第13話 お茶会に招かれた 4
「カリヤ様、弊社のグループ企業が発刊している『レトロ・フローラリア』の読者様でしょう? 以前アンケートを出していただきましたよね」
「はい」
そういえばそんなこともあった。
で、そのアンケートの懸賞に当たって、初めて水族館に行ったんだった。
「その時に一番好きな漫画として『恋愛下手の伯爵令嬢は憧れの恋愛結婚をしたい〜壁の花の婚活奮闘記〜』を挙げられていて」
ああああああああああ!!
いきなり丸裸にされたような衝撃。
次いで襲った恥ずかしさに私は勢い良くうつむいた。
か、顔が熱い。
というか、首も耳も体も熱い。
そう、ラストさんの言うとおり、その漫画こそが私が今一番ハマっている漫画なのだ。
正しい。
正しいんだけど、タイトルを淀みなくフルで言われて何でかすっごく恥ずかしい!
ていうか、声を上げなかったのは偉いぞ、私。
テーブルに額を打ちつけなかったのも偉いぞ、私。
「その感想文の中にこの世界観に憧れていると、あら? カリヤ様、どうされましたか?」
「い、いえ、ダイジョブです。お構いなく」
息も絶え絶えに言った。
そうか、そういうカラクリだったのか。
さすがはこの街の管理AI、性格設定はともかく、油断もスキもありゃしない。
私は呼吸を整え、姿勢をどうにか正した。
不思議そうにしていたラストさんだったが、改めて笑顔を見せる。
「カリヤ様の憧れの世界観を知り、今日はそれを表現しようと思った次第です。どうでしょう? 少しは近づけておりますか」
「バッチリです。……その、失礼とは思いますが写真を撮ってもいいでしょうか」
「もちろんですわ。お好きなだけどうぞ」
「ありがとうございます!」
快諾を得て、私はズボンのポケットから端末を取り出そうとし、グリードが何かの画像を見ているのに気付いた。
何気なく覗き込み、私は瞬時に顔が火照るのを感じた。
グリードが、私の好きな漫画を早速読んでいたからだ。
「グリード?!」
「ああ、気にしないでくれ。君の様子も並行してちゃんと見ているから」
「気にするよ! 漫画はお家に帰ってから読もう?!」
「……君が好きな登場人物は誰だ? やはりヒーローと思われるこの彼か?」
「それは後でいくらでも語ってやるから今は黙ってお願い」
恥ずかしさのあまり早口でまくしたてると、ラストさんが右手を頬にあてた。
「カリヤ様は前時代のレトロな世界観のラブコメものがお好きですよね。『時計塔の魔女〜八度目の人生は自由きままに過ごしたい〜』も好きな漫画に挙げられて」
「すみません勘弁してください」
恥ずかしさのあまり私は涙目になりつつ頭を下げた。
その後私はどうにか立ち直り、写真を撮って、ようやくお茶を飲むことになった。
ラストさんは、注がれた紅茶のカップを小さく掲げる。
「それでは、乾杯」
「乾杯」
ラストさんがカップに口をつけ傾けた。
あ、ラストさんも飲むのか。
アンドロイドが飲食することはほぼない。
エネルギーを飲食で取る必要がないから、飲食できる機能がついていないのがほとんどだ。
飲食できる機能がついているのは、完全に所有者の趣味であり、高価であることの証である。
私はカップに目を落とした。
赤とも茶色とも見える水色。
波立った心を鎮めるかのような紅茶の香りは、たまにお店で飲むものと違い香り高かった。
ふう、この香り、安心するな。
一口飲むと爽やかな苦味が口に広がった。
でも嫌な苦味じゃない。
砂糖なしでも飲めそうだ。
「スコーンも焼きたてですからね。温かいうちに召し上がってくださいな」
「はい」
さて、例の漫画で学習したのだが、このケーキスタンドは下は塩っぱいものが置かれ、上に行くほど甘いものが置かれているらしい。
そして食べる順番は塩っぱいものからスタート。
つまり、下から順に食べれば大体まちがいはないようだ。
だが、今回のようにスコーンを先に勧められる場合もあり、もうそうなったら臨機応変に対応するしかない。
私はと言えば、取り急ぎサンドイッチを食べ、そしてまだ温かいスコーンに手を伸ばした。
湯気に乗ってメチャクチャ美味しそうな匂いが漂ってくる。
これだけでも絶対! 美味しいやつだとわかる。
私は恐る恐るスコーンを手で割り、ジャムとクリームを塗ると早速口に運んだ。
──世界は光に満ち溢れ、色とりどりの花々が咲き乱れた。
ざっくりとしたスコーンの香ばしさと、コッテリとしたクリームに甘いジャムの絶妙なハーモニー。
美味しい! 美味しいよう!
