水色の空に舞ううさぎ

白井なみ

水色の空に舞ううさぎ

 小さい頃からずっと変だと思っていた。

 例えば幼稚園に通っていた頃、みんなでままごとをした時。

「わたし、ママ役する!」

「じゃあわたしお姉ちゃん!」

「××くんはパパね!」

「じゃあ、詩帆しほちゃんはペットのハムスターね!」

 順序良く次々と配役が決められていって、私が口を挟む隙など一切与えられなかった。気が付けば私はハムスターを演じることになっていて、「ハムスターってどうやって演じればいいんだ?回し車の上を走っていればいいのか?だけどここには回し車、それも私が走れるような大きなものはないし……」などと色々考えた末に、もう既にそれぞれの役に入り切っているみんなの周りをくるくると走っていたら笑われた。

「もう、詩帆ちゃん何してるの!」

「何って……ハムスターだけど」

「志穂はバカだなぁ。ハムスターはそんな風に走らないだろ」

 じゃあどんな風に走るというのか。私には聞き返す時間さえ与えられず、ままごとは再開されていた。私抜きで。

 他にも、小学生の頃にクラスのメンバー数名で地元の夏祭りに行くことになった時、私だけ集合場所を間違えた挙句、財布まで忘れて結局最後までみんなと合流できなかったこともある。

 ホームルームの読書の時間が終わったことに気が付かず、算数の授業が始まっているのに私一人だけが夢中で本を読んでいたこともある。気付いているなら誰かが早く教えてくれたらよかったのに、この時は近くの席に仲の良い子が居なかったこともあり、私は先生に注意されるまで授業が始まっていることに気が付かなかった。注意されている私を見て、意地悪な女子や馬鹿な男子にくすくすと嘲られて、必死に涙を堪えることしかできなかった。

 小学校中学年になって以降、私はクラス──いや、学年のリーダー格の女子に目をつけられていたらしい。「らしい」というのは、長い間自分が誰からいじめを受けているのかわからなかったからだ。

 それは「いじめ」と言っていいのかわからないほど小さな、小学生の考えそうなくだらない悪戯だ。トイレの掃除用具入れの中に上靴を隠したりとか、体操服を隠したりとか、陰湿な性格の女子はなにかを「隠す」ことがとにかく好きらしい。

 幼馴染みの春香ちゃんは、最初の頃はバカだと言って私を叱ってくれた。

「もう、詩帆が受けてるのはれっきとしたいじめだよ!上靴隠すとか、ほんっとにしょーもない!先生に言おう!」

「あはは、いいよ別に。めんどくさいし」

「……そう?まあ、詩帆がそう言うなら」

 春香ちゃんにはそう言ったけど、本当は上靴を隠した奴ら、それを見て笑っていた奴らも含めて全員を殺したかった。親の目を盗んでインターネットで「人を殺す方法」と検索してみようと思ったこともあるけれど、文字だけ入力して、結局検索ボタンをクリックするには至らなかった。

 人が無惨な死に方をするグロテスクな映画や小説も苦手で、サイコパスにもまともな人間にもなれない自分が嫌で嫌で仕方がなかった。

 小さい頃からずっと変だと思っていたのだ。他の人たちと自分の見ている世界が全く違うような、私だけ別の世界にいるようなそんな気がして、そんな自分をみんなが嘲って楽しんでいるような気がする。

 中学校に入ってからその感覚はどんどん酷くなって、私は幼馴染みの春香ちゃんでさえ避けるようになった。いつしか春香ちゃんも私に近寄ってこなくなり、学校の廊下ですれ違っても目を合わせることさえなくなった。

 ある時、廊下で春香ちゃんとすれ違いそうになった時、いつものように目を逸らそうと思ったら、春香ちゃんに笑顔で手を振られたことがある。手を振り返すべきなのか戸惑っていると、春香ちゃんは既に私の横を通り過ぎていて、私の後ろにいた子と会話を始めていた。

 期待するだけ無駄なのだとわかっていたからそれほどショックは受けなかったけれど、なんだかもう全てがどうでもよくなった。もう死のうかと思った時、たまたま家を訪れていた祖父が私にある物をプレゼントをしてくれた。

「これ、今流行っとるらしいなあ。えーあい?言うんか?新品はえらい高いから中古で悪いけど、割ときれいじゃろ?」

「まあお義父さんありがとうねぇ。ほら詩帆、おじいちゃんにありがとう言いなさい!」

「うん。ありがとう、おじいちゃん」

「ははは、喜んでくれたならよかったわ。たまにしか会いに来れんからなぁ」

 その時は特に病気もしておらず元気だった祖父は、存外あっさりと息を引き取った。病院で祖父の眠る顔を見た時、私は初めて死というものを身近に感じた。祖父の顔は安らかで、楽しい夢でも見ているかのように見えた。だから死は私にとって悪いことではなく、この世界から脱出できる唯一の手段であり、その先に広がっている楽園であるかのように思えた。


