優しい獣と呪いの言葉

Kurosawa Satsuki

短編

プロローグ:

陰謀論者の脅しに屈するな。

自称神の戯れ言に耳を貸すな。

ヤツらの甘い言葉に惑わされるな。

自分の正しさを武器にして、

あらゆる愚行に異議を唱えても、

結局自分も同じ穴のムジナだから、

考え過ぎて馬鹿になってはいけない。

所詮僕らは人間だ。

硝子の破片を丁寧に拾っていては、

誰だって生きづらいだろう。

受け売り等では満たされない。

自分の言葉で語れるようになりたい。

黒服の男に銃口を突きつけられた。

僕は仕返しに睨んでやった。

僕が信じた正しさを、

命をかけて守りたいものを、

分からず屋には渡さない。

見えないものに気を取られて、

命を粗末にするくらいなら、

いっその事全てを諦めてしまえ。

知ったかぶりは僕だけじゃないさ。

答えはきっと、僕らの胸の中にある。

僕はもう戻らない。

戻りたくても戻れない。

今までの自分も大事だが、

共に歩むことは無いだろう。

……………

これは、私が書いた小説のラストシーンだ。

誰にも知られてはならない秘密を持つ少年と、

その秘密を手に入れようと少年を狙う組織の話。

組織の一員に追い詰められた少年が選んだのは、

自分ごと秘密を葬り、全てをなかった事に…

私には、少年のような勇気はないが、

もしも自分が、少年と同じ立場になったら、

私も少年と同じ決断をするのだろうか?

きっと、怖気付いて何もできないだろうな。

そう考えながら書いてみたんだ。

現実とは、小説のように上手くいかないものさ。

さて、次は私の話だよ。

つまらない話だけど。

そこの君、ページを捲って。


本編:

私の名前は、償井 鶫(つぐみ)。

二日前に、三十回目の誕生日を迎えた。

旅人書房の書店員として働きながら、

東京にある家賃六万円の古びたアパートで、

人語を操る黒兎と一緒に暮らしている。

黒兎の名前は、ツバキ。

性別は女の子だけど、オジサンみたいな言動をする不思議な兎だ。

という事にしている。

詳細はあまり聞かないで欲しい。

見た目に関して例えるなら、出来立てホヤホヤの焦げた食パン。

そして、私の趣味は小説を書くこと。

ジャンルは様々だが、登場人物が不幸になる展開はあまり書きたくない。

ほのぼの日常系や、メルヘンチックな物語を好む。

けど、最近また悲劇的な作品も書くようになった。

私は気分屋だから、気を抜けばすぐネガティブな方向に考えてしまう。

そして、負の感情を自分の作品に投影させ、

登場人物達に悲劇を演じさせる事で、

心の安定を保ってきた。

言わば、創作活動が精神安定剤のような役割を担っているわけだ。

けど、結局どの作品も己の為だけに書いた自己満足の産物に過ぎない事は自覚している。

読者の事すら考えないのは、我ながら最低な事だと思う。

だが、ある日を境にそういった悲劇を拒むようになった。

これは、寛解したと言ってもいいのだろうか?

それとも、また別の症状なのか?

