第19話 酒場にて
「――で、お前はなぜ一人でここにいる?」
下層街の一角にある大衆酒場。
そこは諦観と無気力に支配された街の中で、僅かに活気づいている場所だ。
塵のように少量でマズい料理と水のように薄い酒しか出てこないが、娯楽に飢えている住民たちにとっては数少ない憩いの場所。
本来ならいつも溢れんばかりの客で賑わっている。
だが、今日この瞬間に限ってはガラガラだった。
店内にいるのはたった一人の客のみ。奥の席に陣取っているその客人は、ボロボロの木のテーブルに突っ伏すようにしていた。
彼女――セレナの来店によって店には閑古鳥が鳴いていた。
それもそのはず。
街の住民たちにとっては女騎士は畏怖の象徴。少しでも機嫌を損ねればその場で斬り伏せられてしまいかねない。
そもそも女騎士はまず下層街の酒場になど来店しない。下等な存在である男と同じ空間で飲食をするなど考えられないからだ。
騒ぎを聞きつけたレグルスは、酒場の前にやってきた。店の外にひしめく男たちをかき分けながら店の中に足を踏み入れる。
がらんどうの店内。その奥の席に座るセレナの元に辿り着くと、声を掛けた。
「騎士たちと共に山猫の爪を掃討するんじゃなかったのか?」
「…………断られた」
「は?」
「……山猫の爪を掃討するために分隊の編成を要請したのだけど、部隊長に申し出を突っぱねられたわ」
セレナはジョッキの水面を睨め付けながら呟いた。
「それでやけ酒をしているわけか」
レグルスはセレナの席を見下ろす。木のテーブルの上には、すでに空になったジョッキが所狭しと放置されていた。すでにかなりの量飲んでいるようだ。
「随分と酔っているようだが」
「別に酔っていないわ……」
セレナは「ひっく」としゃっくりを漏らした。頬にはうっすらと朱が差し、目はとろんとして据わっている。
「だが――」
「酔ってない!」
「…………」
『酔ってる人間ほどそう言い張るのよね』とアウローラが苦笑の声色を出した。
「レグルス、あなたも座りなさい」
「ん?」
「私と話すのに、立ち話で済ませるつもり?」
「…………」
レグルスは言われるがままに渋々席についた。何か言葉を挟もうものなら、面倒なことになると容易に想像できたからだ。
「さっきの話についてだが――」
「乾杯」
「え」
「まずは乾杯が先でしょう?」
そう言ったセレナは、大仰に手を挙げて「彼にも同じものを」と注文した。
カウンターの内側にいた店主と見られる男が、恐る恐るジョッキを運んできた。樽形の容器にはエールがなみなみと注がれている。
レグルスは渋々セレナと乾杯をすると、ジョッキの酒を一息に飲み干した。明らかに質の悪い酒の味が喉元を通して臓腑に広がった。
「ふふ、中々いい飲みっぷりね」
上機嫌な様子を見せるセレナに、レグルスは今度こそ尋ねる。
「それで? 要請を却下された理由は」
「下層街の住民たちが反乱を企てでもしているならまだしも、薬物の根絶程度にわざわざ人員を割く必要はないとのお達しだったわ」
セレナは苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
「むしろ、彼らが薬物に溺れるのは好都合だと言わんばかりだった」
下層街の住民が薬に溺れていれば、不満の矛先が向けられることはなくなる。為政者としてはその方が都合が良いということだろう。
「だけど、それだけではないと思うわ。騎士団は明らかに山猫の爪に干渉することを避けようとしているようだった」
「ホルスによると、随分と好戦的な連中だそうだが」
「ええ」
「だが女騎士はビキニアーマーを身に付けている。連中が牙を剥こうと、造作も無く一網打尽に出来るはずだ」
「女騎士はね。けれど、皆がビキニアーマーを装備しているわけじゃない。上層に住む市民の大半は生身だもの」
セレナはそう言うと、
