第12話 鉄鼠の歯

 夜も更けた頃、レグルスはホルスに連れられて家を出た。

 何やら紹介したい者たちがいるのだという。


 しばらく歩いた後、辿り着いたのは路地の片隅にある一軒の建物だった。石造りのその建物は人目を避けるかのようにひっそりと佇んでいた。


 扉を開けて中に入ると、そこは酒場のようだった。

 開けた空間に木製の丸テーブルがいくつも並んでいて、奥にはカウンターがある。店内にはボロ布の服を着た男たちが集まっている。

 全員で二十人くらいだろうか。


「ここは僕たち【鉄鼠の歯】のアジトです」

「鉄鼠の歯?」

「過酷な環境ですから、コミュニティーを形成しなければ生きていけません。相互互助のために徒党を組んでいるんです」

「……なるほどな」


 レグルスが貧困街にいた頃も似たような組織はあった。いくつかの勢力が貧困街の権力を巡って対立していた。恐らくはこの街も同じようなものだろう。


「ちなみにここは酒場も兼ねています。と言っても、環境が環境ですから。水みたいに薄い酒とマズい料理しか出せませんが」


 アジト兼酒場にいる男たちはレグルスの方を品定めするように見ていた。敵意と警戒心が綯い交ぜになった鋭い眼差し。


 貧困街に住む者の目つきは大きく二つに分けられる。

 過酷な現実から目を背けるように無気力な目つきになる者。そして過酷な現実と向き合うために荒んだ目つきになる者。

 彼らはどうやら後者のようだった。


「皆、聞いてくれ。彼がレグルスさんだ」


 ホルスはレグルスを組織の皆に紹介する。


「レグルスさんは女騎士に粛正されそうになっていた僕たちを助けてくれた。それどころか奴らのうちの一人を討ち倒したんだ」

「女騎士を倒しただって……!?」


 男たちの間からどよめきの声が上がった。


「僕も実際に目の当たりにするまでは信じられなかった。まさかあの強靱な女騎士たちに一矢報いることが出来る人がいるなんて」


 ホルスはその時の光景を思い返すようにして言った。


「僕たちはこれまでずっと女騎士たちに支配されてきた。劣悪な労働環境、飢えや病気の脅威に常に晒され続け、生殺与奪の権を握られて、いつ彼女たちの機嫌を損ねて殺されるのではないかと怯えながら震えて生きる毎日――」


 だけどそれももう終わりだ、と力強く言い切った。


「レグルスさんがいればこの状況を変えられる。女騎士たちを打倒できる。今こそ僕たちも立ち上がって戦うべき時だと思う」

「確かにそうだ……」

「彼がいれば女騎士たちを倒すことも夢じゃない……!」


 アジトの男たちの口調は熱を帯びていた。

 これまで抑圧され続けてきたことで溜まっていた激しい想いが、閉じていた蓋から今にも噴き溢れんばかりに昂ぶっていた。

 しかし――。


「冗談じゃない」


 冷や水をかけるように、テーブルの一角から声が上がった。

 周囲の視線を集めていたのは、眼鏡を掛けた神経質そうな男だった。眼鏡のアーチ状になった部分を指で押し上げながら、眉間に深い皺を寄せている。


「レオパルド……」

「その男が凄腕の剣士だったとして、たった一人で何が変えられる? 相手が何人いるのか分かっているのか?」

「それは……」

「騎士団だけでも何千人といるんだ。その上に騎士団長と女王もいる。彼女たち全員をたった一人で倒すなんて夢物語だ」


 レオパルドは冷静に諭すように言う。


「それに女王のウルスラは千年前の英雄大戦で大陸全土を統一した最強の剣士だ。そんな傑物相手に太刀打ち出来るわけがない」

「だから僕たちが力になれれば……」

「我々に出来ることなんて何もない。命を無駄に散らすだけだ。お前だって、それくらいは分かってるだろう」


 そして熱を冷まして現実に引き戻すように言った。


「ホルス。お前は今、舞い上がっているだけだ。抑圧された過酷な日々の中で、そこから抜け出すための口実を探している。だから単なる糸くずを、地獄から抜け出すための希望の糸と空目してしまっているんだ。その糸はどこにも通じてはいない。掴もうとすれば闇の底に落ちていってしまう」 

