#2



 時は少し遡った、晴れ渡る空が心地良さを醸し出す昼下がり。

 大きな湖が一望出来るこの丘に一人の少女と一匹の柴犬が居た。

 犬はキョロキョロと顔を動かし歩きながら何かを探している。

 その犬の後を少女が必死についてきている。

 サイドだけが長いライトブラウンの髪が風になびいていた。



「ルナ、待ってよぉ…。」



 弱々しい声で犬の…ルナの名前を呼び、両膝に手を置いて息を整える。

 少女はしばらく走り続けていたのだろう。

 少々ふらついていた。



「ごめんごめん。確かにこの辺りから感知するんだけど場所が特定出来ないんだよねぇ。」



 黄色い瞳を細めあちらこちらに視線を向ける。

 ハァとため息を付き少女を見上げた。

 彼女の呼吸は整ったようで落ち着いてルナを見ている。



「闇雲に動き回っても仕方ないし、ここいらで休憩するかぁ。」



 その言葉に少女は無邪気に喜ぶ。

 二人はその場に座り込んだ。

 小鳥のさえずりが遠くの方で聞こえる。丘全体を微かにそよ風が揺らしていた。

 時間の流れがより一層ゆっくりと進んでいるように感じる。



 ──さて、どうしたものか。

 ルナは考え込んでいた。

 目的の魔力を探しにここまで来たのはいいが、肝心のそれはこの辺りで途絶えている。

 周辺を歩き回ってからもう三日も経っている。

 一箇所だけ調べていない場所があるのだが、ルナは出来ればそこは避けたいと思っていた。

 自分一人だけならいい。彼女を、あおを置いてはいけない。

 そこへ行くには確実な理由が必要だった。

 闇雲に動き回っていても何も解決しないのだ。



「ルナが探しているのって、魔力…なんだよね?」


「うん、探せって命じられているから。」


「その魔力って、近いところにあるの?」



 ルナはもう一度丘全体を見渡した。

 魔力感知、という能力を発動している。

 これを発動する事で大地に宿る魔力、魔獣などの生物に宿る魔力、そして魔力と融合された邪悪な力など、全ての魔力を視る事が出来る。

 魔力と融合された邪悪な力…それを瘴気と呼んだ。

 過去に見た本に書かれていた言葉だ。

 ネガティブなものが魔力と交わる事で生まれ、良くない事がその一帯に降り注ぐ。

 そう書かれてはいたが、この本はあくまで人が書いたおとぎ話に過ぎない。

 教えられてはいたがそれが果たして本当なのか、ルナは今までわからなかった。

 この現状を視るまでは。



 ──消去法で考えられるのはこの瘴気が濃い森の中なんだよなぁ…。




 あおに気付かれない程度にため息をつく。

 瘴気の中を探すという事、それはという事だ。

 人の住む街にも多少の瘴気は宿っているが、平和な街は微々たるが人の身に降り注ぐ程度だとに教わっている。

 だが左側にある広い森の中の瘴気の濃度は多少の領域を越えている。

 ルナには黒みの強い赤紫色に視えるのだ。

 ──これだけ酷く濃い瘴気だと、おそらく人か何かが死んでるな。よほど強い恨みや妬みを抱えていた生物が。

 そういうものには極力関わりたくない。

 少なからずこの場所はルナが住んでいる場所ではない。

 人の不始末なら、他の生物の不始末ならそいつらが行うべきだとルナは考えている。

 見つけたからといって自分が何かをする事ではない。

 厄介事を抱えてまで行くような場所ではない。

 ルナが確実な理由がない限り行かないと考えるのはその為だ。

 だがこれだと八方塞がりだ。

 感知したからには必ず見つけなければならない。

 その魔力は、消えてはならないのだ。

 ルナは考えれば考えるほど頭がムシャクシャしていた。



「うーーん、どうすればいいんだよぉぉぉ!」



 突然叫んだルナに、ボーッとていたあおは半泣きになりながらヒィ!と驚いた。

 そしてすぐに元の落ち着いた表情に戻ったかと思えば心配そうな顔でルナを見る。



「何か良い方法が見つかればいいのにね。」



 事情を深く知らないあおは追及する事も出来ず、無難な言葉をかける事しか出来なかった。

『日を改めて』という提案をしたようだが、ルナ曰くそうしたくても出来ないらしい。

 彼女について行くと決めたからには、そう言われてしまえば付き合うしかない。

 あおはただ見守る事しか出来なかった。



「もう少し調べて何もなかったら今日はもう休もうか。」



 そう言ってルナが立ち上がった時、異変は起こった。

 左側にある森の奥から眩い光が放たれ、衝撃波が周辺に広がった。

 衝撃波自体は弱い。吹き飛ぶほどではないからだ。

 二人は反射的に目を瞑った。

 それが収まって静かになると恐る恐る目を開けると先程の光は無くなっていた。

 ほんの一瞬の出来事だった。



 ──理由、出来てしまったな。



 ルナはため息をつく。

 あれは紛れもない、目的の魔力だ。

 あの一瞬の魔力の放出はどうやらあおにも見えたようだ。

 普通に見ただけでは森の奥から放たれたようにしか見えないが、ルナは大地の魔力を視る事である程度の細かい場所まで特定する事が出来るのだ。



あお、これからあの森の中に入る!ここから先は絶対にボクの傍から離れないで!!」



「…ふぇ!? わっ、わかった……。」



 いつにも増して真剣な表情にあおは息を飲んだ。

 立ち上がり、ルナの『行こう』の一言で一斉に走り出す。

