第43話 決着
女王の間には静寂の帳が降りていた。
レグルスは、おもむろに折れた魔剣の柄を拾い上げる。
時間が経って魔力が回復すれば、いずれ剣身も復元されるだろう。それまではアウローラには眠っていて貰うことにしよう。
今この空間には、自分と奴以外の誰も介在させたくはない。
レグルスは視線を切ると、ウルスラの姿を見下ろした。
床に跪いた彼女の胸部には、黒い穴が深々と穿たれていた。今この瞬間にも、彼女の命は砂時計が落ちるように流れ出し続けていた。
「……私の負けだ」
ウルスラは血を吐きながら、自嘲するように口元を薄く歪めた。すでに戦意は喪失していた。
「……だが、貴様の勝ちでもない。あの女はもう戻ってはこない。これで一勝一敗。結局は引き分けというわけだ」
「……ああ、そうだな」
「……私を討った今、貴様の復讐は達成された。今後、貴様は何のために剣を執る」
「……俺は彼女に託された役目のために剣を執り続ける。彼女の目指した理想の世界、そこに彼女を連れていくために」
「……やはりそうか」
ウルスラはふっと口元を歪めた。嘲笑するように。
「……貴様は、あの女のことを思い違いしている」
「……どういうことだ」
「貴様はあの女を崇高な魂の持ち主だと思っているだろう。遙か遠く――我々には想像もつかない高みを見据えている聖女だと」
彼女の瞳が見据える理想の世界を、レグルスは信じた。
彼女が辿り着きたいと願うものなら、それはきっと美しいのだろうと。
だが、とウルスラは告げた。
「あの女は貴様が思うような崇高な魂の持ち主ではない。……貴様はなぜ、彼女が理想の世界を創ろうとしたと思う」
「……世界の歪みを正すためだろう。彼女は誰より王都の人々と言葉を交わし、この国の未来について考えていた」
「建前はそうだ。だが、真実は違う」
ウルスラは冷淡に斬り捨てた。
「あの女はただ、王女の役割から逃れたかっただけだ。王女であればいずれ、政略結婚の駒として他国に嫁がされる。それを嫌った。
だから自らが女王に君臨し、誰もが自由に生きられる世界を創ろうとした。それは国のためでも民草のためでもない。他でもない自分のためだ。
そのために継承権を持つ王子たちを排除しようとした。一歩間違えれば全てを失ってしまうかもしれないにもかかわらず。悪魔に魂を売ってでもそれを為そうとした。あの女は最終的に王族制度を廃止しようとしていた。勝ち得た権力を全て投げ打ってでも、王族の身分を捨てようとした。……彼女がそこまでしようとした理由が、貴様に分かるか?」
レグルスは答えなかった。ウルスラは口元を歪めると、静かに告げた。
「全てはただ、貴様と共に在りたかったからだ。王女と近衛としてではなく、一人の女として彼女は貴様の傍にいることを求めていた」
「……彼女が俺を必要としていたのは、剣としてだ。彼女の目指した理想に辿り着くための手段としてだ」
「最初はそうだったかもしれない。だが、時間と共にそれは変わっていった。
あの女自身が言っていた。理想の世界を実現させた後は、女王の座を降り、貴様と共に自然の豊かなところで過ごしたいと」
「…………」
「当事者である貴様には分からなかったかもしれない。だが、私には分かった。あの女は崇高な魂を持った聖女などではない。
自分の想い人と結ばれるためなら全てを投げ打つことも厭わない。一途で純粋で幼くて、どうしようもなく凡俗なただの人間だった」
ウルスラはそこまで言うと、ふっと弱々しく微笑んだ。
「……だからこそ、私はそんな彼女のことを愛した。彼女にとってのもっとも切実な人間になりたかった……」
優しい声色だった。今のウルスラは、とても柔らかな表情をしていた。今まで背負っていた重い荷を全て降ろしたかのように。
「……なぜ俺にそのことを話した」
「貴様はあの女に対して、理想を投影していただろう。自分一人では辿り着けない、遙かな高みに導いてくれる存在だと。貴様はあの女を神格化し、崇拝していた。
貧困街で生まれ育った貴様にとって、崇拝する主君の目指す理想の世界の礎になるために生きるというのは、さぞ甘美な響きだったことだろうな。
貴様が焦がれたのは彼女自身にではない。彼女の身分と、背負う夢の大きさだ。それを果たすために剣を振るうこと、それこそが貴様が剣を執る理由だと分かった。だからそれを壊してやろうと思った。あの女に対して抱いていた幻想を砕くことによってな」
貧困街にいた頃、レグルスは生きる意味を見いだせなかった。何も成せないまま、このまま虫けらのように消えていくのだと思っていた。ただ生きていくことに絶望していた。
セラフィナの存在は、そんな地獄に降りてきた希望の糸だった。
彼女の瞳が見据える理想の世界を、レグルスもまた夢想した。自分には見えない崇高な景色が彼女には見えているのだと思った。
だからそれを叶えるために、その場所に辿り着くために、この身を捧げたいと願った。セラフィナに忠を尽くしていたのは本当だ。しかしウルスラの口にした言葉は正鵠を射ていた。
「……皮肉なものだ。私たちが望んだ相手は、それぞれ別のものを望んでいた。
私は彼女の愛を求め、彼女は貴様と結ばれることを望んだ。そして貴様は、彼女に自分が殉じる大義としての価値を求めていた。
私たちの誰一人として、想いは通じ合ってはいなかったわけだ」
ウルスラはレグルスを真っ直ぐに見据えると、はっきりとした声で告げた。
「あの女が本当に望んだ世界に、貴様は永遠に辿り着けない。そこに貴様はいても、あの女はもういないのだから。
貴様が躍起になって辿り着こうとしている奴の理想の世界――そんなものはもう、この世界のどこにも存在しないのだ」
ウルスラの瞳に宿っていたのは、憎しみではなかった。
心からの憐憫と同情。そして仄暗い優越感。
砂時計はじきに尽きようとしていた。
生命の灯火が消えようとするまさにその瞬間。口元に笑みを浮かべると、ウルスラは呆然とするレグルスに対して、最期に言った。呪いを掛けるように。
「……姫様は、貴様の書いた詩をいたく気に入っていたぞ」
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