第17話「トラップ」
午後3時の休憩時間。僕はゴンさんがお茶を入れる給湯室で、何食わぬ顔をして珈琲を入れていた。
ゴンさんが自分の珈琲カップを持って入ってきた。棚に並ぶ瓶から珈琲バッグを取り出すと、僕が沸かしておいたポットのお湯で珈琲を入れた。
「お疲れ様です。ゴンさんも忙しそうですねぇ。連休は休めたんですか?」
ゴンさんはチラリとこちらを見ると、珈琲カップに目線を戻した。
「あー、まあね。長期出張はいかなくて済んだし。連休も休めたから。そっちは?」
僕は珈琲カップで手を温めながら答えた。
「そっか。連休に出張がないと気が楽ですよね。
うちは久しぶりに川原でバーベキューしましたよ。子供たちも大喜びでした。」
子供のアルアル話は大人のコミュニケーションの鉄板ネタだ。
仕事で張り詰めた気持ちも自然とほぐれる。
「あー、連休と言えば、知ってたら教えてほしいんですけど、GWの5月2日って、冨野は出勤してました?」
再び仕事の話題に、ゴンさんの表情が硬くなった。
しばらく黙ってカップを見つめていると、珈琲の香ばしい薫りが鼻先をかすめた時だった。
ゴンさんは何かに気づいたように口を開いた。
「ああ、来てなかったよ。
あいつGWは、PCを持って帰って四国の実家で仕事するって言ってたからね。」
僕はシンクに寄りかかりながら、珈琲を一口飲んだ。
「そうですかぁ。えぇーと、他に出勤してた人っていました?」
「いない、いない。2日はGWの中日だからね。みんな旅行とかでしょ。」
ゴンさんは無い無いと大袈裟に手を振りながら笑った。
「そっか。ですよね。ほんと、休日出勤、ご苦労さまです。」
ゴンさんは、珈琲に入れたミルクをスプーンで混ぜながら僕を見て言った。
「そっちは、例のセキュリティパッチの件?」
僕は渋い表情をしながら答えた。
「ですね。やっと終わりそうですよ。
とにかくPCの数がすごいので、、
あ!ヤバ! こんな時間か。
このあと会議だった。
じゃ、ありがとうございました。」
僕はペコリと頭を下げて礼をすると、慌てて給湯室のドアを開けた。
「おう!大変だな。なにかあったらまた言ってく、れ、、」
見送るゴンさんに手で失敬の挨拶をしながら、言葉尻に詰まったゴンさんの表情をチラと伺った。
その表情はそれまでの柔和なものとは明らかに違う、ハッとしたように見開いた鋭い眼光で僕を睨んでいた。
僕は見ないフリをして、ドア越しに背中に突き刺さる視線を感じながら足早にその場を離れた。
間違いない!犯人はこいつだ!!
「どうだった?」
設計事務所の裏口を出た所で、涼介と正雄が待っていた。二人は僕に駆け寄ると、表情を見て黙って頷いた。
僕は全身に鳥肌を立てたまま、その場に立ち尽くした。
それは苦肉の策で思いついた質問だった。
ゴンさんか、冨野か。当日、犯人は犯行現場に居ることは間違いなかった。入館記録簿ではゴンさんがいるはずだ。
しかし、それをゴンさんに聞けば、犯人でなければ「居た」と答えるだろう。入館記録はただの事故か、富野のトリックだった事になる。その場合、冨野が犯人の可能性は上がるが彼がどうやってメールを抜き取ったのか分からない。追い詰める材料は手に入らない。
もしゴンさんが犯人なら、入館記録簿のトリックがバレていないと思っているので「居ない」と答えるだろう。しかし、入館記録簿のトリックを暴いて問い詰めたとしても、メールなど抜きとっていないと言い張られたら、目撃者がいない中それ以上追い詰める事はできない。そしてゴンさんは証拠を隠してしまうだろう。
逆に入館記録に名前の無い冨野に同じ質問をしても彼が来ていた証拠はない。冨野とゴンさん、どちらも追い詰める事はできない。もし冨野が犯人なら警戒されてタイムオーバーだ。
どうにかして、犯人に気づかれずに「自白」させるしか、僕らに勝機はなかった。
そこで僕らは、犯人にとってなんの関係もない、「もう一人の容疑者」のアリバイを聞くことを思いついた。そしてそれは、アリバイ工作で「自分は居なかった」と思い込んでいるゴンさんにだけ有効な作戦だった。
結果は見事に「もう一人の容疑者」富野のアリバイを証言し、自分のアリバイ工作を覆してしまったのだ。
正直、相手の強みを逆手に取った綱渡りの作戦だった。会話の中で罠に気づいたら、彼ならかわすことは容易かったろう。
もしゴンさんが僕に警戒していたら、きっとアリバイ工作通り「(居ないから)知らない。」と答えただろう。冨野という「可愛い部下」の所在を聞かれた事が彼を油断させた。それは彼の「兄貴」としての責任感を利用した作戦だった。セキュリティ対策でみんなの為に働く僕らへの慰労の気持ちも後を押した。家族の話が、給湯室に漂う珈琲の香りが、ゴンさんの警戒を解く手助けをしてくれた。
そして、彼の勘の良さが、ハメられた事に気づいた姿を僕にさらけだし、自分が犯人であるという事を「自白」したのだ。
ここまで秘密裏にしてきた捜査は、僕らの心を追い込んだ。しかし、その地道な捜査の積み重ねが色んな偶然や幸運を呼び込み、僕らはついに犯人にたどり着いた。崖っぷちで臨んだ起死回生の賭けに、僕らは勝利したのだ。
その瞬間に立ち会った僕は、3日間の疲労がピークに達していたのと、大芝居をやり終えた安堵感と、そして職場の仲間を疑いたくない気持ちを盛大に打ち砕かれたショックがゴチャ混ぜになり、呆然と立ち尽くしてしまったのだ。
ともあれ、疑念は確信に変わった。
ここまできたら、もう獲捕するしかない。
「作戦決行は終業時刻。
ヒトナナマルマル(1700)。
ターゲット、
設計事務所の非常階段で円陣を組み、正雄の掛け声で僕たちは最後のミッションに備え、腕時計の秒針を合わせた。
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