とある小学生の新学期スタート

日向満月

とある小学生の新学期スタート

 はじまりがあれば、終わりもある──そんなありふれた言葉が、おれの脳裡をかすめては消えていった。


 そう。形ある物はいつかは壊れるし、永遠の愛なんてどこにもない。


 無慈悲なまでに絶対のルールが、この世界には存在していた。人々は自然とそれを受け入れ、なんの疑問も抱くことはないのだろう。


 けれどおれは、そんなこの世のことわりに、打ちのめされていた。


 運命に抗おうとした。もがこうとした。しかしなにも変わらなかった。万物は流転することなく、失った時間は永遠に戻ってはこない。


 散ってしまった桜の花びらが、もとには戻らないのと同じように。


 ──まあ、つまりどういうことかというと、おれたち小学生にとっての至福の時間、春休みが終わってしまったのだ。


 もう一度言う。春休みが終わってしまったのだ!


 はじまる前は二週間くらいあると思って「やっほーい!」とはしゃいでいた春の陽だまりのような日々は、気付けば桜前線もかくやというスピードで過ぎ去り、あれよあれよという間に今日から新学期となってしまった。


 おれは進級して五年生となるが、春休みが終わる事実に比べれば、そんなことは些末なことである。


 勉強が苦手だとか、新しく友達を作れる気がしないだとか、そもそも学校があんま好きじゃない、っていうかむしろ嫌いだとか。春休みが終わってほしくない理由なら色々と思い付く。


 けど、それ以前に。


 おれはもっと家でぐーたらしていたかったんだ!


 夏休みや冬休みと違い宿題に追われることもなく、日がな一日ポテチと惰眠を貪りながら、クーラーの効いた部屋で寝っ転がってスマホで動画観てゲームして漫画を読んでいたかったんだ!


 本当に、ただそれだけ。それ以上なんて、望んでいなかった。それなのに……っ。


 そうはいいつつ、おれは、真面目に学校に登校して、真面目に校門前の教頭先生に挨拶して、真面目に五年の教室を目指して、廊下をてくてく歩くしかなかった。


 どうしてかって? 学校をサボる度胸なんて、おれにはないからだ。


 お母さんとお父さん及び担任の先生にしこたま怒られるくらいなら、ちゃんと授業を受けたほうがましなのだ。少なくともおれにとっては。


「くぅ。けっきょく、おれはけんりょくの犬なのか……!」


 通りすがりの女子がこちらを見て「またあいつ、一人でぶつぶつしゃべってるー」だの「なんていうか厨二だよねー。今日から小五なのに」だの囁き合っていた。が、おれは無視を決め込む。いちいち他人の陰口を叩き合う人間を相手にするほど、おれは暇ではないからだ。


 でも、おれも彼女たちと、大して変わらないのかもしれない。心の中でぶつくさ文句を言っていても、最終的には世の不条理を受けいれてしまう。きっとおれは大人になってからも、こうやって社会に順応したふりをしながら、不満だけをSNSで垂れ流す、大衆意見の操り人形となって唯々諾々とした人生を送っていくことになるのだろう。きっとそれがおれの定め。おれの背負う業なんだ。


 自らが辿るかもしれない欺瞞と怠惰に満ち溢れた未来を嘆きながら、おれは廊下の角を曲がった。


 そのときだった──


「あっ」


 曲がり角の向こうから、知らない大人が現れて。


 案の定、おれと『そのひと』は出会い頭にぶつかってしまった。


 目の前で、艶やかな長い黒髪が舞う。顔を上げると、少し切れ長で大きな瞳と目が合った。

 クールな見た目をした──綺麗な女のひとがそこにいた。


「ごめんなさい」


 おれが咄嗟に謝ると、女のひとは小さな口の端を、笑みの形に変えた。


 なぜか、どきりとした。勝手にクールだと思っていたその表情から、思いの外、優しい笑顔が飛び出したからだ。


「ううん。こっちこそ、ごめんね。大丈夫?」

「は、ははひ!」


 どうしたんだ。このおれとしたことが、声が裏返ってしまう。


「今日から五年生になる子かな? わたしも新しくこの学校に来た先生なの」そう言うと女のひと──いや、先生は小首を傾げた。


「君が二組になったら、わたしが担任の先生だから、よろしくね」


「はひ!」


「じゃあ、またね?」


 そして緩くたなびくスカートを翻すと、先生は小さく手を振って、廊下の向こうに行ってしまった。


 おれはしばらく、先生が立ち去った廊下の先を茫然と見守った。


 ……なぜだろう。さっきから、ほっぺたが熱い。どきどきも止まらない。


 やっぱり永遠の春休みなんてなくていいのかもしれない。ふと、そんなことを思った。


 休日というのは、終わりがあるからこそ楽しいんだ。小学生が学校に通うことのなにが不条理か。まったく誰がそんなこと言ったんだ! けしからん!


 おれは劇的なまでに心変わりしていた。理由はわからない。


 先生に一目惚れしたとか、そんな不純な動機ではもちろんない!


 予期せぬ出会いに胸をときめかせながら、おれは再び歩き出す。


 よーし、今日から五年生! 新たな学校生活のスタートだ!


 そんなことを思いながら、おれは真っ先にクラス分けを確認しに行った。











 クラス分けを確認すると、おれは二組ではなく一組だった。


 やっぱり、春休みが恋しいかもしれない……。

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