 今までスルーしていた森の中へ、一歩ずつ着実に足を踏み入れる。

 少し奥まで向かった時、二人の身に重たい空気と不安と恐怖がどっと襲いかかった。

 先程とは違い空が暗い。

 瘴気の中に入った証拠だとルナは告げる。

 立ち止まってしまえばそれに呑まれ身動きが取れなくなるのも時間の問題だと。

 走る。

 ただひたすら走る。

 更に奥へ進むと、遠くの方に平屋らしき建物が見えた。

 あそこに目的の魔力がある。

 ──急がないと…。



 あれから走り続けて十分が経つ。

 ルナは異変に気付いていた。

 ──家との距離が縮まらない。まるで別空間を走り続けているみたいだ…。

 対象の家が遠い位置にある為、普通に見るだけではすぐには気付けないだろう。

 ルナ自身が視る魔力の構図は二通りあり、今は地図で印を付けたかのように複数の魔力が視えている。

 自分達の周りは特に変化はなく、他の空間と同じように視える。

 ──まさか。



「ストップ! 一旦止まって!!」


「え? どうしたの?」



 立ち止まって呼吸を整えるとルナが話を続ける。



「トラップエリアだ。気付いてないかもしれないけれど、ボクたち、さっきからここから一歩も進んでない。」



 予想通り驚くあおにルナは軽く説明する。

 あまり理解していないようにも見えたが彼女の表情はだんだん青ざめている。

 危険だという事だけは理解出来たのであろう。

 ――さて。

 ルナは四足を大きく開き何かを念じるように目を瞑った。

 彼女の周りを風がつむじのように舞い上がっていく。

 彼女の姿を隠してしまうほどの風だった。

 風が少しずつ収まっていき、姿があらわになる。

 そこには先程の柴犬の姿ではなく、身長百五十センチほどの少女の姿があった。

 腰まであるベージュ色の長い髪の毛が風になびく。

 頭に付いている耳は犬の時のものと似ていた。

 姿が変わったルナは振り返ってあおに告げる。



「今からこの一帯をする!ボクに掴まって!」



 そう言って左手を差し出した。

 手を掴んだのを確認し、もう一度前を向き家のある方向へ右手をかざした。

 彼女の右手から淡くて白い光が溢れていく。

 二人の周りを風が舞い白い光の粒が地面から浮き上がっている。

 その光景はとても綺麗で、キョロキョロしながらもあおは見惚れていた。

 瞑っていたルナの瞳孔が開いた途端、風と光の粒子が勢いよく左右に分かれて流れていく。

 まるで波が広がっていったかのような不思議な光景だった。

 体感二十秒ほどを経過すると風と光の粒は収まっていく。

 パッと見では浄化する前と何も変わらない。



「行こう。」



 ルナは人の姿のままあおの手を引いて平屋へと向かう。

 ――良かった、今度こそ距離が縮まっている。

 五分ほど走ると平屋の玄関前へと辿り着いた。

 手入れされていない少しばかりの庭と錆び付いた物干し竿だけがポツンと佇んでいる。

 二人は顔を見合わせて頷き、ルナが音を立ててドアノブを回した。

 扉を開けて部屋の中を確認する。

 目の前には壁と靴箱があり、右側突き当たりには茶色い布団がかかったベッドが置かれている。

 その壁にある窓からは先程二人が走っていた道があった。

 その方向へ一歩、二歩と部屋の中へと進む。

 左手側を見ると二人用のダイニングテーブルと、更に左奥に簡易的なキッチンと冷蔵庫が置かれてあった。

 テーブルの上は書類の山で埋まっている。

 というより、部屋全体が物で散らかっていて足の踏み場もない。

 下手すれば躓いて転んでしまいそうだ。



「あっ…!!!」



 あおは青ざめた表情でテーブルの奥に指を指した。

 ――人が倒れている。

 白い衣服と素足が見える。

 ルナはそれに近付いた。

 白いワンピースを着た金髪の女性がベッドの方向を向いて横たわっていた。

 どうやら気を失っているようだ。

 ルナはしゃがみこんで、薄ら目を細めで魔力を視る。

 間違いない、だ。

 その魔力の更に奥をじっくりと視る。

 霞みがかった魔力の奥がくっきりするまでに時間がかかった。



 ──やっぱり、あおと同じだ。



 ルナが視たもの、それは一つの宝石だった。

 人間がよくアクセサリーなどに加工して身につけているものだ。

 鮮やかな蒼色のその天然石は小刻みに振動している。

 ――これは、ヤバい。

 長期間濃度の濃い瘴気の中に居たのだ。

 このまま放置すれば彼女は

 生物で言うと同じ結末を迎えるだろう。



あお!!! 早く!!!!」


「ふぇ!? はっ…はいっ!!」



 慌てふためいていたあおは何度か深呼吸をした後、両手を胸の前で組み祈りを捧げた。

 胸から淡い光が溢れ出している。

 この部屋一帯の空気が少し軽くなったように思えた。

 それを見届け、ルナは立ち上がって目を瞑る。

 先程の浄化と同様、彼女の周りを風と光の粒子が覆った。

 少し目を開け、標的ターゲットの女性を見る。

 正確には、女性の内側にある宝石を包んでいる魔力を。



「幸運の石、ラピスラズリよ。今からお前をする!!」



 ルナの瞳孔が大きく開いた瞬間、光が女性を包み、勢いを増した風が部屋中を舞い上がった。

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