第15話 事件に巻き込まれた 5

アイちゃんにビデオコールで連絡をし、グリードに連絡してくれたお礼と、心配をかけたことの謝罪をした。

アイちゃんは安心したように笑ったけど、当然どうしてこんなことになったのかを聞いてきた。

もちろん、事実をそのまま伝えることはできない。

私はとっさに、私のパイロットの腕を見込んで転職のスカウトをしに来たのだと告げた。

私のとっさの嘘に怪しむかと思いきや、グリードが横からフォローをしてくれたおかげでアイちゃんは話を信じてくれた。

おやすみなさいをして連絡は終了し、私は端末をポケットへとしまった。


「アイちゃんに嘘ついちゃった」


私が肩を落とすと、グリードは右のアームを上げた。


「こればかりは仕方がない。街の安全保障に関わる重要案件であり、本来なら民間人である君も知らずにすむことだった。この件はアイラはもちろん、誰にも話すべきことではない」

「うん」


頷きながら脳裏に閃くものがあった。

ユーゴさんの休日出勤の件、もしかしてこのことが関係しているのかな。

ユーゴさんは優秀で有名な傭兵だ。

その可能性は十分にあり得た。

グリードは私に複眼の光を向ける。


「外に出よう。君と話をしたい」

「うん。あ、グリードってこの件」

「もちろん知っている。弊社は軍需産業にも関わっており、今回の作戦にも協力している」


そうだよね。

こうして私達はビルから出た。

ビルの外はそこそこの人が歩いていて、ほぼ地下鉄へと向かっている。

何となくその流れに乗りながら、私の隣で並走するグリードの膨らんだ円盤型の頭を見た。


「どこへ行くの?」

「いつも行くカフェの上の階が貸会議室になっている。二十四時間営業で防音、防犯設備も完備。すでに予約は取ってあるからそこに行こう」

「えっ? あそこそうなの?」

「カフェの外装が華やかなのに加え入り口が裏手にある。わかりづらいが間違いない」


グリードはいつもどおりの淡白さで答えた。

今夜は私の知らない事実をたくさん見聞きするなあ。

地下鉄に乗り、いつもの駅で降りると見慣れた平和な風景が私を出迎えた。

今の時間は街灯に照らされているが、それでも地に足がついたような安心感に思わずホッとする。

いつもの日常に帰ってきたと思えた。

顔なじみのカフェでコーヒーを買い、カフェの裏手に回ると貸会議室の看板とエレベーターに続く廊下が見えた。

表のカフェに比べてあまりに地味で、確かにわかりづらい。

ちゃんと商売になっているのか心配になりつつ、狭いエレベーターに乗り込む。

グリードもエレベーターに入ったけど、横幅スレスレだった。

受付は二階なのですぐにエレベーターを降り、無人の受付でチェックイン。

電子キーを受け取り、奥の部屋へと向かうグリードの後を追った。

ドアが開くと自動的に部屋の電気がつく。

薄いグレーの壁に、大きな木目調のテーブルと白い椅子が六脚置かれており、ホログラムの観葉植物が置かれている。

先程の会議室とは違い、どこかナチュラルで親しみを感じる部屋だった。

グリードは電子ボードの前に陣取る。


「適当に座ってくれ。スロウスの件はお疲れ様だ」


私はコーヒーをテーブルに置くと、上着を脱いで真ん中の席に座った。

安堵を感じると同時に大きく息を吐き出す。


「君のバイタルがいつもの数値に戻ったようで何よりだが時間が惜しい。早速本題に入ろう」


グリードは複眼の光を私に向けた。


「今回の件、最終的な判断をするのは君だが、その上で私の意見を述べる。スロウスの作戦への参加は反対だ」


グリードの口調はいつもどおり静かで淡々としていたけど、堅苦しい雰囲気が増しているように感じた。


「理由は明快で、君の生命と財産を脅かす可能性が極めて高いからだ」

「生命と、財産?」


生命は容易に想像がつくけど財産って?


