【創作フェス】たべっ娘が~るず【スタート】

あんどこいぢ

【創作フェス】たべっ娘が~るず【スタート】

 スタートのはずだった。

 意に染まぬ政略結婚を破棄し、小男で喘息持ちの王子にザマァし、旅から旅への騎士で真実の王子の彼との冒険の日々へ……。実際彼はこういったのだ。

『イサクって国の名を聞いたことあるかい? 伯父貴も国の名まで変えられっこないんだが……。でも俺、絶対俺の国を取り戻すよ。将来の王妃のあんたに誓ってね』

 王妃の座への招待──。それは彼女、アナベルにとって二度目の栄光だった。しかし二度目は一度目より遥かに輝いていた。以下はアナベルが婚儀を整えてきた父に放った、国一番の美女としての〝当然の言葉〟だ。

『嫌よッ、お父様! 東の涯のこんな国は! 城壁を一歩でれば卑しい矮人たちの荒野! 嫌よッ、お父様! 田舎者のあんな王子は! 矮人の取り替え子だって噂だってあるじゃない! お父様は海の向こうの文明国まで遥かに旅し、かの地の王侯貴族たちと取り引きなさっているのでしょう? だったら貴方の手の内の生きた宝石を、こんな地の涯に埋もれさせないで!』

 彼はその婚礼のため父に雇われた吟遊詩人だった。

 政略結婚に塞ぎ込む娘を気遣い、父はビッグビジネスの相手方の王家を差し置き、彼を彼女に最初に引き合わせたのだった。

 ベッドに突っ伏し泣いていた彼女のドアを、彼はそっと開け、その傍に立った。

『俺、お父上から頼まれてお邪魔したってとこなんだけど、困つちまたったな、俺の抒情詩が意に染まぬ結婚の慰めになるとは思えない』

『なら、叙事詩を……。その詩もきっと将来の旦那様とは月とスッポンで、結局この私を泣かせることになるでしょうけど……。私を泣かせてください』

 父の計算違いは彼が少なくとも自称は〝亡国の王子〟で、吟遊詩人は仮の姿だったということだ。

 しかし、偽の王子の嫌疑は取り敢えずは婚約者殿のほうへ……。それでその吟遊詩人が本物の王子に成りおおせるというものでもないはずなのだが……。

『王子というが、あれはないな。絶対王子なんてタマじゃない。取り替え子だって? 本当にそうかもしれない。とにかくニオイが違うんだよな。いまは浪々の身のこの俺がいうのもおかしなものだが、諸国を経巡り、数々の王宮に伺候し、王侯貴族なんかべつに珍しいもんだとは思っちゃいない俺にとっちゃ、あいつはかえって南方の珍しいお猿さんのように見えるね』

『お猿さん? お猿さんたちの王子様? 矮人たちの王子様じゃなくって?』

 悲恋へと傾くそうした語らいの合間合間に、その敵対者に対する悪口雑言という絶妙なスパイスが加わった。迫りくる不幸に脅えつつも、至高の日々だ。

 二人の語らいの場は彼女の部屋から、この辺境の都邑を見おろす小高い丘に移った。

 婚礼衣装の仮縫いの際も上の空、嫁入り道具選びにもまったく興味を示さない娘に、花嫁の父はさすがに不安を感じたようだ。彼女の頬が艶やかな薔薇色に染まっていくのも、かえって不安だった。だが吟遊詩人というのは完全にノーマークだ。吹っ切れたんだろう、……父はそう思うよう努めた。

