【番外編】新吉っつぁん奮闘記

進藤 進

かず坊ちゃまとキヨ

「早よ、歩かんかいっ!」

「す、すんまへん・・・」


街なかの大通りを歩く二人を新吉とおみつは眺めていた。

明治の道に車等は無く、歩く人並みと人力車くらいだった。


だからこそ、二人の会話が耳に届くほどで。

新吉は苛立った表情で言うのだった。


「えらい、キッツイ男やなぁ・・・」

視線が大通りに消えていく二人に向かっている。


「そうでもないよ・・・」

おみつが覗き込むように言った。


「えっ・・・?」

意外そうな顔におみつはクスっと笑った。


「だってぇ・・・」

その仕草が妙に大人びていてドキッとした。


「男の人、怒鳴りながらも何度も振り返ってたし・・・」

無意識に繋いだ手の温もりが心地良い。


「女の人も嬉しそうに後を追いかけていたよ・・・」

「そ、そうか・・・」


新吉は話に納得するよりも。

おみつの可愛い笑顔を見れる幸せを噛みしめていたのでした。


※※※※※※※※※※※※※※※


「今日はカレーライスしか残ってないのですが」

新吉がすまなそうに言った。


「それで、ええ・・・それ、食いにきたんやから」

意地を張るように男が声を返す。


喧嘩を売るような口調は以前の新吉なら問答無用で追い出していた。

只、隣で俯く女と共に二人を思い出した瞬間、気持ちを変えたのだ。


あの時。

堂島の大通りで見た二人だ。


「こんな・・高いもの・・・」

女が怯えた表情で呟いた。


「ええんやっ・・気に食わんのか?」

かき消すキツイ口調に女が肩をすくめた。


「ち、ちょっと・・・」

何か言おうとする新吉をおみつが止めた。


口元に人差指を立てて睨んでいる。


その迫力におされたのか。

新吉は押し黙ってしまった。


「お待ちどうさまですぅ・・・」

おみつが二皿のカレーライスをテーブルに運んだ。


漂う香ばしい匂いに二人の表情もやわらいだ。

男はスプーンを押しやるように女に渡して言った。


「はよ、食えっ・・・」

だが女がスプーンを動かすまでジッと見つめる姿に、新吉もおみつの言葉を信じられる気がした。


「は、はい・・・」

ぎこちない仕草でスプーンを使うと、恐る恐る口に含んだ。


「うぅっ・・・」

顔をしかめて呻いた。


「か、からい・・・」

生まれて初めて口にする香辛料の味に戸惑いの声を出している。


男もひと匙、すくって頬張ってみた。


「うっ・・・」

漏れそうになった声を必死に飲み込む。


「な、何や、こんなもん・・・」

強がる表情は明らかに水を欲しているように見えた。


新吉は込み上げる笑いを我慢しながら水の入ったコップを二つ、テーブルに運んだ。

ムッとして手に取る男と対照的に女は嬉しそうに口をつけた。


「美味しい・・・」

微笑む口元が可愛いと新吉は思った。


男は何も言わずにゴクゴクと喉を鳴らしている。

よほど、辛く感じたようだ。


無理もない。

明治の世ではカレーの味を知る人は少ない。


まして新吉の店のカレーは。

本格的に香辛料をブレンドしていたからだ。


「どや、美味いやろ・・キヨ・・・?」

どうやら女の名前は「キヨ」というらしい。


「へぇ、かず坊ちゃま・・・」

男の名は「かず」、主(あるじ)筋のボンボンのようだ。


見つめ合う二人の眼差しは主従を越えて恋人同士のように見えた。

現代を旅する新吉には、それが分かるような気がしたのだ。


だが、若いボンボンは待ちきれない性格のようだ。

自分が辛いのを無理して食べ切ったことでキヨの鈍さに苛立っていた。


「早よ、食えっ・・・」

「か、かろうて・・・」


叱咤するが、初めて体験した香辛料の味にキヨの顔も泣きそうになっている。

じれったいと思う「かず坊ちゃま」も二人分のカレーを食べる余力は無かった。


だからだろうか。

ヒステリックな態度で席を立とうとした。


「もう、ええっ・・・さき、帰るっ!

全部、食うまで帰るなよ・・・」


いつも、こういう態度なのだろうか。

新吉には理解できなかった。


おみつに対して、キツイ言葉は口に出したことも無い。


「そ、そんなぁ・・・」

キヨはどうしていいか途方にくれていた。


「かず坊ちゃま」に逆らったことは一度も無い。

それに「かず坊ちゃま」は怒っても、後で優しくしてくれていた。


だから。

このまま見知らぬ街で置いていかれることの方が不安を駆り立てていたのだ。


見かねた新吉が厨房に向かった。

手早く用意したお盆を運んだ。


「これ・・・残りもんで良ければ・・・」

カレーの黄色よりも濃い茶色の似たような皿が差し出される。


「ハヤシライス、いうんです・・・」

その甘い香りにキヨの瞳が輝いた。


「甘い・・美味しい・・・」

一口食べたキヨが幸せそうに声を出した。


「かず坊ちゃまも・・・」

スプーンですくって差し出す。


「えぇ・・・?」

不服そうな表情だったが口に含んだ途端に崩れた。


「な、なんや・・これぇ・・・?」

驚きに大きく目を剥いた。


皿の中のハヤシライスが瞬く間に消えていった。

キヨが自分よりも「かず坊ちゃま」の口にスプーンを運んだからだ。


【ありがとうございました・・・】

声を揃えて頭を下げる新吉とおみつが嬉しそうに顔を上げた。


キヨが店を出た後、堂島の大通りで男が待っていた。


「遅いやないかっ・・・」

男の表情は声の大きさほどには苛立っていない。


そう感じた新吉は。

これが進藤のダンさんが言っていた「ツンデレ」というものかと思った。


「ご、ごめんなさいっ・・・」

頭を下げるキヨも辛そうには見えない。


「ちゃんと、食えたんか?」

確かめる口調に優しさが感じられた。


「へぇ・・ものすごぉ、美味しかったです」

満面の笑みは遠目でも可愛いと思った。


「ほんまか?」

かず坊ちゃまの顔もほころんでいる。


「今度又、坊ちゃま・・かずさんと・・・」

「し、しゃあないなぁ・・・」


見つめ合う二人の時間が止まっているように感じた。


「ほんまや・・あの男、ぞっこんみたいや・・・」

新吉が嬉しそうに呟いた。


「ふふ・・誰かと似てるよね?」

おみつがイタズラな目で囁く。


「えっ・・・?」

驚いた新吉は声の主を見失った。


「ふふふ・・・」

おみつが微笑みながら下駄の音を響かせていく。


その後ろ姿を見ながら。

新吉は胸を高まらせるのだった。

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