第24話 一筋縄ではいかない女

 俺と安次嶺、そしてトイレ用のバケツが残された資料室。

 女の子座り状態になった安次嶺は、ガックリ肩を落としていた。


「……まーくんに裏切られた」

「人聞きの悪い事を言うな」

「だってえ! まーくんが女を使って二人きりを邪魔するように指示したんだもん。裏切り以外のなにものでもないよ……」


 不服そうな安次嶺を引き剥がして、俺は立ち上がる。


「そもそも、最初に裏切ったのはお前の方だ。騙し討ちみたいに二人きりにしてきた女に、優しくしようと思うか? 今回ばかりはやり方が卑怯だよ」


 だから、お前も今後は野々部にそそのかされて騙し討ちはするなよ。

 そういうことを言いたかったんだよ、俺は。


「俺は、昔も今も正々堂々とした正攻法しかやりたくない」


 俺がまだボクシング部にいて、しばらくはこの道で生き続けるものと信じていた頃から、俺はそんな直球のスタイルだった。そのせいで敗北に泣いたことは何度もあるが、自分のスタイルを後悔したことはない。

 だから、自分の目的のために他人の恋心を利用する野々部にも、それに安易に乗っかった安次嶺にも、腑に落ちない気持ちが強かったのだ。


「そっか、そうだよね。ごめんね、まーくん」


 しゅんとする安次嶺。

 流石に懲りたか。

 今まで何度か俺に迫ってきたけど、どれも愚直なまでの正面突破で、共謀して騙し討ちするようなことはなかったもんな。


「私、焦りすぎてたみたい。まーくんと再会できる奇跡が起きて、運命だと思っちゃって、きっといい子にしてた私に神様がくれたご褒美に違いないから、チャンスを掴むのは今のうちって考えちゃったの」


 微妙に厄介な解釈をしていることを隠そうともしない安次嶺。なんかもう、慣れたよ。


「だから、ね」


 向かい合ってくる安次嶺。


「今度、私とデートして!」

「は?」

「まーくんが正々堂々が好きなら、私もそうするまでだよ」


 吹っ切れたような表情の安次嶺。

 その可憐な笑みには、間違いなく見るものを一瞬にして魅了する力がある。

 きっと安次嶺の周りにいる人たちは、この姿に魅了されて心酔するのだろう。

 どれだけ傍迷惑な女であったとしても。


「悪いが、今の俺は忙しい」


 もちろん俺は断るよ。

 そもそも、誰とも深く関わる気がないからだ。

 デートなんて、それこそ深い仲の相手とするものの典型だろ。

 一度でも一緒に出かけてみろ。安次嶺はこれまでよりずっと強く関わりを持とうとしてくるに決まっている。


「なんで!? 今の流れ、デートを受け入れる流れだったじゃん!」

「そんな流れはない。気のせいだ」

「うぅぅ、酷い、まーくん、酷い~」

「騙し討ちをされた俺の身にもなってみろ。あーあ、こんなことさえなければ、デートの提案も受け入れてたかもしれないのにな~」


 反省を促す意味でも、意地悪な口ぶりをする俺。


「待って~、帰らないで~」

「いいや。帰る。今日も復習をしておきたいから」

「……その勉強を、教えてあげたのは誰?」

「ぐぬ……」

「まーくん、今日の授業はどうだった? 私が教えたおかげで、ずっとわかりやすくなってたんじゃない?」

「それは……」

「私、授業料まだもらってないよ。あれだけわかりやすい教え方したんだから、そこらの学習塾よりずっと高い授業料を請求しちゃってもいいんだよね。一人暮らしのまーくんに払えるかなぁ」


 俺の前に回り込んできた安次嶺は、猫みたいな口のかたちをして、ふふん、と得意気に微笑んでいた。


「まーくんは、いつでも正々堂々とした正攻法が信条なんだよね? それって卑怯なことはしないよってことでしょ?」

「…………」

「授業料の踏み倒しは、まーくんの主義に反するんじゃない?」

「それとこれとは」

「まーくんったら、ズルいんだ。そうやって都合が悪くなると逃げるんだから」

「!?」


 安次嶺としては、デートを断られたことが不満で口にしただけに過ぎないはずだ。

 けれど、俺の解釈は違った。

 まるで、転校というかたちで逃げたことを言い当てられているような気分になった。

 もちろん考え過ぎに決まっている。

 ボクシング部を辞めて転校を選んだ理由を、知っているはずがないのだから。


「えっ? まーくん、顔色悪くない? 大丈夫?」

「……大丈夫だよ」

「ごめんね。なんか意地悪なこと言っちゃった?」

「なんでもないんだ。お前のせいじゃない」


 本気で心配しているらしい安次嶺から目をそらしてしまう。

 そうだ。俺は、都合の悪いことから逃げてきた男。

 安次嶺のことも、野々部のことも、他の誰のことだって非難する資格はない。

 むしろ、安次嶺にしろ、豊澤にしろ、和泉にしろ、そして野々部にしろ、目標や目的から逃げずに向き合っているという意味では、俺に足りないものを備えている眩しい存在だ。


「……一度だけだからな」

「ん? なにが?」

「デートだよ」

「いいの!? してくれるの!?」

「二人で出かけるだけだぞ。お前が満足するようなデートプランも、ロマンチックな演出も提供する気もないから」

「いいよ! それでも! ううん、その辺のことは私に任せて! まーくんが楽しめるようなデートを用意しちゃうから!」


 ついさっきまでしゅんとしていたのに、そんなもの忘れてしまったみたいに俺の腕に飛びついてくる安次嶺。

 こいつは本当にめげないヤツだよ。

 ……ガキの頃にたった一度助けたことがあるだけの俺のどこがそんなに気に入っているのかわからないけどな。


「やっぱり私、まーくんのこと好き! どんなことがあっても、まーくんは優しいから」


 資料室の窓から差し込む夕日に染められて微笑む安次嶺は、幻想的で美しくすらあった。

 本当に、どうして安次嶺は俺なんかをここまで気に入ってくれているんだろうな。

 俺は優しいわけでも度量が広いわけでもない。

 ただ、流されているだけだ。

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