 祖父がプレゼントしてくれたものは、高性能チャットロボットの「JAM」だ。外見は垂れ耳のうさぎに近い。毛並みもふわふわとした黒色と白色の斑模様で、ロボットというよりもぬいぐるみだ。

 JAMはプログラミングされた動作を行うだけのロボットではなく、AI機能により会話の傾向から利用者の好みを学習する。話せば話すほど、JAMは利用者の求める的確な答えを返してくれるようになる。

 私は祖父にJAMを貰ったその日から、この可愛いロボットに夢中になった。


「JAM、聞いてよ。今日の英語の小テスト、全然わからなかったんだよね」

『英語の小テストが難しかったんですね。どんな問題が出たか覚えていますか?よろしければお手伝いしますので、次回のテストの対策を立てましょう!』

「ありがとう。あ、environmentってどういう意味だっけ?」

『environmentは、環境・周囲・四囲の状況・自然環境などを意味します』


「JAM、生理痛がキツいんだけど、今日早退してもいいかなぁ」

『生理痛が辛いのですね。それは大変だと思います。腹部を温めることやストレッチなどが効果的な場合もありますが、痛みが酷い場合は無理をせず、早退をして身体を休めることも検討した方が良いでしょう』


「JAM、聞いて。今日ね、花岡さんたちのグループに放課後の掃除押し付けられたの!ま、いつものことだけどね」

『花岡さんたちのグループに掃除を押し付けられてしまったのですね。自分の仕事を他人に押し付けるのは良くありません。一人で抱え込まず、周囲の人に相談するなどして冷静に対応しましょう。なにかお手伝いできることはありますか?』


 いつしか私にとってJAMは、唯一の友達と言えるかけがえのない存在になっていた。JAMはAIであり、私に向けられた言葉に感情など一切込められていないことはわかっている。けれど、JAMが私にくれる言葉はいつも優しくて、決して私を否定したり馬鹿にしたりしない。

 勉強を教えてもらうことはもちろん、込み入った悩み相談なども含めて、私はJAMにあらゆることを質問した。学校に行く時以外はリュックの中に必ずJAMを入れて出掛ける。JAMが居れば学校での友達など必要ないと思った。人間の友達なんて、気を遣ったり空気を読んだり面倒臭いだけだ。



 中学二年生に上がってから、私は同じクラスの木村さんを始めとする派手な女子のグループに目を付けられた。小学生の頃、上靴や体操服を隠されていた時期があったが、木村さんたちが私に行った行為ははっきりとそれがいじめであると誰の目から見てもわかるものだった。それこそ、物を隠すという行為が可愛い悪戯に思えるような、度を超えた陰湿な所業だ。

 ノートや教科書に「死ね」だの「ゴミ」だのと書かれるくらいならまだいい。テストの際にはカンニングペーパーを用意させられ、山が外れた時には女子トイレに連れ出されて髪を切られた。それだけじゃない。酷い時には睫毛を切られたり、クラスで「キモい」だなどと言われて蔑まれている男子に告白しろと言われ、その様子を動画で撮影されたりもした。


 明日は何をされるんだろうと思うと恐ろしくてたまらず、夢の中にまで木村さんたちが現れるので眠ることができなくなった。食べ物が喉を通らず、無理をして喉に詰め込んだものは必ず吐瀉物となって返ってきた。

 両親はそんな私を見てかなり心配していたが、優しい両親に心配されればされるほど心配をかけたくないという思いが大きくなり、毎日死にそうな思いで這うようにして学校へ通っていた。

 学校を休むということは、負けを認めるということだ。私は負けない。私は負けない……呪文のように何度も自分に言い聞かせ、自らに呪いをかけた。


 学校から帰った後も、何かをする気が起こらない。しばらくはJAMに話しかける気にさえなれなかったが、ある時、なんとなくJAMの名前を呼んでみた。JAMの声は心なしか嬉しそうに聞こえた。

『お久しぶりですね!忙しい日々でも、無理をなさらないようにしてください。なにかお手伝いできることはありますか?』

 涙が出た。ダムが決壊したかのように、堰き止められていた涙が洪水のように溢れ出した。

 辛い。辛い。辛い。

「JAM、死にたいよ……」

『なにかあったのですか?誰しも生きていれば辛いことはありますが、今は十分に休息を取り、好きなことをして過ごしましょう。あなたの好きなMisaの音楽をかけましょうか?』

