第3話 自発的隷従論 (福沢諭吉の言葉)

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  明治維新の頃の日本人は、福沢諭吉の言葉を借りると、


  「我が国の人民は数百年の間、天子があるのを知らず、ただこれを口伝えで知っていただけである。維新の一挙で政治の体裁は数百年前の昔に復したといっても、皇室と人民の間に深い交情(相手に対する親しみの情)がある訳ではない。その天皇と人民の関係は政治上のものだけであり、新たに皇室を慕う至情をつくり、人民を真の赤子(せきし)のようにしようとしても、今の世の人心と文明が進んだ有り様では非常に難しいことで、殆ど不可能である。(『文明論の概略 第十章』福沢諭吉全集第四巻 一八八頁)」


実際に明治政府は、各県に「人民告諭」を出して、日本には天皇がいると言うことを、人々に教えなければならなかった。

例えば、奥羽人民告諭には「天子様は、天照皇大神宮様の御子孫様にて、此世の始より日本の主にましまして・・・・・」などと言っている。

この人民告諭は、天皇のことを一番知っているはずのお膝元の京都でも出された。

今の私達に比べて、当時の日本人は天皇に対する知識がゼロだったのである。

当然天皇を崇拝し、従うなどと言う意識は全くなかった。

象徴天皇制の現在でも、多くの人が天皇を崇拝しているが、明治の始めに、一般民衆が天皇を崇拝するなど、考えられなかった。


一体どうしてこんな違いが生まれたか。


1889年に明治政府が、「大日本帝国憲法」を決めて「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス第3条天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と天皇を絶対権力者とし、1890年に教育勅語によって、「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス


(中略)


「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と命令されると、明治維新前に生まれ育ち、徳川幕府の権力の下に生きていた人達もラ・ボエシの言葉「G」、「H」の言う通りに、天皇の権力の支配を喜んで受け、その子供たち、孫たち、1945年の敗戦以前に生まれた人間は、ラ・ボエシの言葉、「I」、「J」、「K」の言うとおり、習慣として天皇制の軛につながれていたのである。


軍国時代になると、人々は天皇(と天皇を担ぐ政府)に自発的隷従をして、抵抗もせず勇んで兵士となり、死んで行ったのだ。

当時の新聞や雑誌、出版物を読むと寒々として、しまいに恐ろしくなる。

天皇に忠誠を誓う奴隷、自発的隷従者の言葉で満ちあふれているからである。


昭和天皇は敗戦後、戦犯として訴追されることを免れた。

天皇服を着て白馬に乗って軍隊を閲兵した大元帥で、日本全軍を率いて敗戦前は具体的に戦争の指示まで出していたのに、突然白衣を着て顕微鏡をのぞく実直な科学者に変身し、実は平和を愛する人間だったという、あっけにとられるようなジョークがまかり通り、人間天皇、象徴天皇として存在し続けたために、人々が天皇に自発的隷従をする習慣は簡単に消え去らなかった。



<引用終わり>



2024年1月11日

V.1.1

平栗雅人

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