第12話 ポータル

 ピュラがデュークの部屋に連れて来られてから、一夜が明けた。


 耳障りな唸り声で目を覚ましたピュラは、それが自分のうなされていた声だったのだと知って、額に手を当てる。


 たいして暑くもないのに、肌は汗でべっとりと湿っていた。


「ハァ、ハァ……」


 荒い呼吸を落ち着かせながら、ピュラは昨晩に見た夢の内容を反芻する。


 今までにも、何度も見たことのある夢だった。


 温かいスープが入った鍋とパンが置かれたテーブルを前に、ピュラは座っている。


 両隣の席に座っているのは、大好きなお父さんとお母さん。二人とも楽しそうに何かを話している。左隣の床には、愛犬のヘレン。おこぼれを期待してこっちをじっと見上げている。


 何の変哲も無い、けれどとても穏やかな、ピュラたち家族のいつもの朝の風景だ。


 そんな幸せな一幕が、次の瞬間にはもろくも崩れ去る。


 耳をつんざくような爆発音と大勢の人の悲鳴が聞こえたかと思えば、どこからかあがった火の手がピュラたちの下まで迫って来る。


 外へ逃げるぞ、とお父さんが叫んで、家族みんなで必死に通りまで出ると、大勢の人が同じように家から飛び出して逃げまどっている。


『助けてくれ!』

『またが暴れだしたぞ!』


 そんなことを口々に叫んでは奔走する人々の波に揉まれる内に、やがてピュラは家族と散り散りになってしまうのだ。


『お父さん、お母さん、助けて――!』


 声が枯れるほど叫んでも、度重なる爆音と人々の喧騒にかき消され、その声が届くことはけしてない。


そして……夢の最後に映るのは、爆炎の中で見え隠れする、幾つもの六角レンズのゴーグル。


(……また、あの夢だ)


 今までにも何度も見たことのある夢だ。


 すべて、ピュラがかつて経験した、紛れもない現実の風景だった。


(……嫌な目覚めだなぁ)


 ふるふると首を振り、そこでピュラは、自分がいつの間にか部屋の隅ではなく、きちんとベッドの上で横になっていたことに気が付いた。


 体にはご丁寧に毛布までしっかりと掛けている。不思議に思い、ピュラは上体を起こしてキョロキョロと部屋の中を見回した。


 締めきられた両開きの窓の隙間からは、一筋の陽光。陽はとうに昇っているようだ。


 光に照らされてうっすらと明るい部屋の一角に、ピュラは目をやる。


(あんな所で……)


 ベッドの本来の主は、自分の上着を掛け布団代わりにソファで眠っていた。


 身長に対していかんせんソファが小さいせいで膝から下は完全にはみ出てしまっているが、図太いというかなんというか、それでも彼は心地よさそうに寝息をたてている。


 正直、煮るなり焼くなり好きにすればいいと、昨晩のピュラはそういうつもりで眠りについたのだ。


 寝ている間にこの少年に何をされようが構わない、と。


(なのに……本当、何考えてるんだろ。この人)


 ベッドから起き上がり、ピュラはそろそろとソファの前まで歩み寄る。


 寝顔を見下ろせるほどの距離まで近付いても、デュークは一向に起きる気配がない。


(……私に寝込みを襲われるとか、寝ている隙に逃げられるとか、考えないのかな?)


 あまりの無防備さに、ピュラは何だか自分がひどくバカにされているような気分になった。


「……めん…………」

「っ!?」


 不意に、寝息に混じってデュークが微かに言葉を漏らす。


 起こしたのか、とピュラは身構えるが、少年が起き上がる様子はない。どうやら寝言のようだ。


「……ご、めん……母さん…………俺……」


 穏やかだったデュークの寝顔に、微かに苦渋の色が浮かぶ。


「……何も…………でき、なく……て」


 寝言はそこで終わった。


 一度寝苦しそうに呻いて寝返りをうち、デュークは再び一定のリズムで寝息をたてる。


(悪い夢でも見てたのかな……ん?)


 寝返りの揺れで、デュークの体から上着がずり落ちる。


 その胸ポケットの中からのぞいた一枚のカードに、ピュラの視線は自然と吸い寄せられた。


「これって、確か……」


 それは昨日、ピュラが裏路地でデュークに見せられた、正規開拓者としての身分証明カードだった。


(いや、待って……そういえば、もっと前にも同じものを見たような)


 寝起きでまだ上手く回らない頭を捻り、ピュラは記憶の引き出しをあちこち漁って。


(そうだ! これ、奴隷商の人たちが【ポータル】を通るときに使ってたカード!)


 ピュラは脳は一気に覚醒する。


 一握の希望が脳裏をよぎり、心臓は早鐘のように鼓動する。


 ピュラは拾い上げたカードを握り締め、デュークを起こさないよう慎重に、けれど素早く彼の外套と靴の一組を失敬して部屋を抜け出した。


(助かる、助かる、助かる!)