「ラストさん、美味しいです」
「お口にあって良かった。いっぱい食べてくださいね」
ラストさんは嬉しそうに笑った。
ほあー、紅茶が美味しい。
あの爽やかな苦味が口の中をリセットしてくれる感覚が心地よい。
そしてまた食事を食べたくなる。
「そういえばカリヤ様」
「はい」
紅茶を飲んでいた私は、カップをソーサーに置いた。
「カリヤ様のお名前はナナミ様、でしたよね」
「はい、そうです」
「発音からして漢字が使われていたお国を祖としているようですが、どんな漢字を書きますの?」
「えーと、こんな感じです」
私は宙に漢字を書いて見せた。
七美。
理解したラストさんがふんわりと笑った。
「七つの美しさですか。私とは対象的ですね」
「えっ」
「もしかしてご存知ですか。七つの死に至る病」
「……はい。少年漫画で見たことがあります」
「そうでしたか」
七つの死に至る病とは、人間が持つ七つの欲望にして、行き過ぎると死に至るといわれているものだ。
もしかして、ラストさんのトンデモ性格はこれが由来なの?
「何でそんな名前をつけたのでしょう」
「八十年前の戦争の際に人が付けました。人の欲望から発したAIによる代理戦争は、結果的にはこの星を更に追いつめ、すべての存在がこの街に閉じこもるしかできなくなってしまいました。私と私を調整する技術者たちは、その戒めとして、戦後もこの名前を使い続けております」
そうだったのか。
神妙になる私だが、ラストさんは変わらずに微笑んでいる。
「色欲は、端的に言ってしまえば性的な欲求、欲望のことです。それとは別に、前時代のとある宗教では感覚的な欲望を指すとされていたとか」
「……感覚的な欲望?」
何ぞそれ?
「五感に対応した欲望、五欲のことです。五感はご存知ですよね」
「はい。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚」
「ええ、それらに対応した欲望です。目は色、耳は声、鼻は香り、舌は味、身体は触感になります」
「……あー、言われてみればなるほど」
現に今私が、五感をフル動員してその欲望を味わっている。
七つの死に至る病より、より身近な欲望だ。
「ここで言う色欲の色とは目に見える物質のことです。人は、ヒトモノ問わず見た目に惑わされやすいでしょう? 性的な動機に結びつきやすい上に、暴走しやすく止めることが難しいとされています。ルッキズムなんて言葉もありますわね。それも視覚がもたらす弊害と言えましょう」
「はあ」
何とかついていけてるぞ、私。
「私にこの名前を付けた人は繊細で気難しく、でも誰よりも優しく、この世界と人の在り方を憂いていました。戦争を引き起こした人の欲望を戒めるために、あえてこの名を私に与えたのだと思っております」
「……それは、グリードやトニーちゃんもそうなのでしょうか」
するとラストさんはクスリと笑った。
「それは該当AIに聞いたほうが確実ですよ」
「私の今の名は製造した人物でなく、外部の人間が戦後に勝手にそう呼ぶようになり、それが公式化されたものだ」
グリードが即応じた。
早っ!