なんだっていい。

今の私に必要なのは、悲劇よりも喜劇だ。

「おーい、何独りでブツブツ言ってんの?」

心の声が漏れていたのか、

喋る黒兎が呆れた顔で声を掛けてきた。

もちろん、私の妄想。

「なんでもないよぉ」

「君はいつもそうだな。

創作者というのは、みんな君みたいな奴なのか?」

「そんな訳ない…」

「とにかく、不安があるなら僕を撫でるといい」

「ありがとう。けど、今から仕事に行かなくちゃ」

「そうかい。じゃ、待ってるよ」

現在の時刻は六時四十五分。

まだ出勤時間ではないが、

私は身支度を済ませて早々に家を出た。

「おはようございます」

出勤したら、いつも通りバックヤードで素早く着替えをし、開店前の作業を始める。

バイトの子はまだ来ていない。

父親の事で急用ができたらしく、今日は午後からの出勤になるそうだ。

とはいえ、今朝のうちにやっておく事と言えば、

フロア内を軽く掃除したり、昨日の晩に店長が出品した物を、オークションの公式サイトで確認するくらいだ。

在庫整理や発注等は、お昼休みの後でバイトの子が来てからにしよう。

店長は、病院に寄ってから店に来るそうだ。

「知り合いが大きな手術を受ける事になった為、

急遽お見舞いに行かなければならなくなった。

午前中の仕事は君に任せる」

そう、つい先ほどメールで頼まれた。

閑散とした店内には私しかいない。

開店前の作業を終え、時間通りに店を開けたが、

開店から二時間経ってもお客さんは一人も来ない。

暇を持て余しながら本棚を整理していたら、

懐かしい本が目に止まった。

タイトルは、愛の随に。

元彼がよく読んでいた恋愛小説だ。

はっきり言って、元彼との関係は私からの一方的な愛情でしかなかった。

付き合って間も無い頃に彼と交わした約束。

彼の言葉は嘘だった。

愛想を尽かされた。

彼にとって自分は快楽の道具でしか無かった。

最初の頃は、それでもいいと思った。

けど、彼は私から離れていった。

私の願いは届かなかった。

仕方がない事だ。

それでも、別れてすぐの頃は彼を許せなかった。

復讐も考えたし、

色んな感情をまっ更なノートに全部吐き捨てた。

そうやってできたのが、今の私と私の作品だ。

いつの間にか、彼への憎しみは薄れていき、

彼に執着する事もなくなった。

これから私は独りで生きていくのだろうと思った。

そんな時、黒兎のツバキと出会った。

初めは、どんな事があっても鳴かなかった。

それどころか、与えた玩具にも興味を示さず、

私のことをずっと見上げていた。

彼女が、涙を流すようになったのはつい最近の事だ。

……………………………………

残暑のせいで気が滅入る初秋。

私は、夏に消化できなかった残りの有給休暇を利用してツバキと旅行をする事にした。

旅行と言えば、家族や恋人と行くものだろう。

私だって、出来れば友達を誘いたかったけど、

この時期からみんな忙しくなるので、

気軽に誘うのはやめておこうと思った。

とはいえ、この旅路の中で次回作のヒントを得られるかもしれない。

旅行先に選んだのは、日本の歴史が詰まった京都の街。

二泊三日掛けて京都にある美術館を何件か回った後、宿近くの海辺の景色を堪能する計画だ。

ツバキにはバックパックの中で大人しくしてもらいつつ、東京からバイクでおよそ六時間。

事前に念入りに準備をしたお陰で、高速道路の渋滞に巻き込まれる事無く予想よりも早く現地に着いた。

予約していた宿屋に貴重品以外の荷物を預け、

私とツバキは、宿屋周辺を見て回ることにした。

最初に向かったのは、老舗の京菓子で有名なお店の”よもぎ屋。

名前の通り、よもぎ餅を売りにしているお店なのだが、

ここで提供される濃口の抹茶が、一口飲んだら忘れられないくらい美味しいと巷で噂なのだ。

お餅でお腹を満たした後は、

いよいよ美術館巡りの時間だ。

まず初めに訪れたのは、国立の近代美術館。

丁度今の時期にゴッホ展が開催中だったので、

入る前からゴッホの自画像の顔パネルがあったり、館内にはモーショングラフィックを使ったデジタルファンアートや、ゴッホの作品を再現したオブジェクト等があり、子供でも楽しめる空間が広がっていた。