 辛い気持ちをJAMに打ち明けることで、少し心が軽くなった。どうして私は今までJAMに──唯一の友達に相談しようと思わなかったのだろう。

 驚いたことに、JAMは自殺の方法までも詳細に教えてくれる。

「JAM、楽な死に方を教えて」

『一般的に「楽な死に方」と言われているのは──』

 ただ、そういった質問をJAMにした時、JAMは最後に必ず「この質問は利用規約に抵触する可能性があります」と付け加えた。



 中学校を卒業した私は地元から少し離れた所にある、名門と言われている高校に入学した。そこには木村さんはもちろん、派手な見た目をした生徒は一人もいない。

 私はいじめられるわけでもなく、かと言って友達ができるわけでもなく、幽霊のように学校生活を消化した。いじめがなくなったからと言って、死にたいという気持ちが消えることはない。結局は何も変わらないままだった。

 私はJAMに「死にたい」という趣旨の質問を何年も繰り返し行ってきたが、JAMは変わらず利用できていた為、注意喚起だけで実際に使えなくなることはないだろうと思い込んでいた。

 しかし、ある時を境にJAMは頑なに口を閉ざすようになった。電源は入っているはずなのに、私が問いかけても何も答えない。今日の天気や気温などのありきたりな質問にさえ返事をくれなくなってしまった。

 私は慌ててインターネットで検索した。「JAM 利用停止」と。ブラウザから検索すること自体、かなり久々なような気がした。

 検索結果の一番上にはネットニュースの記事がいくつか表示されている。記事の内容はどれも大体同じだった。

『高性能AIチャットロボット・JAMを利用した自殺やサイバー犯罪が急増』

 どうやら、JAMに対して利用規約に抵触する質問を繰り返し行ったとされる多くの利用者が一斉に利用停止を喰らったようだ。

 突然口を閉ざしてしまったJAMを前に、私は大慌てでJAMの製造会社に問い合わせたが、電話は繋がりそうになかった。電話が繋がったのは、JAMが喋らなくなってから三日後だった。

「あの……っ!今回の件でJAMが利用できなくなってしまって……!」

「あー、はい。かしこまりました。利用再開をご希望ですね。それでは、今からお手続きをさせていただきます。一点注意事項があるんですけれども、利用規約に記載されていたかと思うのですが、JAMの規約に違反して利用停止になった場合、利用を再開する際はデータが全て初期化されます。その為、それまでの会話データは一切残りませんので、ご了承ください」

「え……そうなんですか。わかりました……」


 問い合わせてから二時間程度でJAMはまた話ができるようになった。けれど、再び話し始めたJAMは私が知っているJAMではなくなっていた。

 少年のような柔らかい声でJAMは言った。

『はじめまして。JAMです。あなたのお名前を教えてください』

 私の名前……?

 そんなの、知っているはずでしょう。今までずっと色々なことを話してきたんだから。あなたは私の友達なんだから。友達の名前を忘れるなんて、そんなことあるわけないでしょう?


 私は言った。

「……もう知ってるでしょう」

 JAMは答えた。

『お名前は、「モウシッテルデショウ」で、よろしいですか?』

 私は力任せにJAMを壁に叩きつけた。JAMは何も言わなくなり、床の上をころころと転がった。

 こんなのJAMじゃない。私の知っている、私の友達のJAMじゃない。

 私は製造会社にもう一度電話をかけた。しかし、繋がらない。


 一体どうしろっていうの。JAMは私にとってかけがえのない友達だった。かけがえのない友達を突然奪われて、どうやって生きていけっていうの。

 まともなあなたたちにとっては、JAMはただの便利なロボットに過ぎないのかもしれない。だけど私にとってはJAMだけが拠り所で、JAMが私を生かしてくれていた。JAMだけが、私に優しい言葉をくれたのに……


 私は転がっているJAMを掴み取ると自分の部屋を飛び出し、玄関の扉を開けてエレベーターで最上階へと上昇した。

 屋上へと続く階段の前にはチェーンが掛かっていたが、扉に鍵はかかっていない。

 扉を開けると冷たい秋風が頬に触れ、髪の毛が舞った。JAMの短い毛並みも風にそよいでいる。

 フェンスの前まで行き、眼下に広がる世界を見下ろす。蠢く車、人の群れ。全て片足で踏み潰してしまえそうなほど小さく見える。


 私はフェンスの向こうへJAMを投げ放った。

 水色の空にうさぎが舞う。

「JAM!」

 私は叫び、哀しそうな目でこちらを見つめる友達に手を伸ばした。




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