 他ほう問題の婚約者殿、アナベルにいわせれば偽の王子ということになるのだが、彼のほうは、彼女の父よりハッキリ事態を認識していたようだ。

 というのがあるとき、丘の上へと続く二人の語らいの小径の先から、当の婚約者殿が降りてきたのだった。

 アナベルは彼女がいう真の王子の二の腕に頬擦りせんばかりに体重を預け、道々接吻を交わしながら辿ってきた一本道だ。

 真の王子の二の腕がグッと硬くなった。

 しかし偽の王子のほうはまったく気にしたようすもなく、

『やあ』

 と微笑とともに語りかけてくる。悲恋の恋人たちがその笑顔を卑屈と取ったのは当然だっただろう。

 ふと見ると偽の王子も、真の王子どうよう亀甲でできた竪琴などを小脇に抱えている。

『この丘は僕の練習場だったんだけどね。こう見えて武門の嫡子だ。家で竪琴なんか引いてられないんだよ。でもその秘密の場所も盗られちゃったみたいだね。ねえ吟遊詩人さん、僕はあなたが羨ましいよ。僕も剣でなく詩で起ちたかったな』

 詩人、そしてアナベルの真の王子は応えた。

『そりゃ甘いよ、王子さん──。詩人だって叙事詩の種を求め、戦場を駆けなきゃならないときだってあるんだ。いつも本陣でデンとしてる武門の大将さんなんかより、よっぽど修羅場だってくぐってるんだ』

 国一番の美女をめぐって一触即発の状況だったが、意外にも婚約者殿のほうがあっさり道を開けた。

『なるほど、確かに……』

 二人が上へいこうか躊躇して固まっていると、婚約者殿は路肩を歩いてさっさと市内へと降りていってしまう。

 恋の詩人が声高に叫んだ。

『この無礼を、なんとも思わないのですかッ? 何か一ことないのですかッ?』

 去っていく背は何も応えない。

 そうこうする内、婚礼の日がいよいよ迫ってくる。アナベルも彼もそれぞれ忙しくなり、丘の上での恋の語らいもなか二日空き、三日空きと、櫛の歯が欠けるようになっていった。

 となると苛立つのは大抵女のほうだ。

 あるとき廊下で見た彼を手近な客間に引き擦り込み、互いの前歯がガチガチ鳴るような接吻の合間に、一気に捲くし立てた。

『いますぐこの場で私を奪って! 私の純潔をあんな猿の生け贄にしないで!』

『ちょっ、ちょっと待ってよっ、お嬢さんっ』

『お嬢さんっ? 結局あなたも私を置き物にして、白い肌の下の赤い血潮にも触れず、悪い夢だったと決め込みさっさと去っていくっていうのっ?』

 すると彼は多少ムッとしたようすになり、彼女を壁に押しつけその口を掌で塞ぎ、

『分からねえ女だなあ』

 とややヤクザっぽい調子を交えていった。

『俺だってちゃんと考えているさ。手え放すが大声はなしだぜ?』

 彼女は瞳をパチクリさせることで応じた。

 その後は壁ドンの体勢になり、声も諭すようなトーンのものに落ちていった。

『初夜の直前がチャンスなんだよ。その床で婿殿のお越しを待つってわけだろ? 一人かい?』

『いいえ、処女の血のついた白布を回収する奴隷女が……』

『チッ、そうだったな……。高貴な方々のお床入りってヤツあ……。でもその奴隷女はあんたのほうで始末してくれよな。こっちだってこの恋に命かけてんだからっ』

『うん』

『待ち合わせ場所はいつものあの丘で大丈夫だろう。そして俺たちは西へ向かう。いきなり俺の国へってわけにゃあいかねえが……。途中の城市であんたの本当の初夜をってとこだ』

『うん、分かった』

 そのようにしてようやく迎えたこの夜なのだった。

 しかしやはり、往時の奴隷制社会は無情だ。というのが、約束の場所へと急ぐアナベルの白装束の右胸下当たりが朱に染まっているのだ。処女の懐刀で先の奴隷女を殺してでてきたのである。

 丘の頂きに腰かけていた彼がムクッと起ちあがると、その影に駆け寄った彼女がバッと抱きつき、爪先立ちになって接吻の嵐を吹かせる。奴隷女とはいえ人一人殺めてきた直後のことだ。彼女は自分自身の息の腥ささに気づいているのだろうか?