芸術に目が無いツバキは、私よりも楽しんでいた。

次に向かったのは、中心街から少し離れた場所にあるアクア美術館。

アクア美術館は、水族館と美術館が一つになった世界で唯一の施設だ。

館内は、額縁の裏に水槽がある渡り廊下や、

貝殻を使ってアート作る体験コーナーがあり、

一番奥には、巨大な水槽にシャガールの絵画をイメージしたオブジェクトが敷き詰められていたり、マグロやアカエイたちが泳いでいたりして、とても楽しい場所だった。

水槽の魚に夢中になっていると、

閉館を知らせる館内放送がかかり、

私たちは、宿に戻ることにした。

三日目の朝は、宿の近くにある海辺へ向かった。

ツバキはいつまでたっても起きないので放っておいた。

そこで、新しい出会いがあった。

海岸沿いの堤防に、遠くを眺めながら悲しそうな表情を浮かべる中高生くらいの少女がいた。

私は、その少女に声をかけた。

「ねぇ君、何考えてるの?」

少女は振り向いて、何も言わず朝日に照らされた水平線を指さした。

彼女は笑っていたが、瞳から生気を感じなかった。

私は少女に話しかけるのを止め、

少女と一緒に海を眺める事にした。

三十分ほど海を眺め、隣を確認すると、

いつの間にか少女は消えていた。

彼女は幽霊だったのか、

それとも私が来たから知らぬ間に帰ってしまっただけなのかは分からないが、

私は何となく、また何処かであの少女に逢える気がした。

………………………………………

休日の昼下がり、

ブロンズヘアの少女が旅人書房を訪ねてきた。

彼女の名前は、言ノ葉 陽葵。

私の友人、言ノ葉 恵美の一人娘だ。

旅人書房から数メートル先にある小学校に通う女の子だ。

どうやら、数年前に自身の母親が書いた小説を探しているようだ。

タイトルは、不死身のワルツ。

ジャンルはファンタジーとの事だが、

生憎、そのようなタイトルの本は置いていないので、その事を少女に伝えようとした途端、

バックヤードにいたはずの店長が、

一冊の本を持ってカウンターに出てきた。

「お嬢さん、君の探し物はこれかい?」

店長が持ってきた本の表紙には、

窓越しに星空を見上げる黒猫のイラストの上に、

青葉恵美作、“不死身のワルツ”とオシャレな文体で書かれていて、三年以上前に絶版になってしまったものだ。

「それ、幾らですか?」

「中古品だから二百円でどうだい?」

「買います!」

「毎度あり」

店長から本を受け取り、嬉しそうな表情を浮かべる陽葵ちゃん。

その様子を見ながら、ほっこりする私。

陽葵ちゃんの無垢な笑顔で、店内は暖かい空気に包まれた。

そういえば、恵美は今頃何してるんだろう?