「問おう。君は所謂戦闘エリアでの実戦経験はあるか?」


戦闘エリアとは、傭兵が外敵を駆逐していないエリア全般を指す。

そして外敵を駆逐し尽くしたエリアを浄化エリアと呼んでいる。

私は首を横に振った。


「ないよ。資源調達員は浄化エリアでしか活動はできないって法律で決められてる。当然実戦経験もないよ。武装できるのは傭兵だけだし」

「そう。君はパワードスーツの操縦が上手いだけの未経験者なのだ。作戦の都合上、研修期間等はなく、すぐに実戦投入されると予想する」

「そうだけど、スロウスさんはあくまでも私は後方支援だって言ってたよ」

「戦闘エリアは不確実性の高く、戦闘エリアに慣れた傭兵でも事故を起こす場所なのだ。そんな場所へいきなり未経験者を投入するのは無謀だと判断する」


現実的なグリードの意見に、私はうつむいた。

何もかもが正しい。

でも疑問もあった。


「生命の危機は理解できるよ。でも財産が脅かされるって」

「君が乗るパワードスーツは君が所有する立派な財産だ」


その言葉に体が強張るのを感じた。

……完全に頭から抜けていた。


「恐らく、作戦行動の際のパワードスーツの損壊の度合いを問わず保証がつくし全損した場合は新しい機体が提供されるだろう。だが、君はそれで納得できるのか?」


グリードの問いかけに、私はグリードを見つめることしかできなかった。

脳裏に、いつも乗っている私のシリウスが思い浮かんだ。

私のシリウスは父の形見であり、ニ十年以上前の型落ちの機体でありもう二度と手に入らない。

それでも現役で動かせるのはシリウスの作りの優秀さの証であり、整備士さんたちの努力の賜物であり、私の執念の表れでもある。

……ああ、違う、そうじゃなくて。

そしてシリウスと入れ替わるように、容姿端麗とは言えないくたびれた中年の男が浮かび上がった。

その中年男は穏やかな笑顔を浮かべて私の名を呼ぶ。


『ナナミ』


……私は父一人に育てられた。

元々個性的な性格をしていた母は、私達家族を捨て自由を選び取り、会ったのは父の葬式の時だけだ。

母と殴り合いの大喧嘩になって周囲をドン引きさせ、結果的に母は去っていったけど。

それはともかく、父は私のために昼も夜も働いていた。

私の前では笑顔でいてくれた父だったけど、一人でいるときの背中はとても寂しそうで、私はその寂しさを埋めてあげたいといつも思っていた。

でも結局、私では父の心の穴を塞ぐことはできず、父は私が独り立ちする前に死んだ。

決して裕福な暮らしだったわけではない。

それなのに、父は私のためにと毎月毎月少しずつお金を貯めていてくれていた。

そのお金を使ってパイロットの養成学校に入学し、父の残したシリウスと一緒に過ごしてきて、今に至っている。

あのシリウスは父が残してくれた大切な財産であり、かけがえのないものなのだ。

そんな大切なことを忘れて、一時の感情に揺さぶられるまま安易な判断をしようとしていた。

それがあまりにも幼稚で浅はかで情けなくて、私は思わず両目を手で覆った。


「ナナミ」

「私ね、悔しかったんだよ」


私はそのままの姿勢で話し始めた。


「スロウスさんに応援するだけなのかって言われて、AI任せにしていいのかって言われて悔しかったの」


街の安全確保という大きな貢献を提示されて、スロウスさんに指摘を受けた私の心はかつてなく揺れ動いていた。

この作戦に参加すれば、間違いなく多くの人の幸福を守ることになるだろう。

応援だけでなく、実際に行動をするのだ。

スロウスさんに、あんな風に言われることもなくなる。

グリードたちを本当の意味で手助けできると思ったのだ。


「だから作戦に参加することも少しは考えたんだよ。でも、こんな大切なことにも想像が及ばないなんて、自分が嫌になる」

「……ナナミ」

「本当は怖いから行きたくないよ。ましてや私のシリウスは父の形見なの。この世に一つしかない。それが私の軽はずみな判断で壊れるなんて想像すらしたくないよ」


私が黙り、会議室は沈黙に包まれた。

スロウスさんの時のようなひりついて恐れを抱かせるような緊張感はなく、不思議と安心感はあった。

我ながら変な感覚だとは思う。

どれくらいそうしていたかはわからない。

グリードが私のそばに来て、アームを動かすと私の背に手を置いた。


「ナナミ。コーヒーを飲んだらどうだ? 慣れた味と香りは、少しは君の心を落ち着かせるだろう」


この街のロボットとAIは、人に寄り添うように設計されている。

それに加え、人の心を知るために頑張っているグリードAIなりのこれは気遣いと呼んでいいものだろう。

私は頷き、カップを手に取った。

来るときは熱々だったのに、今は触ってもちょうどよい温度にまで下がっている。

グリードの言うように、いつものカフェのコーヒーの味と香りは私にとっては親しみのあるもので、荒れていた心が少し凪いだように思えた。


「君がスロウスと具体的にどのような話をしたのかは不明だが、スロウスが君に揺さぶりをかけようとしたことは推測に容易い。作戦の成功率を上げるため、君のような優秀なパイロットを引き込みたかったのだろう」


