第2話 乱世の奸雄
曹操について、書いていく。
彼の二つ名と言えば、「乱世の奸雄」。
そう評したのは、人物批評家の許劭である。
曹操が許劭にいつ会ったのか、はっきりとはわからない。
許劭に評価された後、二十歳で曹操は官僚としてのキャリアを始めるので、おそらく十八か十九の頃だろう。
無名の不良青年時代。
許劭に先立って、橋玄が曹操を高く評価した。
橋玄は109年生まれ。
霊帝の時代に、河南尹、九卿、三公を歴任した堂々たる大官僚である。
そんな男が、「きみは唯一無二の男だ!」と曹操に向かって言った。
「橋玄様、本当ですか……!」
曹操は感激した。
三公が、まだ定職にも就いていない若者をそんなふうに言うのは、ただならぬことである。
しかし、三公や九卿、河南尹がどのような高位かわからない現代日本人には、その言葉のとてつもなさが理解しにくい。
堅苦しい説明をするが、読んでほしい。三国志をしっかりと理解するために、必要なことなのだ。
河南尹は、地名であるとともに職名である。
洛陽県がある河南郡を、皇帝の御所があるため、特別に河南尹と呼ぶ。
また、その地の長官を河南尹太守とは言わず、単に河南尹と称する。
つまり河南尹とは、皇帝のお膝元の太守であり、太守の中の太守なのである。
三公は、皇帝の下に置かれる人臣の最高位。
行政をつかさどる司徒、軍事をつかさどる太尉、監察と政策立案をつかさどる司空の三官がある。
現代日本で言うと、司徒は内閣総理大臣に近い。
太尉は防衛大臣に当たるが、日本の大臣などより遥かに大きい強権を持っている。
司空は当てはめにくいが、無理矢理に言うと、内閣官房長官兼国家公安委員会委員長のようなものであろう。
九卿は、三公に次ぐ官職である。
太常、光禄勲、衛尉、太僕、廷尉、大鴻臚、宗正、大司農、少府の九官がある。
現代日本の各省庁の大臣のようなものとでも理解しておけばよいだろう。
わかっていただけただろうか。
要するに橋玄は、位人臣を極めた国家の最重要人物のひとりなのである。
金で官職を買える時代ではあるが、大過なく高位の職責を全うし、七十五歳まで生きた人。相当な大物。
そんな橋玄が、若い曹操のたたずまいを見て感嘆した。
「私は天下の名士を数多く見てきたが、きみのような者はいなかった。私は老いた。願わくばきみに妻子を託したいものだ」
さらに言った。
「天下はまさに乱れようとしている。天命の持ち主でなければ、救世はできない。天命はきみにある」
そのように絶賛して、許劭にも会って人物評価してもらいなさい、と曹操に勧めた。
この点、いささか奇妙である。
なにがおかしいのか、説明する。
橋玄は雲の上の人だが、許劭は単なる市井の若者なのである。
大臣が認めておきながら、人物鑑定が好きな学生にも評価を聞いておきなさい、と言ったようなもの。
不思議な時代であるとしか言いようがない。
許劭は150年生まれ。
人物評価家としては妙に有名だが、無位無官の人。
橋玄から見れば、仕事もせずに他人の批評ばかりしている若造でしかないと思うのだが、後漢末期の中国を、現代日本の尺度ではかることはむずかしい。
許劭は一定の尊敬を得ていたようだ。
なにはともあれ、曹操は許劭に会いにいき、自分の評価を求めた。
そのときの言葉が、曹操の二つ名となった。
「きみは治世の能臣、乱世の奸雄だ」
それを聞いて、曹操は喜んだ。
「奸雄か。それは面白い」
後に、彼はまさに乱世の英雄のひとりになるのだが、元からそういう野心を持っていて、その気持ちにぴったりの言葉をもらったから喜んだのだろうか。
そうではないと思う。
言葉が先で、野心は後だったのではないか。
「乱世の奸雄」と言われて、おれはそのようなものかと思い、曹操は言葉に合わせて自分をつくった。成長していった。
「天命はきみにある」と言われて、はっと自分の使命に気づき、そこへ向かって邁進した。
橋玄と許劭は、誉め言葉で、曹操を「人材育成」したのである。
曹操は、人生の指針を得て、喜んだ。
ちなみに袁紹は、有名な人物評価家である許劭になにを言われるか怖れて、会うのを避けたらしい。
低い評価をつけられたらたまらない、と思ったのだ。
袁紹はせっかくの成長のチャンスを逃し、曹操に差をつけられたと言えないこともない。
もし許劭が袁紹を鑑定したら、なんと言ったかは、永遠に不明となった。
ところで、「奸雄」とは、どういう意味だろうか。
広辞苑で調べると、「奸知にたけた英雄」と書いてあった。
奸知とは、同書によると、「よこしまな知恵。わるぢえ」。
奸雄には、悪い意味も込められているようである。
許劭は曹操に、悪人の面があると感じたのかもしれない。
橋玄が見抜いたとおり、曹操は唯一無二の男になっていく。
そして許劭が感じたとおり、大虐殺という悪をもしでかすことになる。
曹操とはいったい何者なのか、これからじっくりと追及していきたい。
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