ご挨殺申し上げます

ぎざ

第1話 哀島研究所

「おはようございます」

 朝の挨拶と同時に事務所のドアを開けると、哀島あいじま所長の頼りなさげな顔が見えた。

「おはよう、板出いたでくん。今日も宜しくね」

「はい、宜しくお願いします」

 白髪混じりの髪の毛に黒縁メガネの哀島所長は、もう60半ばを過ぎていたが、研究所の所長には定年は無いという。ボサボサの髪の毛に昨日と同じ服なことから、おそらく昨日は研究所に泊まっていたのだろう。

『おはようゴザイマス! はじめマシテ! 早速アタマを交換致しまショウ!?』

 所長の後ろから突然ロボットが飛びついてきた。結構な重量のあるロボットなので、僕は咄嗟に後ろへ飛び退いた。

「トロフィー!?」

『トロフィー』が突然そんなことを言うもんだから、僕はびっくりしてしまって、所長を見た。

「しょ、所長。トロフィーの記憶が飛んでますよ! こんな日に……」

 所長は「私としたことが……」と頭をかいて申し訳なさそうに言った。

「そう、今日のために一度アップデートと再起動をしておいたんだ。私たち所員のデータはバックアップされたけど、試用期間アルバイトの板出くんのデータは消えてしまったみたいだね。監査員が来るまでに入力しておくよ」

 所長の目の前で両腕をわさわさと動かしているロボット。災害時自立思考型作業ロボット『トロフィー』。この哀島研究所で開発しているメインプロジェクトだ。

 そのプロジェクトが来期の予算削減対象になっているため、当研究所の視察に監査員が来ることになっている。その日が今日だった。

鬼怒川きぬがわくん、板出くんのパーソナルデータを入力しといてくれないか。……、鬼怒川くん?」

「鬼怒川さんならきっと喫煙所でしょう。しばらくしたら戻りますよ」

 所長の向かいのデスクにいたのは久喜田くきた 多香子さん。主に事務と広報を担当している。今日のデモンストレーションとプレゼンの台本を精査しているのだろう。顔をこちらにあげてはいるけれど、キーボードを打つ手が止まらない。

「板出くん? 悪いけどお茶菓子が切れてないか確認しといてもらえない? 神楽坂かぐらざかさんが全部食べちゃってなきゃいいんだけど」

「昨日買っておいたのでさすがに……、一応確認してきます」

 神楽坂さんも鬼怒川さんも研究所のスタッフだ。僕、板出 相次はここ1ヶ月前に入ったばかりのアルバイト。仕事内容は久喜田さんの事務の手伝い、トロフィーの作業実験の準備等の雑用だ。

 神楽坂さんが機械のハードウェア担当、鬼怒川さんがソフトウェアを担当している。以前僕がIT系の会社に勤めていたこともあって、簡単な用語なら理解していたので、ハードとソフトの間を取り持つ簡単な御用聞きのようなこともしていた。

 僕を入れても研究所のメンバーは5人。人件費が1番高いからね、と哀島所長は少数精鋭でトロフィーの開発を行なっていた。

 応接室に常備してあるお茶菓子を確認すると、昨日買っておいたものが半分に減っていた。研究所のメンバーでお茶菓子を食べるのは神楽坂さんしかいない。所長は糖質制限、鬼怒川さんは甘いものが嫌い、久喜田さんはダイエット。神楽坂さんが食べないように応接室に隠してあるのに、あまり効果がないみたいだ。