私は振り向き、漫画を読むのをやめないグリードを見る。
「じゃあ、別に名前があったってこと?」
「そのようだ」
「他人事みたいに言って。その名前は?」
「不明だ」
「……は?」
無情に告げられた言葉に私は耳を疑う。
「戦前、戦中の記録を保持していた先代の記録は全て抹消されている。初期化されて存在しているのが今の私だ」
「え?!」
何それ?!
そんなことってある?!
突然知ったグリードの事情に、私は胸が痛むのを感じた。
「何でそんなこと……悲しくないの?」
「私には心がない。故に悲しいという感情は」
「そうだった、ゴメン。じゃあ知りたいとは?」
「興味はない。今稼働する分にはなくても支障のない記録だ」
「そ、そっか」
……ドライだなー。
さすがAIと言うべきか。
ていうか。
「漫画はお家に帰ってから読もうって言ったよね」
「並行して君の様子もちゃんと見ているから問題ないと言った。帰還したら『時計塔の魔女〜八度目の人生は自由きままに過ごしたい〜』も」
「わかったからタイトルをフルで言わないで」
私はため息をつき、ラストさんの方に向き直った。
ラストさんはニコニコしながら言った。
「仲がよろしいですわね」
「友達ですから」
「そうでしたね」
ラストさんが笑みを深くする。
その笑顔にちょっと引っかかるものを感じたけど、理由はわからなかった。
その後もお茶と食事を頂きながら、ラストさんとお話をした。
さっき行ってきた動物園のことはもちろん、この前行った水族館の感想なども話した。
「私がカリヤ様に次におすすめしたいのは、アパテイア植物園でしょうか」
「植物園ですか?」
「ええ」
ラストさんは両手を合わせてニッコリと頷く。
「今はコスモスやヒガンバナが満開を迎えているそうですよ。それと、そろそろ秋バラが咲き始める頃ですね。カリヤ様は好きなお花はおありですか?」
私は一瞬答えに詰まった。
植物にはあまり関心がないからだ。
でも全く無いわけではなかった。
「えーと、お花にはあまり関心を持っていないんですけど、でも、前にメイクレッスンのお土産でもらった試供品のハンドクリームに好きな香りがあって、それが確かキンモクセイ? とかいう」
「まあ!」
ラストさんの表情が輝いた。
「キンモクセイも今の季節にピッタリのお花ですね。弊社の商品でご興味を持ってもらえて光栄です」
言うと、空中に画像が展開された。
濃い黄色の小さなお花が、木に密集して咲いている。
「こちらがキンモクセイです。前時代には庭園樹や街路樹として植えられていたそうですよ」
へー、木に咲くお花だったのか。
可愛いお花だなー。
「植物園にも植栽されていますから、お時間があれはぜひ見にいらしてね」
「はい」
私は頷き、そしてふと思った。
ラストさんの好きなお花って何だろう?
愚問である。
ロボットやAIに心はない。
だから好き嫌いもない。
意味のない質問だと思ったけど、聞いてみたくなった。
「あの、ラストさんには好きなお花、というか、興味のあるお花とかありますか?」
「その質問は私には難しいですね」
案の定、ラストさんは苦笑した。
その姿に私は恐縮する。
「すみません」
「いえ、いいんですよ。人同士の会話ならそういう話の流れになりますよね。……好きかどうかはともかく、興味のあるお花はあります」
あるんだ!?
「先程触れた私を名付けた人、その人が好きだった花があるんです。奇しくもカリヤ様もご興味を持たれている花、キンモクセイです」
「えっ?! そうだったんですか」
「はい。すごい偶然ですよね」
ラストさんが胸に手をあてた。
「おすすめした植物園は、彼も晩年に愛した場所の一つでした。私も数多くの記録に残る場所です。だから、これからも守っていきたいと思っておりますのよ」
そう言うラストさんの表情は、今までのほんわかとした笑顔と違って、キリッと決意に満ちたような、そんな笑顔だった。
本当に、本当に表現力が半端ない。
トニーちゃんよりもすごいかもしれない。
私は心から感心した。
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