「…………」

「現状維持で構わないじゃないか。そうすれば少なくともすぐ殺されることはない。今日一日は生き延びることができる」 

「……だけど、それじゃ明日はこない」


 ホルスは反論の言葉を口にする。


「レオパルド、お前だってこのままで良いとは思ってないだろう?」

「…………」


 言葉を詰まらせると、レオパルドは忌々しげにホルスを睨み付ける。まるで怯まないホルスの様子を見て目を逸らすと、不愉快さを表情に滲ませながら吐き捨てた。


「……夢を語るのは結構だが、それをこちらに押しつけるのはやめてくれ。君たちの心中に私を巻き込まないでくれ」


 突き放すように言うと、他の男たちも追随するように呟いた。


「……まあ確かにそうだよな。俺たちが反旗を翻しても何も変えられない。女騎士たちの支配からは逃れられない」

「妙な真似をして目を付けられたら粛正されるのがオチだ。それなら今みたいにひっそりと生きてる方がマシだよな」


 あのレオパルドという男は恐らく組織の中でも一定の地位にあるのだろう。彼の言葉は他の者たちの指針になっているようだ。


「……レグルスさん、すみません。仲間の協力を得られると思ったのですが」

「別に構わない」


 レグルスは謝罪するホルスに応える。


「俺は元々一人で奴らを殲滅するつもりだった。他の者の助けは必要ない。足手まといがいても邪魔なだけだ」

「んだとぉ……」


 虚仮にされた組織の男たちは敵意を剥き出しにして睨み付けてくる。

 だが、レグルスはどこ吹く風でそれを受け流すと――。


「ところで、この店は繁盛してるのか?」

「え?」

「外に客が大勢来ているようだが」


 その言葉に酒場内は静まりかえった。

 互いに不安げな顔を見合わせる男たちの様子を見て確信した。


「どうやら招かれざる客らしいな」


 次の瞬間、酒場の扉が乱暴に開かれた。

 けたたましい足音を響かせながら、女騎士たちが雪崩れ込んでくる。正面の扉と裏口は瞬く間に塞がれてしまった。


 騒然とする他の者たちを尻目に、レグルスは敵の戦力を見やる。


 ビキニアーマーを着込んだ女騎士たちが十人ほど。

 その中に浮いた存在がいた。

 ビキニアーマーではなく、ただ一人普通の鎧を身につけた彼女は、先ほど少年を助けていたセレナと呼ばれていた女騎士だった。


「あの女は……」

「レグルスさん、彼女を知っているのですか?」

「ああ。見たことがある程度だが。有名なのか?」

「セレナ=コールドプレイ。第五部隊の女騎士です。騎士団でただ一人、ビキニアーマーを身につけていない異端の女騎士」


 ホルスはそう言うと、苦い表情になった。


「……役職こそありませんが、その実力は騎士団でも随一です。単純な剣の腕前では、部隊長にも比すると称されるほどに」

「ほう」

「けれど、どうして彼女たちがここに……!?」


 先頭に立っていた、隊長と思しき女騎士が不敵な笑みを浮かべる。


「貴様らが何やら反乱を企てているという触れ込みがあった。事実であれば、国家に仇成そうとする者たちを根絶やしにせねばなるまい」

「は、反乱!?」

「そんなの謂われのない虚言だ!」


 男たちは皆、取り乱しながら疑いを否定しようとする。しかし――

「エライザ分隊長! 店内に多数の武器が!」


 部下の女騎士が店の奥――カウンターの内側から声を響かせた。

 床の木板、そのうちの一枚を剥がした下には小部屋ほどの空間が広がっていた。

 そしてそこには剣や槍、槌などの武器が格納されていた。木箱に詰めこまれた武器類を見た男たちは狼狽する。


「おいなんだよこれ! 知らねえぞ、こんなの!」

「いつの間に持ってきたんだよ!」

「誰かに嵌められたんだ! ちくしょう!」


 レグルスは貧困街で多くの人間を見てきた。嘘をついたり、取り繕っている人間は顔や声色から見抜くことが出来ると自負していた。


 彼らの反応を見るに――誤魔化したり白を切ろうとしているわけではなさそうだ。


 だとすれば特定の誰かが持ち込んだ。身内かあるいは下層街の他の組織か。女騎士に情報を流したのも恐らくはその者だろう。


「この国での男性の武器の所持は固く禁じられている。……これらは反乱を起こすために準備したものに間違いないな」 


 実際に武器を目にしたことで分隊長――先ほど部下にエライザと呼ばれていた女――は確信を深めたようだった。


「知っているか? 最近、女騎士が一人鉱山でやられてな。彼女のビキニアーマーの胸部の魔核は粉々に砕かれていた。

 ビキニアーマーはたとえば落石のような事故で砕けるほどやわではない。彼女は何者かの襲撃を受けたと見て間違いない」


 エライザの目つきが鋭くなった。


「それに……王都の門番の女騎士たちも同じく胸部の魔核を砕かれていた。外敵が王都に侵入したと見るべきだろう。

 ビキニアーマーの装甲を破ることができる者など聞いたことがない。彼女たちを襲撃した者は相当の使い手に違いない。そしてその人物はこの中に紛れている可能性がある。私たちに牙を剥くために。ならば処分しなければならない」

「…………」

「物的証拠がある以上、言い逃れはできん。貴様らには然るべき鉄槌を下す」


 エライザは腰に差していた剣を抜くと、胸の前に掲げて叫んだ。


「たった今より、反逆者たちの粛正を開始する!」


 背後に控えていた女騎士たちは一斉に剣を構えた。


 男たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出そうとする。

 だが出入り口は全て塞がれている。

 逃げ場を失った彼らは為す術もなく女騎士たちに斬り伏せられていった。瞬く間に酒場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


「どいていろ」


 レグルスは逃げ惑う男たちの前に立つと、女騎士たちと向かい合う。


「ひゃはははは! ぶっ殺してやるよ!」


 飛びかかってくる女騎士――その勢い任せに振り下ろされた剣を、レグルスは腕の長さほどの布袋によって受け止める。

 その瞬間――布袋が開放され、覆い隠されていた魔剣アウローラの姿が顕現した。


「なっ……!?」


 攻撃が受け止められたことと、魔剣の放つ異様な迫力を目の当たりにして、女騎士の目に怯えの色が過った。

 レグルスは女騎士の剣を弾き飛ばすと、彼女をそのまま斬り伏せる。ビキニアーマーの胸部の魔核が粉々に砕け散った。


「「っ!?」」


 それを見た他の女騎士たちの表情が変わった。


『ふふ。ようやく息苦しさから解放されたわね』

「存分に暴れさせてやる」

「……なるほど、お前か。鉱山と門前の女騎士たちを倒したのは」


 分隊長の女騎士――エライザが低い声を発し、レグルスを鋭く見据えた。


「さあ、どうだろうな」

「貴様のような危険分子を野放しにしておくわけにはいかん。私がこの場で斬り伏せる」


 エライザが剣を構えると、レグルスも呼応するように構えた。


「受けて立とう」

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