「まぁ、今日一日はなんとかなるかな」

 念の為お茶菓子の位置を別の棚に移動させておく。

 応接室から出たところで神楽坂さんとばったりとでくわした。

「あ」神楽坂さんはばつが悪そうな顔をした。話が早い。

「神楽坂さん、もう今日はお茶菓子食べちゃだめですよ」

 神楽坂さんは身長が僕より少し高い、170cmくらいだけれど、身体が僕より細い。この細い身体のどこにお菓子が溜め込まれているのだろう。いつも不思議だ。

「やべ、ごめんね。今日はまだ食べてないんだけどね」

「食べ過ぎですよ。もうは食べちゃダメです。お客様が来る時に困るんですから」

「あ、そうか。今日だったよね。トロフィーの調子見てくるよ」

 神楽坂さんは逃げるように事務所の方に歩いて行った。

「おぅ、板出ちゃん、おはようさん」

 しわがれた声とタバコの臭いがした。鬼怒川さんが後ろから声をかけてきた。黒い短髪で後ろから見ると若く見えるけれど、その特徴的な声と顔に刻み込まれたシワの数が、鬼怒川さんも哀島所長とそう歳が変わらないことを示していた。

「おはようございます、鬼怒川さん。所長が頼みたいことがあるって言ってましたよ」

 依頼内容は伏せておいた。僕のパーソナルデータを入れてと伝えたら、「板出ちゃん、自分でやってみろよ」と言われそうだからである。

 どうでもいい日なら僕がやってもいいけれど、今日は大切な日だ。きちんと鬼怒川さんにやってもらった方がいい。

「そうか。ほら、飴ちゃんやるよ」

「いいです。ゴミでしょ? タバコの」

 鬼怒川さんが右手をグーにして差し出してきた。以前も、甘いものが嫌いなはずなのに飴をくれるのかと素直に手を差し出し、渡されたものを見ればタバコのゴミだった。

 トロフィーではないが、僕だって学習する。

「多香子ちゃんにもらったんだけどよ、俺は甘いもの嫌いだからよ。神楽坂のバカにやるのも癪だし、お前にやるって言ってんだよ」

「あぁ、そうだったんですか」

 素直に手を差し出して、受け取ったのはやはりタバコのゴミだった。

「あっはっはっはっは! やっぱり板出ちゃんは面白いね。ちっとはバカな方がかわいいよな。ロボットもよ、計算はきちっとしてもいいが、愛嬌が無いとただの機械と同じだからよ」

 トロフィーがロボットなのにどこか抜けているのは、鬼怒川さんが愛嬌をプログラミングしてるかららしかった。

 普通、開口一番に『アタマを交換しましょう』と言われたら誰でもビックリする。それも大きめのロボットに。

 トロフィーが『アタマを交換』しようとするのには、あるシステム上の理由があるからなのだけれど。

「誰からも愛されるロボットになって欲しいって所長から頼まれてるからな。頼むぜ板出ちゃん、今日のトロフィーをサポートしてやってくれよ」

「トロフィーが僕たちをサポートしてくれるんじゃないんですか?」

「持ちつ持たれつだよ。ギブアンドテイクっつーか、等価交換っつーか。全部任せたら俺たちが居る意味もねぇだろ。人間と機械の共存、棲み分け、なんたらかんたら……。ま、お偉いさんは全任せをご所望なんだろけどな……」

 災害時に遠隔操作をして作業をするロボットは今までにもいくつか在る。しかし、スポンサーの意向でAIの導入をトロフィーには施していた。彼は人間による遠隔操作ではなく、自分で考えて動く。

「各々が考えて、いい感じに仕事しといてくれっつー放置型。悪い意味の自由。俺たちはいいのかね、それで。被災地の声は被災地でしか聞こえない。その声を聞いて、その声を届けてくれるのは誰なんだ?」

 ははっ! と鬼怒川さんは重い空気を振り払うようにわざとらしく笑った。

「無理やりにでも笑えやしないそんな被災地にでも、トロフィーが居てくれりゃ楽しいだろうよ。そういうロボットを皆で作ったんだ。お偉いさんも分かってくれりゃいいよな、板出ちゃん」

「そう、ですね。トロフィーはいい子ですから」

「んじゃ、俺はひと仕事しますかね。そのゴミ、捨てといて」

「今度から自分で捨ててくださいね」

 僕も仕事をしよう。作業デモンストレーションの準備をしに実験室に行くことにした。




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