 雲一つない清々しい朝空の下、小高い団地から伸びる緩やかな下り坂を駆け下りたピュラは、その勢いのまま蒸気立ち込める中層の商店街をひた走る。


 人混みを掻き分けて真っ直ぐに向かう先には、ノアの三つのの真ん中。その麓に建つ一際に大きく、そして一際に目を引く外観をした建造物があった。


 中層の街でよく目にするような錆びた鉄やレンガの建築とは一線を画す、えらく近代的で精緻な造りの鋼鉄のファサード。


 中央が吹き抜けになっている環状構造の内部では、吹き抜けをぐるりと囲む数階層の回廊を何人もの人がせわしなく行き交っているのが、ガラス張りになっている壁面越しに見て取れる。


 その風貌はさながら、巨大な銀色のドーナツのようだった。


「見えた! 【ポータル】!」


【トランス・テレポータル・サイト】。


 俗に【ポータル】と呼ばれるあの施設の役割は、荒野に放たれた移動都市と帝国本国との間の架け橋として、双方の人や物の移動を担うことだ。


 早い話があの【ポータル】こそ、「動く陸の孤島」と言っても過言ではない移動都市における、唯一の玄関口ともいうべき場所なのである。


〈――コアTTSによる座標入力、および転送反応を確認。転移まで百八十秒。サイト内の職員ならびに一般利用者の皆様は、転移ゲートから離れて下さい。繰り返します――〉


 中層の中心部まで続く目抜き通りに出たピュラの視線の先で、ちょうどドーナツの穴にあたる【ポータル】の吹き抜け部分が、青白い稲妻のような光を放ち始めた。


 響き渡るアナウンスに続いて、青い光が吹き抜けの中空で立体的な幾何学模様を描いていく。


〈四、三、二──《トランス・テレポータル・システム》、起動〉


 ブォン、という拡声器のハウリングのような音とともに、青い光が一段と強く輝き、消える。代わりに吹き抜けの中央に現れたのは、幾つもの大きなコンテナだった。


 本来、移動都市ではゆりかごから墓場まで、差し当たって都市内部だけで揃わないものはほぼ無いと言われている。


 広くはないが畑や牧場などもあり、荒野に点々とする地下水脈から水をくみ上げる大型ポンプと、それをろ過・貯蔵する貯水タンクも完備されている。やろうと思えば、最低限の自給自足生活も可能ではあるのだ。


 だが、それはあくまで「やろうと思えば」「最低限」の話で、富裕層や貴族までもが少なからず居住するノアでは、当然そんな窮屈なインフラでは立ち行かない。


 そんな諸々の事情から、ノアの都市運営に必要な物資や食料などは、大半が本国からの定期的な支援支給によって賄われている。


 日々、大量のモノがあの【ポータル】に転送され、逆に〈フェネル結晶〉を筆頭に大量の荒野資源が【ポータル】の向こうに消えていく。


 そしてもちろん、【ポータル】が転移させるのはモノだけではない。


 モノと同じく人もまた、あの巨大な転送装置によって本国と移動都市とを行き来する。


 完成した移動都市に最初から乗り込んだ者たちを除き、ここで生活をしているものは皆、あの銀のドーナツの穴を通ってやってきたのだ。


「……あれを見るのも、久しぶりだなぁ」


 三か月ほど前、奴隷という限りなくモノに近い身の上としてではあったものの、ピュラもそうしてこのノアに足を踏み入れたのだ。


(こんな荒野の真ん中じゃ、逃げ場なんて無いと思ってたけど)


 ピュラは立ち止まり、握り締めていたデュークの身分証明カードに改めて視線を落とす。


(あそこさえ通ることができるなら、まだチャンスはある。本国に帰れるんだ。そうすればきっと、お父さんとお母さんにも再会できる!)


 ピュラには確信があった。


 三か月前、ピュラが奴隷商と共に本国側の【ポータル】を使う際、彼らは転移ゲート入り口に設置されたスキャナに、このカードをかざしていたのだ。おそらくはこれが通行証のような役目を果たすのだろう。


 この機を逃す手などない。


(待っててね、ヘレン)


 零れ落ちそうになった涙を拭い、ピュラは決然とした顔で【ポータル】を見上げる。


(私、必ず生き延びる! 生きて本国に帰って、きっともう一度、お父さんとお母さんのところに帰るよ。それで、それが叶った時には……ちゃんと、見送ってあげるからね)


 本国への扉はもう目と鼻の先だ。


 迷いの無い足取りで、ピュラは再び歩き出して。


「おやおやぁ? 所用でわざわざ中層くんだりまで来てみれば、これはなんと嬉しい偶然だ」


 背後から唐突に掛けられた声に、総毛立った。


 油を差していない機械のようにぎこちない動きで、ピュラはゆっくりと背後を振り返る。


「こんな所で昨日手に入れ損ねた『目玉商品』と出くわすとは、私も実に運が良い」


 果たして──そこにいたのは、昨晩にピュラを一億で買おうとした、あの恰幅の良い貴族の男だった。

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