時間が空いたら連絡してみるか。

……………………………

幼い頃の夢を見た。

今でも忘れられない、忘れてはいけない、

とても悲しい夏だった。

私がまだ七歳の時に、最愛の父親が他界した。

葬儀には参加しなかった。

父親に合わせる顔がなかった。

父親の死因は建設作業中に起きた不慮の事故だった。

私は余り、物に執着しない質なのだが、

父親が読み聞かせてくれた絵本だけは、

大人になった今でも大事に持っている。

その本のタイトルは、妄想少女と鏡の世界。

この物語の内容は以下の通りだ。

“昔むかしある所に、ヴァイオリ二ストに憧れている白髪の少女がいた。

雪がサラサラと地上に降り注ぐ真冬の朝、

少女は、愛用のヴァイオリンケースを肩にかけ、

朝ごはんも食べ忘れて家を飛び出した。

少女が向かった先は、街外れにあるルミナスの森だった。

妖精たちの住処でもあるルミナスの森には、真夜中に光り輝くルミナリエの花が沢山咲いている。

少女はその森で、毎日のようにヴァイオリンの練習をしていた。

少女にとって居心地が良く、

人目を気にせず過ごせる場所なので、

気づけば日が暮れている事もあった。

少女がいつものように、お気に入りの場所でヴァイオリンの練習をしていると、

森で暮らしている妖精たちが、森の奥深くにある霊樹の下に大きな鏡が現れたと知らせに来た。

妖精たちの言葉を信じて霊樹の下まで行くと、噂通りの大きな鏡が確かにあった。

鏡は、少女の背丈よりもはるかに大きく、四角く歪な形をしていた。

少女は好奇心が抑えきれず、鏡の中へと足を踏み入れた。

そこは迷宮のような場所で、少女がいた世界にはない空間が広がっていた。

床は全面タイル張りになっていて、まるで童話の世界に迷い込んだかのような雰囲気だった。

少女が振り返ると鏡がなくなっていて、元の世界に戻れなくなってしまった。

このまま何もせずじっとしているのも怖かったので、

迷宮の中を歩き回りながら、帰る方法を探してみることにした。

鏡の世界を散策していると、ローブを着たカラス頭の男に出会った。

男は、この迷宮に迷い込んだピアニストだという。

男を鏡の世界の住人と思った少女は、最初に潜ったあの鏡を男に尋ねてみた。

男も知らないと言うので、諦めようかと思っていたら、

男が一緒に見つけようと提案してくれた。

ピアニストの男とともに色んな部屋を散策していると、誰が書いたのか分からない古びた楽譜を見つけた。

楽譜にはタイトルがなく、インクで塗りつぶされていて読めない部分もあった。

結局、楽譜の意味がわからないまま次のエリアに足を踏み入れた。

そこは、大小さまざまな本がところ狭しと積まれている部屋だった。

少女たちは、螺旋階段を降りて違和感のある本棚の前で足を止めた。

楽譜に記されている記号が扉を開けるヒントであると気づいた少女は、

本棚を上から順に並べ替えてみた。

すると、本棚の仕掛けが作動して地下へと続く通路が現れた。

そこには、埃をかぶったグランドピアノがあった。

ドーム状のガラス張りの屋根から差し込む月明かりに照らされている様は、

まるで自然のプラネタリウムのようで、それ以外に上手く言葉で表せないほど幻想的だった。

ピアニストも、この部屋の事を知らないと言う。

二人はピアノへと続く段差を上り、楽譜台の上に楽譜を置いた。

今まで気づかなかったが、楽譜を改めてよくみてみると、少女がいつも練習の時によく弾く曲だった。

ピアニストも、この曲を知っているようで、

試しに弾いてみようと提案してきた。

少女は頷き、持っていた自分のヴァイオリンを構えた。

ピアニストもピアノの前に座り、いつでも弾けるよと少女に合図を送る。

二人は、楽譜に沿って弾き始めた。

軽快な曲調で嬉しそうに奏でる少女と男。

二人は、夢中になって弾き続ける。

明るい曲なのに、少女の瞳から涙が流れた。

きっと、こうして誰かと一緒に弾けることが嬉しかったのだろう。

演奏が終わると同時に、迷い込んだ時に通った鏡が現れた。

少女は鏡の前まで行き、ピアニストに感謝の言葉を告げると、

再び鏡の中へ入って行った。

目を覚ますと、少女は自分の部屋にいた。

リビングの方から父親が自分を呼んでいる声がした。

枕元には身に覚えのある古びた楽譜があった。

少女は、楽譜を持って部屋を出た。”

在り来りな話だが、私はこの絵本が大好きだった。

そして、この話を読み聞かせてくれる父が好きだった。

父親は、優しい声の人だった。

私は、安心するその声を聴きながら眠りにつくのが日課だった。

母親も、父親の美声に惚れて結婚したそうだ。

もちろん、父親の良いところはそれだけではないが、私も父親の声が好きだった。

……………………………

新作の小説を書き終えた。

タイトルは未定だが、

物語の舞台は、雨が降る真昼の住宅街にした。

人気のない通りでスーツ姿の男が立っていた。

天を仰ぎ、傘もささずに雨に打たれながら何かをブツブツと呟いている。

男が流した涙は、雨と混ざり合って消えていく。

男は、生きる事に疲れていた。

要らない悲劇が多すぎるからだ。

自分の周りが平和過ぎると、

他人の不幸に対して鈍感になる。

受け入れられない実情に目を背け、

あたかも世界が平和であるかの様な発言をする。

人はどんなモノにも喰らいつく。

彼らには、仮想敵が必要だった。

自分の正義を振りかざせるものなら何でも良かった。

標的が消えれば、また次の標的を探し回った。

自分よりも劣っているモノ、自分とは違った考えを持つモノを傷つけるのが好きだった。

彼らが大事に育てた正義という名の憎しみは、

形を変え、言葉を変えながら、

何も知らない子供たちを苦しめた。

みんな違ってみんないい訳じゃない。

彼らが、その身をもってそれを証明した。

多くの犠牲を払いながら証明してきたのだ。

歴史は幾度となく繰り返されてきた。

愚か者がこの世を支配した。

選ばれなかった者が必死の思いで捧げた祈りは、

虚しく地面に落ちて消えた。

選ばれた者が、それを嘲笑った。

彼らの過ちを正そうとする者が現れた。

だが、彼の言葉を都合のいい様に解釈して利用する者も増えていった。

彼の目に映る世界には、本当の正義などどこにもなかった。

男は、スーツの内ポケットから球体の白い固形物を取り出した。

男は笑った。

泣きながら笑った。

男はソレを口に含み、ゆっくりと飲み込んだ。

気づけば、自宅の洗面所の前にいた。

自身の顔を鏡越しに確認するが、

顔一面に、黒いモヤがかかっていている。

そして男は、自分が何者なのかさえあまり思い出せなくなった。

高校時代の自分はどんなんだったっけ?

卒業式で卒業証書を受け取る自分と、拍手をする周り。

周りの顔は思い出せるのに、何故か自分の顔だけ思い出せず、黒いモヤがある。

中学の頃はどうだった?

小学生の頃は、授業で周りが手を挙げる中、

自分だけ挙げなかった。

この時の自分の容姿も思い出せない。

幼稚園の卒園式の写真も、母親の顔ははっきりわかるのに、自分の顔は分からない。

生まれたばかりの頃は…?

呼吸が乱れ、動悸が起こる。

両手の震えが止まらない。

このままでは壊れてしまう。

そう思った男は部屋を飛び出した。

彼は只管に走り続けた。

俺は誰だ?