グリードは私の背に手を置いたまま話し始めた。


「私はこの作戦において君のような民間人のパイロットを引き入れることには反対だ。この件は、街の外の活動に長けた傭兵やその関係者で解決すべき事案である。そのために彼らには相応の対価が支払われているのだから。そして民間人の投入は、そんな彼らのプライドを傷つける行為であると推測する」

「プライド」

「そうだ。ユーゴ、ジョン、ニコラ、フラヴィオと対話をした予想だ。だから不確実ではあると前置きしよう。彼らは明るく陽気で勇敢な、誇り高き傭兵だ。彼らがこの話を聞いたなら、きっと怒るだろうと予想する」


私は顔を動かしてグリードを見た。

グリードの鮮やかな水色の光が私を見つめている。

そこに感情はないはずだ。

だから優しい光だと感じるのは錯覚のはずなのだ。


「それと君は失念しているようだが、君は十分にこの街に貢献をしている。資源調達員として、この街の根幹を支える大切な仕事に従事しているのだ。君達なくしてこの街は存続できない」


言って、グリードは私の背から手を話すと今度はカップを手にする私の手に触れた。


「確かに、傭兵のようなわかりやすい貢献ではないだろう。パイロットなら誰でもできる仕事だとも言われている。でもそうでないことは私はもちろん、街の外で働く誰もが、そして街を管理するAIたちも知っている。だから、君が君の仕事を卑下するような言動はしないで欲しい」

「グリード……」


優しく諭されて、私は思わず涙ぐんだ。

涙があふれそうになって慌てて手の甲で拭う。


「ナナミ」

「大丈夫だよ」


私は笑顔を作った。


「嬉しくても涙は出るんだなって」

「ナナミ、それは少し違う」

「え?」

「悲しいから涙を流すのではなく、涙を流すから悲しいのだとする心理学の説が前時代からある。その説によれば身体的、生理的反応が」

「うん、その話は今はやめにしておこうかな」


このロボ、やっぱりどこかズレてるな。

私は嬉しいのとおかしいのと困ったのとで、かなり複雑な気持ちでグリードを見つめた。

でも、グリードが友達でよかった。

今お話できてよかった。

私は感謝を伝えたくて口を開いた。


「ありがとうね。グリードおかげで、冷静に考えられそうだよ」

「そうか。ならいいのだが」


グリードは私に添えていた手を離した。


「この件はどちらを選んでも君にとっては後悔がついてくるだろう。ならば、君にとってより後悔の少ない選択をしてほしい」

「わかったよ」


私はうなずき、そして冗談交じりに言った。


「あーあ、グリードにまた借りができちゃった。何かお礼をしたいけど何すればいいのかな?」

「借りを作った覚えはない」

「うん、そうなんだけどさ、グリードも忙しいのにわざわざこの為に来てくれて、ここのお金も出してくれて申し訳ないなって。何かお礼をしたいんだよ」

「それをすれば君の気が済むという話か」

「まあね。あっ、もちろんこんな私だから大したことはできないけど」

「……では一つ」


そう言うと、グリードは私の顔を覗き込むように見た。

ドアップになった多脚ロボの光り輝く複眼に圧倒される。

な、何だ?


