短編賞創作フェス 1回目お題「スタート」 恋を始めたのは。
魚野れん
僻国の花姫と鋼鉄殿下
ナスルは目の前にそそり立つ壁をぽかんと見上げていた。
まぁ、大きな方……。
「……ナスル姫。お初にお目にかかる。私はエアフォルクブルク帝国の第一皇子だ。しきたり故に本名を名乗ることはできないから、メタリナの君と呼んでくれ」
「……初めまして、はるばる僻国までようこそいらっしゃいました。わたくしのことは、どうか“ナスル”とお呼びください」
ナスルがたどたどしいながらもエアフォルクブルク帝国式に挨拶の形を取れば、メタリナの君と名乗った男は頬をゆるめて返礼の形を取ってくれた。ずいぶんと優しい人物であるようだ。ナスルはひと目で彼を気に入った。
ナスルはウルード王国の第二子、第一王女である。年は九つ、まだまだ幼さの目立つ容姿をしている。ふわふわとした金糸に人形のような大きな金色の目。誰が見ても彼女のことを愛らしいと評するだろう。
黒髪が多いこの国では、ナスルのような髪色は珍しい。王家特有の他国の血が混ざっている為に、数世代前に嫁いできた異国の王女の血が濃く発露したのではないかと言われていた。
異国の血が強いということに嫌悪感を示す国民はいなかった。むしろ、遠方に存在する神に祝福された国グライベリード王国の花姫フィリオーネと同じ髪色をしていると言われ、めでたがられていた。
僻国の花姫ともてはやされることとなったナスルは、とても愛されて育ったのだった。
「メタリナの君、わたくし、あなたの目をもっとよく見たいのです。お手数ですが、しゃがんでいただくことはできますか?」
幼子特有の純真さを以って、ナスルは第一皇子に乞うた。ナスルの見込んだ通り、幼い子供に冷たく当たるような人物ではなかった彼は、ナスルと視線を合わせてくれた。
「これでは暗くてよく見えないだろう。少し失礼してもいいか?」
「わがままを言っているのはわたくしの方です。もちろんどうぞ!」
「では」
第一皇子はナスルをひょいと抱き上げ、日の当たるベランダまで歩き出した。
「まあ、とても高いわっ!」
「そうか」
視界が一気に広がり、ナスルははしゃいだ。
「さあ、これでちゃんと見えるだろう」
メタリナの君はナスルと向かい合えるように抱え方を変え、日の光の下で己の目を見せた。
「なんてすてきなのかしら。本当に、メタリナの花のようね。ずっと見ていられそう」
ナスルはきらきらと目を輝かせる。メタリナと名乗った通り、彼の目の虹彩は薄桃色の中にほんのりとベージュが差し色になった美しい色合いをしている。
「エアフォルクブルク帝国の皇子方は通り名で過ごすのですよね?」
「そうだ」
せっかくだから、ナスルだけが呼ぶ名前をつけたい。幼いナスルはその所有欲が何を意味しているのか、まだ理解していなかった。
「わたくしがあなたにあだ名をつけてもよろしくって?」
「それはおもしろそうだな」
優しげなその笑みに背中を押されるようにして、ナスルは彼のあだ名を口にした。
「――それは、私の本名だ」
「えっ?」
「ナスルは悪い姫だな……私の本名を暴くとは」
こつん、と額を合わせられ、目を白黒させるナスルに第一皇子が笑う。
「安直すぎて今まで正解者はいなかったのだがな。面白い。ナスル。私の嫁になるか」
「およめ、さん……」
ナスルはいずれ、この国を出て誰かのお嫁さんになるのだと聞いていた。その誰か、がこの優しい人だったら嬉しいかもしれない。意地悪な人のお嫁さんになるより、絶対に楽しく過ごせるはずだ。
のんびりとした思考で彼との未来を想像するが、想像力も未熟なナスルには何も思い浮かばなかった。
「まあ、嫁に迎えるとしたら、随分先の話になるが」
ナスルはまだ小さすぎる。大人になるまで待つしかあるまい。そう言って彼はナスルの額に口づける。
「よし。正式に話を進めるのは何年もあとだが、とりあえず予約させてもらおう」
いまいち話は分からなかったが、これはきっと嬉しいことだ。ナスルは陽だまりに咲く薔薇のような男の首に抱き着いた。
勢いよく抱き着いてしまったのにびくともしない。ナスルが同じことを兄にしたら、ひっくり返ってしまうだろう。第一皇子は、その背丈に見合ったがっしりとした体格の大人の男だった。
「わたくし、大きくなったら、ロザ……メタリナの君のお嫁さんになるのね」
「ナスルが大きくなってもまだ私のことを嫌っていなければな」
きっと嫌いになんてならない。ナスルは優しい人の頬にキスをした。
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