洗濯機

宿木 柊花

第1話

 段ボールだらけの部屋で湯呑みを洗う。水は冷たく余計な思考も流して頭を冷静に戻してくれる。

 ここへ来て初めての来客が警察というのも今後住みにくくなるのではないかと少々不安が残る。だが、住みにくければ次の更新の時に引っ越せば良い。

 転居のしやすさ、これが一年更新の物件を選んだ最大の理由。

 別に私を捕まえに来たわけではないのだから変な噂も立たないだろうけどリスク管理は大切だ。


 三つの湯呑みを拭きながら警察の話を思い出す。

 元夫が自殺したというだけのつまらない話だったが警察としては何か引っ掛かりがあるのかもしれない。

 だから私の元へ来た。

 わざわざ誰にも教えていない転居先まで調べて。

「寒いな」

 タートルネックで口元を覆う。これが手軽で温かい。



 夫とは一週間くらい前に別れた。と思う。

 リビングのテーブルの上に半分だけ埋まった離婚届が置かれていてポストイットで『別れてください』と書かれていた。

 とても綺麗な文字だった。ブレもなく冷酷な文字列に前々から決めていたのだろうと心にストンと落ちた。

 きっとあの娘の元へ行くのだろう。

 私はその空白を埋めて家を出た。

 そのあとのことは正直覚えていない。

 気づけばこの部屋の契約をして、風のように引っ越しの準備を済ませていた。

 貴重品を取り出すとき、夫の保険証書の受取人があの娘に切り替えられていることを知った。金額も上がっていた。

 思うほど心が動かなかったのを覚えている。


 その数日後、マンションの屋上から飛び降りたそうだ。私たちが夫婦だったあのマンションから。



 段ボールを開けてハロゲンヒーターを取り出す。赤外線の赤い光に照されると凍えていた心まで温かかくほぐれるようだった。

 段ボールに雑多に入れた服を真新しい洗濯機に入れる。

 私は縦型が好きだった。だけど夫は見栄っ張りなのか最新式のドラム式を選んだ。


 クローゼット一つ分の洋服を丸めて入れる。

 それは誰かを突き落とす感覚に似ていた。


 これから私の人生が再び始まるんだと実感する。

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洗濯機 宿木 柊花 @ol4Sl4

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