「君の父君とシリウスの話を聞かせてくれ」

「父とシリウスのこと?」

「そうだ。私は君のことが知りたい。だから君の大切な存在である彼らの話を聞かせてほしい」


意外な申し出に私は戸惑った。

別に隠すような話でもないが、積極的に話題にするような内容でもない。

思わず固まる私にグリードは静かに優しく促す。


「画像か映像データはないのか?」

「あるけど」

「ではそれを見せてくれ」


……それくらいなら別にいいかな。


「わかったよ」


私は端末を取り出すと、結構な数の画像データから一番古い画像データを呼び出す。

少し時間はかかったけど、私達の目の前に一枚の画像が浮かび上がった。

父と並んで笑顔を浮かべる私の後ろに、シリウスの足が写ったものだ。


「これが一番古いやつだね」

「データでは八年前のものか。子どもの頃の君は当たり前だが小さいな。そして隣にいる男性が君の父君か」

「そだよ」


グリードはアームを伸ばすと父の顔の部分を拡大した。

多少画像が荒くなったが、父の顔が大写しになる。

グリードの複眼の光がまじまじと画像を眺めた、ように見えた。


「目元が君と酷似している。目の色も君と同じ色だ。君は自然分娩で生まれたのか?」

「そうみたいだね。詳しいことは知らないよ」


生前に母に関わる話はしなかった。

……仮に今も父が生きていたとして、多分その会話はできないと思う。


「そうか。……後ろの水色の足の機体が君のシリウスか」

「この当時は父のシリウスだね。全身像もあるよ」

「見せてくれ」

「はいはい」


こうしてグリードに請われるがまま、画像や映像を見せて父とシリウスの話をした。

その時間は少し苦くもあったけど暖かくて心地よくて、ちょっとコーヒーみたいだなと感じた。

予約した時間いっぱいまで話をして、グリードは駅まで送ってくれた。

家に着いて着替えてから、改めてグリードにお礼のメッセを送った。


「グリード、家に着いたよ。今夜は本当にありがとう。グリードに話を聞いてもらって落ち着いたし安心したよ。明日、ちゃんと考えるからね」


喜ぶカワウソさんスタンプを送り、続いておやすみなさいスタンプを送る。

すぐに既読マークがつきメッセが届いた。


「今夜はおやすみ。また明日、仕事の休憩中にでもよく考えてくれ。くれぐれも仕事中は作業に集中し事故のないようにな」


相変わらずのお硬い文面。

でも、どこかグリードらしさを感じるのは、完全に私の色眼鏡だろう。

私は笑顔でOKスタンプを送った。

グリードと話せて本当によかった。

そうでなかったら、この夜は不安でグラグラのまま眠りにつくこともできなかっただろう。

きっと寝不足になって明日の仕事にも支障が出ただろうし、納得のいく答えも出せずに悶々としていたに違いない。

私はグリードの存在に心から感謝したのだった。

次の日、改めてアイちゃんに昨日のことを謝った。

アイちゃんは明るく笑って頷いた。


「グリちゃんに相談してよかったよ。ナナちゃん、ちょっと危なかっしいとこあるからね」

「いつもごめんね」

「謝らなくてもいいよ。慣れてるから」

「じゃあ、ありがとう」

「どういたしまして」


私達は笑いあった。

いつもの日常に紛れてきた非日常なお話とその誘い。

私は仕事の合間や休憩中にも作戦のことを考え、夕方には結論を出した。

私は結局、作戦への参加を辞退することにした。

確かにパイロットの腕前を評価してくれたことは嬉しいし、それがこの街の安全保障という大きな貢献につながることは誇れることだろう。

でもグリードの言うとおり、私は戦闘エリアでの活動経験は全くない未経験者だし、命は惜しいし、父の形見の非武装のシリウスを実戦に出すことなどできない。

私は夕方にスロウスさんと会い、そのことを正直に伝えた。

スロウスさんは無表情で私を見、そして頷いた。


「わかった。君の不参加は残念だが、民間人である君に無理強いはできない」

「ご期待に添えずごめんなさい」


私は頭を下げ、そして頭を上げるとスロウスさんを見つめた。


「スロウスさん達AIに全部任せきりにするつもりはないです。私は私のできる範囲のこと、いつもの仕事を頑張りながら皆さんの使命のこと応援してます」

「……君は甘いね」


意識して作ったであろう冷たい声音に私は心が痛むのを感じたけど、それでも決意は揺らがなかった。


「承知しています。だからこれからもこの街や自分のこと考え続けます」

「そう。……この件は引き続き他言無用でお願いね」

「はい」


これで終わりのはずだった。

私は地味だけど平穏な日常へと戻れるはずだった。

なのにその三日後。


「俺には養って守るべき家族がいるんだぞ!」


ロイさんの悲痛な声に私は我に返った。


「ここで死ぬわけにはいかねーんだよ。なのに何で、てめえのミスの尻拭いをしなきゃなんねーんだ!」

「その街にいる家族を守るためにも、そこで待機をしてほしいと言っている」

「てめえっ!!」

「ロイさん! 落ち着いて下さい!」

「これが落ち着いていられるか!!」


ついに怒りが爆発したロイさんをアイちゃんが宥めようとするが、ロイさんの事情を考えれば当然その怒りがおさまるわけがなかった。

……こうして、私はもちろん、グリードもスロウスさんも、誰もが予想をしなかった形で、私はルシフェルという運命に関わることになってしまったのである。

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