「上層の女性たちはビキニアーマーなんて身に付けていない。なら彼らを刺激すれば報復の相手はそちらに向かう」
「そうなれば大勢の死傷者が出ると」
レグルスの言葉にセレナは頷いた。
「もっとも彼らが本当に報復をするかどうかは分からない。それをすれば騎士団は大々的に彼らの殲滅に動かざるを得なくなるから。だけど、自分たちの身を顧みずに報復を仕掛けてくるのではないか――そう思わせるほどの狂気性が彼らにはある。だからこそ、騎士団は彼らに手を出すことができない。たとえ、ストロングを蔓延させているのが彼らだと分かっていたとしても。上層の女性たちに危害を加えられることがあれば、騎士団はその責任を問われることになるから」
「なるほどな」
上層の女性たちに危険が及びうる以上、騎士団は動くことができない。
下層街の住民が山猫の爪に薬漬けにされて苦しんでいる分には、少なくとも騎士団が責任を問われることはない。この国の男に人権はないからだ。
「上からは忠告されたわ。勝手な真似は慎むようにと。だけど、今の状況を放っておいていいとはとても思えない」
「どうするつもりだ」
「騎士団の手が借りられないのなら、私一人で成し遂げてみせる。成果を挙げてしまえば誰からも文句は言われない」
セレナはジョッキの酒を一息に飲み干した。
「山猫の爪を壊滅させる。報復できないほど完膚なきまでに」
空になったジョッキをテーブルの上に叩きつけると、その底に想いを吐露した。
「それに手柄を立てることができれば、騎士団内での地位も得られる。そうすればこの街を変えることも出来るかもしれない」
そして苦々しい面持ちを浮かべると、思い出すように呟いた。
「女には俺たちの苦しさは分からないと――そう男の人たちに言わせてしまうような、今の街の状況を私は変えたいから」
たとえ、彼らが歴史的な大罪人であったとしても――人間である以上、守られなければならない領域はあるのだから。
そう呟いたセレナが虚空の先に見据えるのは恐らく、あの日の光景なのだろう。
滅びの道に続くと分かっていて、薬に手を出していた男の言葉。
これ以上過酷な現実で生きるくらいなら、夢の中で死んだ方がマシだ。俺たちの苦しみは女のお前たちには分からない――。
「酔っているのか」
「だから酔ってないと言ってるでしょう」
そう否定すると、水泡のようにぽつりと呟いた。
「……それに酔った時ほど人の本性が出ると言うわ。仮に酔っていたとしても、今口にしてるのは素面の時以上に私の本心よ」
「――そうか」
その言葉が嘘でないことは分かった。セレナは現状を変えたいと真剣に考えている。
「邪魔したな」
レグルスはおもむろに席を立つと、店から出ていこうとする。
「もう行くの?」
「ああ」
「付き合いが悪いのね」
「暇じゃないんでな」
レグルスは軽口を叩くと、セレナに告げた。
「奴らの殲滅に向かう時は俺にも声を掛けろ」
「……え?」
「お前に死なれたら、上層に連れていくという約束も反故になる。だから、それを果たすまでの間は力を貸してやる」
セレナはぽかんと呆気に取られたような表情を浮かべていた。しばしの沈黙の後、ふっと口元に微笑を浮かべた。
「…………ええ、そうだったわね」
その言葉の輪郭は丸みを帯びていた。
「私は信用を大事にする人間だから。一度交わした約束を破ったりはしない」
自分に言い聞かせるようにそう言うと。
だから、とセレナはレグルスを見据える。思わず逸らしてしまいたくなるほどの、真っ直ぐな眼差しで。
「もう少しだけ、私に力を貸して」
「ああ」
「……ありがとう。あなたがいてくれると心強いわ」
酔っているからか、それとも素面なのか。
いずれにしても。
セレナがふとこぼした言葉は彼女の本心を映しているように思えた。
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