼を走らせた。あまりピンとくる人はいない。

ほんの一瞬、そんなはずはないけれどこの中で既に一番女子からの視線を集めているその人と目があった気がして、サッと心象が悪くないように反らす。

いや、他からの視線もある、気がする。

出会いを求めて来たわけではなく、こちらは人数合わせ、食べるつもりで来ているのだから、ただただ食わせてくれと思う。

自意識過剰だな、と自嘲しながらわっさわっさと皿に添えられた箸で取る。隣の女子が、次貸して、と誰かのための皿を左手に持ち右手を出してきた。

頑張るがいい、取り分け女子。そしてよい相手が見付かればいいな。だが取るくらい自分でさせた方がいいのでは、と思う。

はい、手渡しながら自分の箸に持ちかえる。食べよう、と思ってハッと気付く。まだ飲み物が揃っていない、宴は始まらないのだ。箸を置いて、どうしたものか、とぼんやりと周りに目を向けるふりをする。人の目を避けた高さでぐるりと見渡す。

どこもかしこも既にお目当てはあるらしく視線がちらちらとどこそこへ飛んでいる。視線が合いそうになったものは合ってないふりをする。

周りは話が盛り上っているように見えるその中で、ぽつんと一人マテをされているような気持ちになる。いや、実際に待てをされているのだ。

会費の分くらいは食べるものを食べて、さっさとずらかろう。そう、思う。


注文した飲み物を店員が盆にのせて運んでくる。揃ったところで、男子側の幹事が行き渡ったかを確かめて音頭を取る。

乾杯の声が響き渡って、自己紹介をするとやっぱり先程から様子を伺われている気のする人物が見知った人なのだとはっきりした。彼方はただの人数合わせに呼ばれたのだろうか、それとも――考えかけて、止めた。そこまで意識している相手でもないのに気にしてどうする。

一通り終わればあとはごちゃごちゃのわちゃわちゃ。

掛けられる声に、軽く合わせながらようやくサラダを口にはこんだ。




――人数合わせで呼ばれた、男女各六人での食事会。

女子の方はわりと、食事よりもこの食事会の目的である繋がり作りに忙しそうだ。

私のようにご飯をガッツリと食べて帰ろうと思っている女子はそもそも合コンを食事処に選ばない。一人特殊であることには特に何も思わない。そもそもそれを承知で呼んだのだ、何も思うまい。

別に恋愛を避けているわけではない。年々、周りからの視線の意味合いも憐れみが多くなった。恋愛をするしないは個人の自由であるし、探すから引き寄せあい縁が結ばれるのだ。十月に西の方に集まった神様が、それこそ酒の肴に赤い糸でも結んでいるのだろう。

そもそもその努力をしていない。

それはもう、理解していた。



斜め向かいに座る彼は私の事など露ほども知らないだろう。いや、顔は知られている可能性がある、が話したことは一度たりともない。

対面したり会話をしたりしたことはない。一方的に、高校時代の部活が同じだったから知っているだけ。男子の応援によく行かされたな。女子はそれほど強くはなかったから。

遠くから、観ていただけ、一方的に。時折聞こえてくるうわさ話に、そうなのかと思っただけ。

そこに、深い意味はなかった。今もそれは変わらない。



そんな彼の様子を時おり盗み見て思う。たいして興味もない合コンに、呼ばれてしまっただろうこと自体には同情のしようがあった。付き合い自体は風のうわさによれば不定期に付き合ったり別れたりしているらしい。これは完全なうわさ話。

それも特に気にしたことはなかった、友達の友達、のような遠い話。そもそも、どこの大学に進んだのかも知らなかった。いや、知ろうとしなかった。

だから、彼について勝手に残念に思うのは、あまりにも勝手だろう。


ただまあ、女子を呼ぶために名前を出して呼んだはいいが、女子の関心を彼がほぼ集めていることについて、呼んだ人間としては本末転倒だったのではないか、と盛り上げに徹しようとしている男子側の幹事らしい人物には憐れみを感じてしまう。そもそも幹事くんは本当に飲み会がしたいだけではないか、とも思えてくる。