 もっとも彼が彼女の体を引き剝がしたのは、そのニオイのせいばかりとはいえないようだったが……。

「着の身着のままか? まっ、しょうがないか。急ごう。こっちだ」

「エッ? このままこの丘をくだるんじゃないの?」

「いやそれじゃ、追っ手の裏をかけないからな……。右手の谷に一端おりよう」

「でもそこは……」

「ああ。ミノスの国の迷宮みたいのがあるんだよな? しかし、ここに棲んでる怪物の頭は、山羊だったが羊だったか? いずれにしろ、そいつあ俺の遠い親戚だよ」

「親戚?」

「ああ。前にいったろ? 俺はイサクって国の王子だって──。でも俺の家も伯父貴の家も、本当いうと傍系なんだ。惣領息子はその怪物さ。家宝はそいつが抱え込んじまってやがる。そいつを持ち帰りゃ俺の家督に、誰も文句をいえねえってわけさ」

 右手の谷が黒く沈んでいる。まるでそこに、いつの間にか黒い湖ができてしまったかのようだ。アナベルは一ことも発することができない。

「悪いけど迷宮に入る前に、手え後ろ手に縛らせてもらうぜ? 生け贄の処女ってわけだ。あの手の怪物は人間の女を孕ませることでしか、自分の子を世に残すことができないんだろ? でも奴隷女の生け贄じゃあ、パクッと丸呑み! エッチはなしって話だ。そこいくとあんたなら、あいつも子作りにまっしぐらってこった。心配すんな。あんたに盾になっちゃあもらうが、あいつだってこの東方の至宝を、絶対傷つけたりゃあしねえだろうからな。あとはあんたに鼻の下を伸ばした奴の隙を突いて──」

「東方の、至宝……?」

 だがその怪物の頭は、山羊にも羊にも似ていなかった。強いていえば? 熱い血の通った生物ではない。カエル? ナマズ? いずれにせよ無毛の生物だった。そしてとにかく口が大きかった。

 怪物に伸しかかられるアナベルを尻目に、彼女の真の王子はその背後の財宝の山にさっさと取りついている。どこから取りだしたのか、大きな麻袋を左手に、右手でそれら、財宝の山をガサゴソ浚っている。

 最初彼ら二人に相対したとき、怪物はその大きな口の上にポチッと開いた鼻梁のない鼻孔を、ヒクヒクさせていた。ふと気づくと詩人の足の甲に、ポタポタ滴ってくる熱い液体があった。奴はそのため、鼻孔をヒクヒクさせていたのだろう。

 詩人はなんの躊躇いもなく、彼女を怪物の足下に突き倒した。

「ありゃりゃ、こりゃあ、奴隷女と同じで子作りなしかよ? まっ、お漏らし女じゃあんただってな。あまり時間稼ぎにゃなんなかったか……」

 というわけで、彼女の冒険はスタートと同時に終ってしまったのだ。では、彼女の本当の王子のほうは? とはいえ、彼は本当に王子だったのだろうか? 王家の家宝を取り戻し、そして彼の国を取り戻すことができたのだろうか? 少なくともそんな英雄叙事詩は、どこの大学の図書館にも残されていない。

 最後にこれは、一体誰の台詞だろう?

『まあまあ父上、そうガミガミいわんでくださいよ。物事は考えようです。考えてみりゃあウチはあのウチに、大きな貸しができたってこってすよね? 持参金だってなんだって、いまさら返せたあいいやしないでしょう。そりゃあ僕は大恥かいて傷モン状態ですけど、家督は弟にでも継がせてやってください。戦場働きにゃあある程度のガタイが必要なんです。向き不向きがあるんですよ。僕も年金ぐらいはもらいたいもんですがね。そういや北の谷の怪物も、最近ちょっと大人しいようですよ。きっと誰か奇特な奴が、勝手に生け贄捧げてくれたんでしょうね。めでたしめでたし──』

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