宗教と正しさ

ピチャ

宗教と正しさ

 宗教って聞くと、それ大丈夫?とか怪しい商売してない?と心配される。

 その状況を変えられるとは思わないが、心配されたり時には強く否定されたりすると、チクリと心が痛む。


 私たちは、ただ存在するだけで間違っていると思われる。

 神社にお参りする人たちは、すべてがその祀り神を信仰しているわけではない。

 お守りにもしっかりとした効能があるわけではない。

 ただ私たちの生活に入っているものであり、多少あれど支えになっているものだ。

 それが好きな人もいる。全否定はしないでほしい。


 勧誘も、皆が皆悪徳なやり方をしているわけではない。

 科学を教えることは良いこととされるのに、宗教を教えることは煙たがられる。

 状況を理解するひとつの手段であることに変わりはないのに。

 そこに存在する意味が、必ずあるのに。


 あなたの「先生」、本当に正しいことを教えている?

 科学だって、今それが正しいとされているものであって、数年後には別説がテキストに載っている。更新され続ける、それこそが物事が進むということ。自分が停滞しているのに社会は都合よく更新されてほしい、そんな虫のいい話ってないよね。だから自分が進めていくんだよ。

 多数決は大事な物事決定の手段だけれど、多数が正しいとは限らない。死後に初めて評価される人だっている。正しい、ということほど曖昧なものはない。情報を各個人が取り入れて、そこから考え出されたものにすぎない。実はこれ、かなり地域差があるんだよね。自分の近くに何があるか、それに迎合しないと生きてこれなかったわけだからさ。


 そういうわけで、私たちの住む地域には私たちの価値観、世界観がある。

 それが好きでなくても、理解してくれるとありがたいな。この話はここでおしまい。

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宗教と正しさ ピチャ @yuhanagiya

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