凡庸な天才
向野釈尊
第1話 プロローグ
プロローグ
私は弱い。自分に自信がない、だから弱い。脆弱であり、醜い。それが自己評価である。
このような自己評価になった原因は私の醜い生き様が影響している。
これから私がなぜそのような醜い生き様になってしまったのかを綴っていくが、私が起こした全ての事件において、私のもともとの性格が問題なのである。
まずは、億劫なことからは全て逃げ出したくなる相当な面倒くさがり屋であるということ。
高校時代、部活が面倒になり、辞めたくなるが、両親にそれを話すと「お前は面倒くさがりなのだから続けろ」といった内容の説教を一時間以上にかけてされた。また副部長という割と重要な立場でもあったために、顧問にいうことも気が引けた。なので選んだのは「行かない」という一番最低な、そして一番近道な選択肢である。部活に行かなくなってから半年経って、顧問がそれに対してブチ切れたという話は後に話させていただく。
二つ目は面倒くさがりなのにも関わらず、無駄なところが完璧主義者であるということだ。
誰かと話すということはかなり体力を消費するようにどうしても感じてしまう。オーケストラで美しい演奏をするために必要なことは個人のチューニング、パートごとのチューニングである。同音であっても、ずれていれば「うねうね」と音が波打つように聞こえる。このうねりがなくなれば音があったということになる。この作業をチューニングというが、人間と会話をする際もこれと同様だと感じており、相手の会話内容、程度を理解した上で、いかに会話を盛り上げるかといったことを見越さなければならない。オーケストラと同一な点は、波長を合わせるということである。私は会話に美しいオーケストラを要求しているのだ。普通の人はそこまで会話に求めてないかもしれない。しかし私の場合、話が止まる時の「間」が嫌いなのである。とてつもなくぎこちない。どんなに間柄が親しくてもどうしていいかわからなくなってしまう。この間を埋めるために話をうまく繋ごうとする。そんな無駄な完璧主義は凡人からは嫌われるであろう。それだけこだわりが深いと、周囲の人間からは不快に感じられると自分でも知っている。しかし、なぜだか変えられないのだ。
三つ目は完璧主義であるにも関わらず、即断即決をしてしまうところが厄介な点だ。一つ目に書いた点につながるが、回答を後回しにすることはなんだか気持ち悪く感じてしまい(こういう点では完璧主義)、物事を深く考えずに違った回答を出してしまうところが私の悪い癖なのである。
全てをまとめると、どこかで自分は天才だと思い込んでいるのかもしれない。近道を探して回答をその場で出して、完璧を求める。天才がすることを凡庸な私がすることで醜い人生になってしまったのである。
これから私が起こした数多の事件を綴らせていただく。
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