本心はわからないが、そんな気がした。


二時間くらいの間に、何度か自発的な席替えもしたが、発展しそうにないとわかると相手はすぐに興味をなくしてくれた。

もりもりと食べているのがいい、と言ってくれた人もいたが、正直嬉しいとも悲しいとも思えない。

どうしてここに居るのかなんて、ただの人数合わせだと態度をみればわかるだろうに。どうしているんだろうな、とだし巻き玉子を口に運びながら考えた。

食事するだけでいい、人数合わせだからと頼まれた。そんなことあるか? あるのだ、これが。それが私が今ここにいる理由だ。


そうこうしている間に時間は経ち、お開きの時間になる。

続けてどこかで飲む人も、そっと抜け出してしまおうと言う人もいるなかで、よし帰ろうご馳走さまでした、と一人その団体から距離をとる。

時計をみて、これから帰りならどの店が開いているかを浮かべる。明日が休みだから、わざわざ行くこともないが、おつとめ品をみるには丁度いい。ついでに他のものもみて帰れば明日はでずっぱりで良い。

挨拶もそこそこに、団体とはひとまず距離を置くために反対側へ歩き始める。駅でかち合うことも想定できるが、わざわざ気の乗らない会話に合わせてまで駅への数分を我慢するのも嫌だった。

腹は満たされた。人数合わせの義理も果たしたつもりだ。


「……さん、柚月さん」


ふと、後ろから声が聞こえて振り返る。

小走りで駆け寄ってきたのは先程の飲み会にいた潮見さんだった。少し頬が赤らんでいるのは、彼もそれなりに飲んでいたからだろう。


「えっと……潮見さん、でしたっけ」


わざと少しとぼけて返した。一方的に知っているとはいえ、声を掛けられる関係性ではなかった。

お互いに知ってはいたみたいだが、仲良く世間話をするほどではない。


「その冗談、面白いね。高校の時、バスケ部にいたでしょ」

「知って……?」

「まあ、ね。とりあえず、一人は危ないよ。一緒に駅まで――」

「結構です」


間髪入れずに断ると、潮見さんはきょとりと目を丸めた。断られるのは予想外だったらしい。

私がさっきまで食事に夢中だったことを、見ていないとでも言うのだろうか?

私はため息がてらきっぱりと断る。そう、曖昧はいけない。勘違いの生まれる余地など無いだろうし、それこそ自意識過剰と言われかねないが、私は今日、男漁りをしにきたわけではなく、ご飯を食べに来ていたのです。


「次、お店決めたんでしょ? 私は買い物して帰るから、気にしないで」


後ろで不服そうな、不安そうな顔をしている気合い入れてる女子をみてくれ。潮見さん狙いの女子のトゲのある視線が痛い。


「気に、します!」


ごめんね、やっぱり俺この子送っていく、と体を捻って待っている一団に声をかける。

潮見さんを狙っていただろう友人の、どうしてという疑問と一番論外で興味が無かったはずなのに、と恨みがましい視線を送ってくる一時的な友人だった人たちに答える言葉を持ち合わせてはいなかった。

もうこの瞬間にも連絡先をブロックされている予感。


なんだかお持ち帰りと勘違いされているようだけれど、これじゃああとを付いてきてるだけのような? と思いながら、仕方なく受け入れることにする。

話しかけるきっかけでも探していたように「ため息ばっかりついてるね」と話しかけてきた。ため息で返すべきか。

面倒ごとはごめんなんだけどなぁ、と頭の端で考えながら、もしかしたら私は抜け出すために利用されたのでは、とも思えて結局都合よく使われただけかぁとあまり相手にせず黙々と歩いていると駅が見えてきた。

「駅そこなんで。じゃ!」と逃げることにした。



この時のことがどこに行き着くのかはさておき、彼の活躍とうわさ話を知っているだけだった私がのちに、ごろんごろんと彼の手のひらで転がされることになろうとは、この時の私は露ほども考えていなかった。

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