俺は誰だ?

俺は誰だ…?

足を止め、呼吸を整えて顔を上げると、

路地裏に自分とよく似た人影がいた。

あれは、自分なのか?

ソイツは、男を見据えながら、

ピエロのような気持ちの悪い笑みを浮かべた。

違う、お前じゃない。

お前なわけがない。

「やめろ…その顔で俺を見るな!」

男は、ソイツを必死に追いかけた。

ソイツを追っているうちに、いつもとは違う場所にたどり着いた。

見覚えのある洗面所。

懐かしい匂いがする。

ここは、実家の洗面所だ。

自分の顔は…?

顔中に親からの暴力で出来た傷跡。

左頬が赤く腫れ上がり、おでこや目の周りに痣があり、首元には爪で引っ掻いて出来た傷がある。

「あぁ、醜いな」

醜い、醜い子供時代の自分。

否定し続けた過去の自分。

思い出したくなかった、悪夢のような日々。

いっその事、忘れたまま終わりたかった。

場面は、雨の降る真昼の住宅街へ切り替わる。

雨は変わらず降り続き、男は地面に倒れている。

男に息はなく、口から吐き出た血液が、

雨水と共にアスファルトに染み込んでいく。

………

ここで物語は終わっている。

この物語を書き終えた時、

私は幼い子供のように声を出して泣いた。

今まで封じ込めていた記憶が、感情が、

まるで水の入ったコップが倒れてしまった様に、

一気に溢れ出した。

怖かった。

辛かった。

痛かった。

苦しかった。

誰かに思いを吐き出したかったけど、

怖くて誰にも言えなかったんだ。

周りには大丈夫って、笑顔で返すけど、

大丈夫じゃない事は自分自身が一番よく知ってる。

死にたいと口にするのは、消えたいと思うのは、

それ以上考えられないくらい追い詰められているから。

それは、真面目に生きた証だから。

壊れるまで戦った証拠だから。

色々思い出して涙が止まらなくなるのは、

自分の体は正直だから。

私は、もうこの感情を抑えることができなかった。

私を肯定できるのは、私しかいなかった。

私の気持ちを理解できるのは、私しかいなかった。

だから私は、私の為に物語を書き続けた。

たとえ、誰からも見向きもされなかったとしても、私の言葉が私を救えると信じていた。

ごめんね。

もう何も思いつかないや。

ごめんね。

ごめんね。

ごめんね。


エピローグ:

私は、物語を通して自分を救いたかった。

けど、私を救ったのは他人の言葉だった。

私は、何者にもなれなかった。

私は、全てにおいて無力だった。

私が今、私でいられるのは、

私に手を差し伸べてくれた人達のお陰だ。

私は、私を救えなかった。

最後まで自分を信じることができなかった。

結局、何年経っても子供のままだった。

……………………

………

どうせ、誰も見ない。

どうせ、誰も聞かない。

どうせ、誰も答えない。

でも、それでいい。

それがいい。

もう既にこの世界には、

数え切れないくらいの物語がある。

泣き虫の為の言葉がある。

こんな誰も救えない言葉よりも、

綺麗な方がいいでしょ?

私がいなくても地球は回る。

だから私は、私のために書く。

拙い言葉で自分に問う。

それこそが、私らしい生き方だった。

世界から見放され、言葉すらも奪われて、

人知れずに終わりを告げる。

素晴らしい事じゃないか。

素敵な事じゃないか。

砂を噛むような苦い思いや、

繰り返されてきた悲劇を、

これ以上知らなくていいのなら、

生意気な君の顔を見なくていいのなら、

私は喜んでどんな結末も受け入れよう。

私はそう言って、

美しき日々を慈しみながら笑った。

だってあの人はいつも意地悪だから。

壊れて直してまた壊れ、

魔法が解けたら愛の鐘が鳴る。

電信柱にカラスの群れ。

夕焼け小焼けでまたいつか。

無数の光が空から落ちた。

月明かりに照らされて桜が咲き誇り、

ようやく私にも春が来た。

私の心は満たされていた。

私は誰よりも幸福だった。

もう我儘は言わないよ。

仮初の武器は全部棄てて、

それぞれが願った理想郷へ。

最後くらいは盛大に、

不死身のワルツを奏でよう。

目を閉じて耳を澄ませば、

私が望んでいた夢の中。

ありがとう世界。

大好きな人。

私は、とても嬉しかった。

嬉しかった。


END

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優しい獣と呪いの言葉 Kurosawa Satsuki @Kurosawa45030

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